11. 鎧を脱ぐ
クラレンスはベッドに横たわったまま、ぼんやりと天井を見つめていた。疲れはある程度とれたが、今日までは休養と決めていたので、特にやることもなかった。
ふと手を上げ、ガントレットに包まれた自分の手を不満げに見つめながら、クラレンスは鎧に問いかけた。
(このままじゃ、自分の顔を忘れちゃいそう。いつになったら、鎧を脱げるようになるの?)
— 今回の討伐で功を積み、だいぶ力も伸びたからな。短時間なら、脱ぐことも可能だろう。
(本当に?)
— 試してみるといい。
クラレンスは跳ね起き、全身に力を込めて〈鎧を脱いだ自分〉を思い描いた。両手をぎゅっと握りしめ、しばらく集中していると、金属のガントレットではなく、人間の手が視界に現れた。
「できた……」
震える手で自分の顔をそっと撫でてみる。そこには確かに、自分の肌の感触があった。興奮したクラレンスは周囲を見渡したが、この部屋には鏡がないことに気づいた。
(ラリサが手鏡を持ってたっけ? 借りに行こうかな)
きっと驚かれるだろうが、仲間だからこそ、自分の本当の姿を見せて正直に話すのがいい─そんな気がした。
そう思いながらも、なかなか踏み出せずにいると、ノックの音がして、ザヴィクが部屋に入ってきた。馬小屋にロシを見に行ってきた帰りだった。
クラレンスの姿を見たザヴィクは、目を大きく見開いた。
「クラレンス……お嬢さん?」
クラレンスは、思い切ってラリサとシャルにも知らせることにし、ザヴィクに二人を呼んできてくれるよう頼んだ。
少しして部屋に入ってきたラリサとシャルは、予想通り驚きの表情を浮かべ、入口で固まっていた。
クラレンスは少し照れたように言った。
「驚いたよね? これが私の本当の姿なんだ」
先に反応を見せたのは、シャルだった。
「声が変わっているね?」
「うん、これが本来の私の声だよ。鎧を着ているときは、それに合わせて声も変えていた」
シャルは、仮面を微笑んでいるものに変えて言った。
「鎧の大きさから、大きな体格だろうと思っていたけど、少し意外だね」
「そうね。父さんが言ってたけど、うちの家系は成長が遅いらしくて……」
クラレンスが気まずそうに視線をそらすと、ラリサがぎこちない笑みを浮かべて近づいてきた。
「大丈夫よ。そのうち、背も体つきも大きくなって、立派な男になるわよ」
クラレンスはぎくりとした。ラリサとシャルが自分を男だと思っていることを、すっかり忘れていたのだ。
「ねえ、ラリサ。実は私……女なんだ」
その言葉に、ラリサの顔が見る見るうちに固まった。さっき本来の姿を見たときよりも、さらに衝撃を受けたような顔だった。
「私みたいな女の子があの鎧を着ているって知られたら、いろいろと面倒なことになると思って、男のふりをしていたの」
「クラレンス、あなた……女の子だったの?」
「うん」
クラレンスの顔をじっと見つめていたラリサは、不意に前に出てきた。
「ちょっと失礼するね」
緊張した様子で深呼吸しては、クラレンスの上着をめくって中をのぞいたラリサは、すぐに服を戻して呟いた。
「うーん、胸が、ちょっと出てきているみたいね」
クラレンスの顔が真っ赤になった。
「まだ成長途中なだけだよ。すぐに大きくなる、なるはずだから……」
どもりながら言い訳するように言うクラレンスに、ラリサは慌てて謝った。
「あっ、ごめん、ごめん……」
しばらく気まずい沈黙が流れた。
「ねえ、ラリサ、手鏡を貸してくれる?」
「あ、うん」
クラレンスは、ラリサから手鏡を借りて、自分の顔を映してみた。
この姿を保つのに力を使っているせいか、目に力が入り、血管が浮いている気がするが、間違いなく自分の顔だった。家を出たときとあまり変わらないようでもあり、少し成長したようでもあった。
目を見開いて鏡をじっと見ているクラレンスに、シャルが尋ねた。
「どうして、そんなに体に力が入っているの?」
「この姿を保つのに力がいるんだ。まだ私の能力じゃ、安定した状態じゃないから」
久しぶりに自分の顔を見られて嬉しいが、それでもこの状態を保つのは、かなりの負担だった。
クラレンスは手鏡をラリサに返した。
シャルが言った。
