14.闇組織の壊滅(2)
地下1階からさらに下の2階へと続く階段に差しかかったとき、クラレンスが手を挙げて部隊を制止し、慎重な足取りで前へと進んだ。
階段に足を踏み出そうとしたその瞬間―激しい炎がクラレンスを包み込むように襲いかかった。炎の中から剣を手にした男が飛び出し、クラレンスの身体を狙って突きを繰り出した。クラレンスは真紅の大剣を寝かせて刃でその剣撃を受け止め、もう一方の手で相手の顔面を強打した。悪党の顔は血塗れに砕け、階段を転げ落ちていった。
続いて、下から二人の敵が同時に駆け上がってきた。クラレンスは大剣を大きく横に振り抜き、壁ごと二人の身体を切り裂いた。
「用心棒3人を一度に……!?」
治安隊の騎士たちから、驚愕のざわめきが漏れた。
クラレンスは冷静に階段を降り、3人の死体をまたいで通り過ぎていった。
ラリサは倒れた敵の死体を一瞥して身震いした。彼らの武器や所持品が戦利品として認められていることは聞いていたが、血まみれの遺体に手を伸ばす気には到底なれなかった。治安隊の騎士2人が、用心棒の遺体から武器や装飾品を回収した。
階段の下に隠れていた魔法使いは、青ざめた顔で闇の中を逃げ出し、奥の廊下にいる用心棒の頭目・カミチの元へと駆け込んだ。
「……とんでもない化け物だ。大剣で壁も何もかも切り裂いてやがる。こりゃ、逃げるしかない」
カミチは渋い顔で吐き捨てた。
「治安隊の奴ら、本気で準備してきやがった。どこから情報が漏れたのか、非常口は全部ふさがれてる。
……あいつを倒して、道を切り開くしかねぇ。どんな化け物にも、弱点はある。いくら何でも、こんな狭い場所で、あの大剣を自在に振るうのは無理だ。
こういう閉所の戦いは、俺の得意分野だ。あいつを仕留めりゃ、残りは烏合の衆だ」
そう言って、カミチは廊下の向こうに見える赤き大剣をにらみつけ、仲間の神官・ザワリに声をかけた。
「ザワリ、加護を頼む」
黒ずんだ赤のローブをまとった、青ざめた顔の女神官ザワリは、わずかに表情を歪めると、その目に異様な光が宿った。
「光の戦士……我が主の敵……」
「何言ってんだ? 早く加護を―」
苛立つカミチに、ザワリがすっと手を伸ばし、彼の肩に置いた。
「我らが主は、あの者の殲滅を望んでおられる。
喜んで汝を捧げよう―光の戦士、太陽の子を屠るために」
それは、ザワリ自身の声ではなかった。低く、金属の擦れるような、煮えたぎる鉄のような響きだった。
「な、なんだ……? おい、やめろ!」
異変を察知したカミチが身を引こうとしたが、ザワリの手は肩に喰い込むように食い付き、離れなかった。彼女の手からは黒赤い光が立ち昇り、それがカミチの全身を包み込んでいく。カミチの顔から表情が消え、目が、血のような、深い紅に染まった。
地下2階の廊下は、地下1階よりもさらに狭かった。廊下両側の2つの部屋を制圧し、次なる一歩を踏み出したクラレンスの前に、用心棒の頭目カミチが姿を現した。
カミチの瞳は血のように赤く染まり、その身体からは血を撒き散らすかのような黒紅のオーラが立ち昇っていた。彼の手に握られた2本の剣には、黒紅の炎が絡みついている。
鎧がクラレンスに警告を発した。
― 奴からは不吉で忌まわしい力を感じる。今の汝の力では、長引かせれば不利になるぞ。
(わかってる。頼むよ)
クラレンス自身も、カミチから発せられる気配に混乱と狂気、そして荒れ狂う殺意を感じ取っていた。それに応えるように、クラレンスの大剣は、白光に近い閃光を放ち、鎧を包む光も一層輝きを増した。
「死ねえっ!」
カミチが咆哮しながら放った剣気は、血の匂いを伴ってXの軌跡を描き、黄金の鎧を連続して切り裂こうと迫る。クラレンスは大剣を振り、激しい斬撃を受け止めた。その刹那、ミチが人間の域を超えた速度で突進してくる。
黄金の騎士は大剣を高く掲げ、天井にまで突き立てたその刃を、天井の石を削り取りながら下方へと一気に振り下ろす。カミチは二本の剣でそれを受け止めた。
「グォォォォ〜ッ!」
もはや人の声とは思えぬ絶叫だった。それは雄叫びというよりも、苦痛に満ちた断末魔のようでもあった。
クラレンスの大剣が閃光を放ち、さらに力を込めて押し込むと、カミチの身体に異変が起こる。目、鼻、口、耳─体中のあらゆる穴という穴から血が噴き出し、肉が崩れ、ついにはその身体が破裂した。飛び散った肉塊と血液は黄金の鎧へと向かったが、鎧を包む光の加護に弾かれ、一滴たりとも鎧を汚すことはできなかった。
― これは……この肉体に収まりきらぬ力を無理矢理注ぎ込んだか。やはり邪悪な力だな。
鎧が不快そうに言った。
(この力……まさか魔神の力か?)
