6. 安全都市アルカセン
その晩の野営は、昼間の出来事にまつわる話題で大いに盛り上がっていた。皆、ハミツの実物を目の当たりにし、会話を交わし、共に魔獣の解体に加わったというだけで、素晴らしい経験だったと興奮を隠せなかった。
そして、そんな人物を相手に、一歩も引かずに交渉をやり遂げたラリサに対しても、惜しみない称賛の声が寄せられた。
ラリサの交渉により確保された熊型魔獣の脚2本、肝臓・心臓・肺などの内臓、そして肉を、皆で食べようと、クラレンスが提案すると、人々は驚きつつも感激の面持ちを見せた。
大型魔獣の肝や心臓などは、人の体力や魔力を向上させる効果があるとされる、非常に高価で貴重な食材である。しかも、この日仕留めた魔獣は〈悪魔の牙〉の異名で知られる〈ヘルカタイ〉という名のある魔獣だった。それをたった一人で討ち取ったクラレンスが、その内臓と肉を、何の見返りもなく分け与えるというのだから、皆は心からの感謝を口にした。
人々は黄金の盾を鉄板代わりに囲み、魔獣の肝臓や心臓、肺などを焼いて味わった。皆、体力や魔力が高まることを期待しつつ、敬虔な気持ちで一口一口を大切に噛み締めていた。次には、肉をたっぷり焼き、賑やかに、そして楽しく食べ、酒を酌み交わした。
「このような貴重な品を、我々にまで分けてくださるとは……誠にありがとうございます。旅の中でも、忘れ得ぬ思い出となりました」
満ち足りた笑みを浮かべて礼を述べたクロダインは、傍らに広げて干している魔獣の皮を指して、クラレンスに尋ねた。
「ところで、あの皮や爪といった素材は、どうなさるおつもりですか?」
「持ち歩ける代物ではありませんので、安全都市に着いたら、処分するつもりです」
それを聞いたクロダインは目を輝かせて申し出た。
「もしよろしければ、私が適正な価格で買い取らせていただきます」
クロダインが提示した金額は、ラリサの判断からしても非常に良い値段で、すぐに取引が成立した。ただし、その場で支払うには額が大きすぎたため、安全都市に到着後、現地で代金を引き出して渡すこととなった。
クロダインは、2本の脚に付いていた14本の爪のうち一本を、これまでの働きへの報酬として筆頭騎士タナンに与えた。タナンは喜びを隠せず、それを丁寧に保管した。
「冒険者としてのご活動はまだ浅いと伺っておりますが、将来的に引退された後のご予定などはおありでしょうか?」
クロダインが丁重に尋ねる。
「今のところ、まだ何も決まっておりません」
「それでしたら、ぜひ我がブレイツリー帝国のクロダイン伯爵領へお越しください。父上が城も領地も含め、最高の待遇でお迎えいたしますよ」
クロダインは熱意を込めて勧めた。
「ありがとうございます。考えさせていただきます」
将来のことはまだ分からないが、クラレンスはその言葉をありがたく受け取った。
一方、ラリサは予想外の展開に胸をときめかせていた。
(もしかして……私、城主夫人になれるの?)
こぢんまりとした家、小さな菜園、裏山のある生活も悪くないけれど、城主夫人―その響きには一段と心惹かれるものがあった。
その背後から、黄金の天秤が険しい表情で彼女の後頭部を打ち据えた。
= 誰が勝手に城主夫人になるって? 節制と謙遜を美徳とする聖職者が夢見る姿がそれか?