「しばらくの間は、外ではクラレンスが男ってことにしておいた方がいいかも。キヘンナへ向かっている途中でも、無法者どもがクラレンスの鎧を狙っていたでしょう。
クラレンスの言う通り、まだ若い小柄の女の子がそんな鎧を着ていると知られたら、あまりいいことにはならないと思う」
ラリサも頷いて、少し心配そうに尋ねた。
「これから、背も体格ももっと成長するわよね?」
「するよ。きっとそうなる」
クラレンスは強い確信、あるいは願いを込めてそう答えた。
「とにかく、外ではクラレンスが男ってことにするなら、ちょっと不便だけど、部屋も今まで見たいにザヴィクさんと一緒に使った方がいいかもね」
「どうせしばらくは鎧を着て生活するし、大丈夫だよ」
クラレンスは淡々とシャルの提案を受け入れた。
*** ***
クラレンスとの話を終えて部屋に戻ったラリサは、複雑な気持ちでベッドの端に腰を下ろした。
「クラレンスが女の子だとしたら、あの時の誓いは何だったの……?」
プロポーズだと思っていたのに、そうでないとしたら、なぜクラレンスが自分にあんな言葉をかけたのか、頭の中がますます混乱していた。
隣に座ったシャルが、静かに口を開いた。
「以前、言ったように、あれは神への誓いだと思う」
「だから、その神への誓いを、なんで私に求めたのかって聞いてるの!」
ラリサが詰め寄ると、シャルは落ち着いた声で答えた。
「私は、クラレンスが〈太陽の勇者〉だと思っている。今回、沼地の亡霊王を討ったことで、それを確信できた。
あなたも〈太陽の勇者〉の話は知っているでしょう? 公にはあまり語られていないけれど、太陽の勇者は古代エオネス信仰と深く関わっている。
歴代の〈太陽の勇者〉には、常に共に歩む〈忠実なる者たち〉がいたの。私は、あなたと私、そしてザヴィクさんがその〈忠実なる者〉だと信じている。
クラレンスがあなたにあのような言葉をかけたのは、エオネス様の神官として、きっとあなたに神聖な使命が託されたってことだよ」
「でも、シャル。あなたが思ってるほど、私は信心深い人間じゃないよ。私は俗っぽい普通の人間。楽で安全な生活を望んでるだけなの」
ラリサは反論したが、シャルの瞳は揺るがなかった。
「太陽の勇者は俗世のことに興味を持たない。自分の利益を計算することも、求めることもしない。
だけど、人間の世界で活動する以上、そういう部分を補ってくれる存在が必要なの。それも〈忠実なる者〉の役割の一つよ」
ラリサはしょんぼりと口をつぐんだ。
ひとりだけの初恋が破れただけでも十分つらいのに、そこに神への誓いだなんて。人生が、あまりにも重くなってしまった。
〈太陽の勇者〉については、父から聞いたこともあり、本で読んだこともあった。父は〈太陽の勇者〉を高貴な英雄として称えていたが、ラリサにとっては、あまりにも現実離れした話で、あまり好きになれなかった。それよりは、300年前の〈大破滅の日〉に世界を救ったレオン大王のような英雄話のほうが、ずっと格好いいと思っていた。
なのに、自分が、その〈太陽の勇者〉の仲間になるなんて。ある意味、皮肉な運命だった。
それでも、不思議とクラレンスと離れようとは思わなかった。
「いいわ。クラレンスと旅をするのは構わないけど……これでまた、将来設計を考え直さなきゃいけなくなったわね」
「将来設計って?」
「知ってるでしょ。私は孤児じゃない。いつかどこかに落ち着かないといけないし、将来自分の住む家も用意しなきゃ」
「エオネス神殿があるじゃない。神官にとっては神殿が家だもの」
ラリサは不満げに顔をしかめ、頭を振った。
「神殿で一生を奉仕に捧げるなんて、私はいや。そういうの、私には向いてない。引退したら、絶対に小さな畑付きの家を手に入れて、適当にぐうたらな生活をするんだから」
拳を握ってそんな決意を語った途端、黄金の天秤が現れ、ラリサの横髪を天秤でぴしゃりと叩いた。
= それが精一杯の決意か? この情けない人間め!
ラリサはビリッとくる痛みに眉をひそめ、深い表情を浮かべた。
シャルは、そんなラリサを見つめて思った。
(残念だけど、ラリサ。あなたの道はもう、決まっているような気がするよ)