番外編:ハミツが用心棒になったわけ
「嫌だ」
ハミツが短く、しかしきっぱりと断ると、彼の正面に座っている光の軍神ヴェルトゥガーの大神官ベスバリアムは、懇願するような口調で説得を試みた。
「そう言わずに、よく考えてくれ、ハミツ。相手はブレイツリー帝国の第一皇子だぞ。次期皇帝の有力候補だ。あの方と何とか接点を持とうと躍起になっている連中がどれだけいると思う? こんな機会、滅多にないぞ」
だが、ハミツの態度は変わらなかった。
「政治ごっこに付き合う気はない。お坊ちゃんの護衛なんか興味ないし、やりたい奴にでもやらせりゃいいだろ」
ベスバリアムは身を反らすようにして姿勢を正し、椅子にまっすぐ座り直すと、厳しい表情で言った。
「……友としての願いが通じぬのなら、致し方ない。では、大神官として命ずる。この任を引き受けてもらおう」
ハミツも姿勢を正し、きっぱりと応じた。
「お断りします」
「これは教団のためでもあるのだ。ブレイツリー帝国に本拠を置く我らにとって、皇帝陛下直々の要請を退けるのは、極めて難しい。事情を汲んでいただきたい」
「これまで教団のために、できる限りのことはしてきたつもりです。たとえ大神官であっても、私にこんな任務を強いることはできません」
「どうしても、断る気か?」
「どうしても、お断りします」
ベスバリアムは、固い態度を崩さないハミツをしばらく見つめたあと、短く息を吐いて立ち上がった。
「……そこまで言うなら、仕方あるまい」
そう言うと、室内奥の執務机へと向かい、机上のものを手で乱暴に払った。そして、大きく上体を仰け反らせ、机に勢いよく額を打ちつけた。顔を上げた彼の額からは、血が流れていた。
「な、何やってるんだ……!?」
呆然と見つめるハミツをよそに、ベスバリアムは窓際に歩み寄り、窓を大きく開け放った。片足を窓枠にかけ、振り返ってハミツを見た。
「これから、ここから飛び降りる。そして、こう言うつもりだ。『ハミツにやられた』ってな。さて、どうなると思う?」
「な、何だって!? 俺がなんでそんな……!」
ベスバリアムは意地悪そうに笑った。
「さあ、私には分からんよ。捕まったあとで、ご自分で理由を説明してくれなきゃ」
「そんな馬鹿なことが……!」
「大神官である私の証言と、君の言い分。人々は、どちらを信じると思う?」
ベスバリアムは血を流しながらも、平然と言葉を続け、今にも本当に飛び降りそうな勢いで窓枠に足をかけた。
その動きに狼狽したハミツが思わず叫ぶ。
「わかった!やるよ、やればいいんだろ!」
「本当かい?」
「本当だよ、くそったれ!」
ベスバリアムはにこりと笑い、窓枠から足を下ろしてこちらに向き直った。
「最初からそうすればよかったのに」
「大神官ってやつが、こんなやり口で人を脅すもんなのか?」
ハミツは、今にも噛みつきそうな目つきで睨みながら唸った。
ベスバリアムはまるで気にする様子もなく、血のついた髪をかき上げてから机の前に戻り、椅子に腰を下ろした。指を組み、厳かな表情でハミツに語りかける。
「神官は神の導きに従って道を行く。だが、大神官たる者は時にして、自ら道を切り開かねばならぬのだよ、ハミツ」
ハミツは震える拳を握りしめ、歯を食いしばった。
(あの図々しいツラ、マジでぶん殴りてぇ……!)
*** ***
ブレイツリー帝国・帝都シトマの東門前。
往来する人々で賑わう大通りの片隅で、馬に跨ったハミツは今にも逃げ出したい心境だった。現在彼の胸元には、でかでかと文字の書かれた布が掛けられていた。
〈歓迎! アレン様とカイエン様〉
さらに背中には、同じ文言の書かれた大きな旗まで掲げている始末だった。通行人の好奇と嘲笑が入り混じった視線を浴びながら、ハミツは顔を上げることもできず、ひたすら困り果てていた。
(ベスバリアム……この野郎! 最後の最後まで俺をハメやがって……!)
『素直に任務を受けておけばよかったのに』と嘲る声が聞こえてくるようで、ますます腹が立った。知り合いに出くわさないことを願いつつ、彼は地面ばかりを睨みつけていた。
その時、彼の前に馬が一頭、音もなく近づき止まった。
「失礼ですが、ハミツ様でいらっしゃいますか?」
顔を上げると、そこには若い男が二人いた。声をかけたのは、炎のように鮮やかな赤髪を持つ青年だった。
ハミツはすぐに、彼が帝国でも有数の軍事貴族・ロエングラム大侯家の後継者、タミアン・ロエングラムであると気づいた。
そしてその隣にいる、黒髪に灰色の瞳を持つ男こそ、ブレイツリー帝国の第一皇子、レオンである。身分を隠すために容姿を偽ると聞いていた。大王レオンに瓜二つだと言われる彼は、本来は金髪にエメラルドグリーンの瞳をしているはずだった。
「あ、はい。私がハミツです」
ハミツがぎこちなく答えると、タミアンがにこやかに言った。
「カイエンとお呼びください」
続いて第一皇子レオンも口を開く。
「アレンです」
「ヴェルトゥガーの神官、ハミツと申します」
一通りの挨拶を済ませたハミツは、そそくさと背中の旗を下ろし、胸の布も脱ぎ捨てる。
「門を出たら、すぐ分かるとは、聞いた通りでした」
カイエンが面白そうに笑う。
「教団にちょっと変わった者がいるものでして」
さすがにその「変わった者」が大神官だとは言えず、ハミツは内心毒づきながら、旗竿をポキリと折って、それを見張り役として随行してきたヴェルトゥガーの神官へと投げ渡した。
「ブルカス級の冒険者として名高いと伺っております。これから、よろしくお願いします」
アレンは微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
丁寧なやりとりをしながらも、ハミツの心中は重く沈んでいた。
これからこの二人のお坊ちゃまたちの世話をしながら〈混沌の地〉を旅する羽目になったのだ。
(いや、もう一人いるな……)
ブレイツリー帝国の秘めたる爪とも称される〈黒の魔法団〉の団長 にして〈黒の魔塔〉の主。そして、300年前の〈大破滅の日〉に世界を救った大魔術師アレイシス・クレイノスと、森のエルフ・ユニスの子である、アイネンセイド・クレイノス侯爵。
外部活動をほとんどせず、情報も乏しいその人物は、〈混沌の地〉の境界で合流する予定と聞いている。第一皇子に匹敵するほどの要人であり、ハミツとしても丁重に扱わねばならぬ相手である。
(俺の運命って……なんて茨の道なんだ)
二人に気づかれないように、ハミツはそっと顔を背けて、陰うつな顔で心の中で呟いた。