19. 罠
「ジイは、ここで子どもたちを守っていてください」
そう言って、クラレンスが盾の前に立ち、シャルはクラレンスから少し離れた場所に構えた。シャルの左手には、聖騎士の盾が握られていた。
ラリサは仲間にさまざまな加護と強化をかけていく。ラリサの頭上には黄金の天秤が浮かび上がった。
「人の道を捨てし汚れたる獣どもよ!
悪臭をまとい泥を這う、醜く卑しき虫けらどもよ!
汝らに神の言葉を、神の怒りを与えん!
永劫の炎にてその罪を余さず焼き尽くされ、苦痛に呻くがよい!
忠実なる者たちよ! 神意を継ぎし我と共に、悪を打ち払え!」
ラリサの言葉に呼応するように、シャルとザヴィクが力強く鬨の声を上げた。
シャルが高らかに叫ぶ。
「我は神の剣にして、盾なり! 我が道にこそ神の御心あらん!」
ラリサの断罪の言葉に逆上した賊たちは、口々に怒声を上げた。
「あのアマ、好き勝手ぬかしやがって!」
「あいつの舌を引っこ抜いて黙らせろ!」
興奮してがなり立てる連中とは対照的に、赤茶のローブをまとった魔法使いマドゥクは、冷静な目でラリサを細めて見つめていた。
「小娘かと思えば……なるほど、放っておくと、厄介なことになりそうだな」
マドゥクはラリサと子どもたちがいる方に意識を向けると、低く呪文の詠唱を始めた。
不意に不吉な気配を感じて顔を上げたラリサは、息を呑んだ。彼女たちの頭上に、不気味な気配を纏った黒い雲が渦巻いていたのだ。周囲を見回したラリサの目に、遠くで呪文を詠じる赤茶のローブの魔法使いが映った。
(広域魔法……! 一度に私たちを皆殺しにする気だわ!)
クラレンスとシャルは、前で複数の敵と交戦中だった。
(どうにかして止めないと! 神よ、どうかこの身に力をお授けください!)
ラリサは両手を胸の前で強く組み、必死に祈った。
彼女の頭上に浮かぶ黄金の天秤がまばゆく輝きながら回転し、やがて鎧に身を包んだ神聖なる女性の姿へと変化した。彼女は片手に天秤を、もう一方の手に長槍を携えていた。
目を見開いたラリサが、敵の魔法使いに向かって叫ぶ。
「穢れし罪の子よ! 我、汝を断罪の槍をもって討たん!」
ラリサの言葉が終わるやいなや、女神の幻影がマドゥクに向かって槍を投げ放った。黒き輝きを放つ槍は、一直線にマドゥクを貫かんと飛ぶ。
マドゥクは、すぐ防御結界を展開した。傍らにいるサミラを含む2人の魔法使いも加勢し、防御魔法を重ねて唱えた。マドゥクの目前には、光を帯びた魔法陣による複数の防御障壁が連なって出現した。
黒い槍が魔法結界に激突した。その槍は金属ではなく、黒曜石を削り出したかのような、黒く透き通った鉱石のような輝きを放っていた。
激突の衝撃にもかかわらず、槍は消えることなく、猛然と回転しながら魔法結界に衝撃を与えた。そして、一つ、また一つと結界を粉砕し、深く突き進んでいった。
「……ッ!」
マドゥクは顔を強張らせ、咄嗟に身をひねって回避した。しかし、黒い槍はまるで意志を持つかのように軌道を変え、逃げる彼を追尾―ついには、その胸元を貫いた。
その光景を目にした他の魔法使いと賊の一団は、大きく動揺した。あの距離から、これほどの攻撃が飛んでくるなど、誰も想定していなかった。
頭目であるキャロウェイが叫んだ。
「いいか、あんなのをそう何度も撃てるわけがない! せいぜい1、2回って、とこだ。見てのとおり、同時に何発も撃てないし、一度に狙えるのは一人だけだぞ!」
キャロウェイの言葉通り、ラリサの頭上に現れていた女神の幻影は既に消えており、彼女は明らかに疲弊していた。肩が上下し、呼吸も荒い。
その様子を見たサミラが静かに言った。
「時間のかかる広域魔法ではなく、徐々に神聖力と体力を削る手を使いましょう」