― 正体はわからんが……少なくとも、光の神のものではない。気を付けろ。あの神官、また何かを仕掛けている。
カミチの崩れ落ちたその向こうに、やはり黒紅の光に包まれた神官ザワリの姿があった。
階段から逃げてきた魔法使いは、ザワリの身体から漏れ出す黒紅の光に巻きつかれ、拘束されていた。
「な、なにするんだ!? ザワリ、おい、やめろ! 今は逃げるべきだろうが!」
魔法使いは必死にもがいたが、まるで蜘蛛の糸に囚われた虫のように、その場から動けなかった。
ザワリは何も答えず、ただ唇の内側で呪文を唱えていた。魔法使いの身体がひきつり、悲鳴を上げる間もなく、瞬く間にミイラのように干からびていった。
「くそっ、自爆の呪術かよ……! 俺たちごと全員殺す気か!」
魔法使いの背後にいた用心棒の一人エミッソンは、その様子を見て戦慄し、ほとんど転げるように階段を下り、下の階へと逃げ出した。
「なんだよ……いったい何がどうなってやがる……」
カミチも、ザワリも、普段とはまるで別人のようだった。何かに取り憑かれたかのような狂気―説明のつかない異常さがあった。
用心棒という仕事は、あくまで金をもらって犯罪組織の力仕事を処理するだけの役目である。今回の件だって、この場を離れて逃げればいいこと。それ以上に命を張る義理も、大義もない。
カミチに何が起きたのか。ザワリは何をしようとしているのか。全く理解できなかった。
「くそっ、あいつらみんな、頭がおかしくなってる!」
「忌まわしき光の子、太陽の子を殺せ!それこそが我が主の御意志……カハス様に栄光あれえ〜ッ!」
ザワリが狂ったように笑いながら、両腕を天へと広げた。彼女のやせ細った体からは、血のような黒紅の光が渦を巻いて立ち昇る。
それを見た誰かが叫んだ。
「〈自己犠牲の呪〉だ!この階層ごと吹き飛ばす気だ!」
恐怖が人々を縛り付けた。
〈自己犠牲の呪〉―それは己の命を代価に、周囲に壊滅的な爆発を引き起こす禁呪であった。今のような閉ざされた地下空間で発動されれば、全員が生き埋めになるのは確実だった。逃げようにも、狭い通路にはすでに多くの者が入り込んでおり、後退は不可能だった。
その時だった。ラリサの頭上に、神聖なる黄金の天秤が浮かび上がった。
= 天秤の守護者よ、神の御意を執行せよ
天からの命に応じるように、ラリサは片手を前に差し出して高らかに叫んだ。
「慈愛の光よ、邪なる力を封じ給え!」
彼女の指先から、まばゆい黄金の光球が生み出された。
ザワリから爆裂が発せられた。黒き火炎をまとった破壊の渦が、地響きを立てながら空間を覆い尽くそうとする。だが、ラリサの生み出した光球がその爆発の中心に現れ、渦の周囲を包み込んだ。
凄まじい破壊の力は内側で暴れ狂ったが、光の球体がそれを外へ出さぬよう、必死に封じていた。
人々は固唾を呑み、その光球を見守っていた。もし、あれが押し負ければ、ここにいる全員が灰と化すだろう。
「皆、祈るんだ!もしあれが耐えられなければ、我らは全滅するぞ!」
誰かの叫びと共に、祈りの声があちこちから上がった。それぞれが信じる神にすがり、必死に祈り始める。
ラリサの腕が小刻みに震えていた。彼女は、力を振り絞って差し出した手を握ろうとするが、それはあまりにも重かった。光球はラリサの意志を映すように、時折小さくなり、また膨れ上がるのを繰り返していた。
人々は胸を締め付けられるような思いで、なおも祈り続けた。
ラリサが声を張り上げた。
「邪なる破壊の力よ……慈愛の光にて、滅び給え!」
震える手に最後の力を込めて、ラリサが拳を握る。それに呼応して、光球は縮まり始め―ついには一点の光となって、完全に消滅した。
「ああ……助かった……」
「やった……!」
あちこちから安堵の溜め息が漏れ出た。
あまりにも巨大な力を行使したラリサは、顔面を蒼白にして、その場に崩れ落ち、意識を失った。
シャルが慌ててラリサの身体を支えた、その時だった。ラリサのこめかみに浮かぶ黄金の天秤が、ぴしゃりと彼女の横顔を打った。
= 気を確かにせよ! まだ終わってはおらぬ。
ラリサははっと目を見開いて、シャルに尋ねた。
「……今、何て言ったの?」
「いや、何も……ラリサ、大丈夫?」
「う、うん……大丈夫。……まだ終わってないから」
ラリサはふらつきながらも身を起こした。全身から力が抜けていくのを感じながらも、まだやるべきことが残っていた。自分の内にある何かの力が自分を導いていることを、以前にも増してはっきりと自覚しつつ、ラリサは重い足取りで歩みを進めた。
その姿に、人々は深い感銘を受けた。ついさきほど、あれほどの力を振るったばかりで、立つことさえままならないはずなのに……それでも退こうとせず、人々のために立ち続けようとするこの少女の意志は、人々の心を動かした。
数人の冒険者が前に出た。
「私たちが護衛します。今の状態で不意を突かれたら危険すぎます」
「皆を救ってくれたあなたを、今度は私たちが命を懸けて守ります!」
彼らはラリサを囲むように立ち、その小さな背を守る盾となることを誓った。