サミラが呪文を唱えると、その眼前に巨大な水の球体が出現した。水球はすぐに高圧の水流へと変貌し、うねる蛇のようにラリサへと放たれた。
しかし、ラリサの周囲にあった岩の一つが宙に浮かび上がり、水流を受け止めて砕け散った。別の魔法使いが放った火の球も、地面から突如として盛り上がった土壁にぶつかり、掻き消された。
戦場から離れた木陰に潜んでいた一つの影が、静かに身を引いた。素早く森道を走り抜けたその者は、別の影と合流すると、手にしていた小さな文を差し出した。
「これを……あのお方に、急ぎ届けてくれ」
文を受け取った影は、無言でうなずくと一気に加速し、森の外へと姿を消していった。
*** ***
安全都市アルカセン。
アレン一行は、宿屋の食堂で朝食をとっていた。そこへ、急ぎ足で一人の男が入ってきて、アレンの前に身を屈め、そっと文を差し出した。
アレンはそれを読んだあと、表情を引き締めて言った。
「〈黄金の騎士〉が危機に陥っている。すぐに向かうぞ」
3人の男は即座に準備を整え、宿を飛び出した。
ハミツが首をかしげて尋ねた。
「その騎士が危機って……いったい、どういう状況だ?」
「無法者どもが罠を張って襲ったらしいです。30人以上で、しかも相当な強者だそうです」
「まさか、あの神器を狙って……?」
ハミツが低く呟くと、アレンはカイエンに向かって言った。
「カイエン、セイドに連絡してくれ」
カイエンは右手首にある蝶の刺青にそっと息を吹きかけた。すると、彼の手首から青い蝶がふわりと舞い上がり、空中に消えていった。
3人の乗った馬は、アルカセンの大通りを全力で駆け抜けていった。
*** ***
森の中では、激しい死闘が繰り広げられていた。クラレンスの周囲には、すでに十数名の死体が転がっていた。
「なんだよ、とんだ化け物だ……」
「本当に人間なのか……?」
無法者たちは荒い息を吐きながら呻いた。
だが、クラレンスも、シャルも、ザヴィクも、そしてラリサも、すでに限界に近づいていた。
特にラリサは、自分がもう長くは持たないと直感していた。このままでは、全員がここで倒れてしまう。クラレンス一人だけなら、なんとか突破して逃げ延びるかもしれない。
そう思ったラリサはクラレンスの背中を見つめ、心の中で必死に祈るように語りかけた。
(クラレンス……私、もう限界よ。あなただけでも、逃げて……)
彼女の頭の中にクラレンスの声が響く。
(絶対に……あんたたちを置いて、一人だけ生き延びるなんてことはしない。……私が守る)
その声を聞いた途端、涙が込み上げた。
(バカ……)
(……もう少しだけ耐えて。きっと、何とかなる……!)
ラリサは涙を飲み込み、静かに頷いた。最後の最後まで、残された力を振り絞って戦うしかない。
クラレンスは、鎧に問いかけた。
(もし、私が限界を迎えて……死んだら、あんたはどうなる? まさか、あいつらに……)
― 心配するな。お前が名誉ある死を遂げれば、我は神聖なる樹へと還り、次なる勇者を待つことになる。
(それなら……いい)
この神聖な武具が、あのような穢れた者どもの手に渡ることはない―その事実だけが、せめてもの救いだった。
― 最後の瞬間、少なくともあの連中をすべて薙ぎ払う方法はある。
(エオネス様の降臨……)
― 今のお前の力量と身体の状態では、その力に耐えるのは難しいだろうがな。
(構わない。奴らをやっつけて、仲間と子どもたちを守ることができるのなら……)
― 今しばらく耐えてみよう。まだ別の打開策が現れるかもしれん。
(わかった。でも、本当に限界が来たら……その時は、頼む)
クラレンスは奥歯を噛み締め、真紅の大剣を力強く握りしめた。