後頭部に走る鋭い痛みに、ラリサは思わず厳かな表情を浮かべたが、それにもめげず、あのお城は、いったいどんな姿をしているのかしら―そう思い、頭の中で一生懸命にその姿を描いていった。
*** ***
熊型魔獣〈ヘルカタイ〉を討伐した一行は、その後、無事に安全都市アルカセンへと到着した。クロダインは、魔獣の皮や素材の代金を支払うついでに、食事をご馳走したいと申し出てきた。
安全都市では、共通して都市中央に大きな魔塔がそびえ、魔塔を囲む広場を中心に街区が形成されていた。境界都市キヘンナと同様に、広場の周囲には高級な宿や商店が建ち並んでいた。
クロダインは魔獣の皮や素材の代金を支払った上で、広場の近くにある高級料理店の広い個室を丸ごと借り切り、クラレンス一行を招待した。その席には、クロダインの友人も同席していた。
「なんだって、こんな大広間を借り切ったんだ? 最近かなり出費が多かったと聞いているが……。これでは、お父上に叱られるのではないか?」
オランドの友人である若き貴族・カイルが、冗談めかして言った。
「ふふん、まあ、これを見てから言ってくれ」
オランドが得意げに目配せすると、護衛の騎士たちが魔獣の皮を広げて見せた。壁一面を覆うほどの巨大な、赤褐色で艶やかな毛並みを持つ魔獣の皮に、カイルは思わず目を見張った。
「なんという大きさだ……これは一体、何の魔獣の皮だ?」
「〈悪魔の牙〉、ヘルカタイだよ。皮だけじゃない、これもある」
そう言って、2本の脚に付いていた鋭く長い爪も見せると、カイルの驚きはさらに増した。
「ふむ……これほどの代物であれば、部屋を借り切っても納得だな。まさか君たちが仕留めたというのではあるまい? 一体どうやって手に入れたんだ?」
「まあ、まずは座ってくれ。ゆっくり話そうじゃないか」
オランドは、カイルたちにクラレンスの一行を紹介し、道中で起こった出来事を語り始めた。
突如として現れ、丘を越えて突進してきた脅威の大型魔獣。それを一太刀で仕留めた黄金の騎士。同時に放たれた強力な矢。そして、ブルカス級冒険者ハミツの登場。オランドは、ハミツと直接言葉を交わしたことを誇らしげに語った。
「〈不屈のハミツ〉を雇うとは……一体何者なのだ?」
「詳しくは知らないよ。あの森のエルフの男もそうだし、初めて見る顔ぶれだった。
とにかく、あの男の弓の腕も並外れていたな。あれほどの強弓は、数年前の皇室狩猟大会で拝見したレオン殿下以来だ」
「世の中には、時折、本当に化け物じみた強者がいるものだな」
カイルの言葉に、オランドは頷いた。
「まったくだよ。ハミツしかり、だ。
それにしても、どうだい? これだけの物であれば、大金を払ってでも旅の記念に持ち帰る価値はあるだろう? 父上もきっとお喜びになるはずさ」
「いやはや、実に幸運に恵まれた旅だったようだな」
カイルは羨望の眼差しを隠せなかった。ただでさえ貴重な魔獣の皮であるうえ、そこにハミツとの逸話まで加わったとなれば、価値はさらに増す。物語と由来は、物の価値を高めるものだ。
カイルは、クラレンスに向き直って声をかけた。
「まことに見事な武功でございます。
もし将来、いずれかの勢力に仕官されるご意志がおありでしたら、ぜひ我がパルテン伯爵家をご一考くださいませ」
「おいおい、それは私が先に申し出た話だぞ」
オランドが目を細めて牽制する。
「この人よりは、私の方が条件を上乗せさせていただきましょう」
「ずるいな、それは」
「ははっ、冗談半分ではありますが、本音でもありますよ」
クラレンスは丁寧に応じた。
「ご厚意、誠にありがたく存じます。よく考えさせていただきます」
そのような貴族たちのやりとりとは別に、このような高級料理店に初めて足を踏み入れたクラレンスとラリサは、目の前に並ぶ華やかな料理に心を躍らせ、ただただ幸せだった。シャルも仮面の下から笑みを浮かべ、楽しげな様子を見せていた。
ザヴィクは案内役のコービンとともに、騎士たちと別のテーブルに座っていた。このような場に呼ばれるのは、騎士たちにとっても稀なことらしく、皆、遠慮なくベルトを緩めて思い思いに料理を楽しんでいた。ザヴィクとしても、貴族らよりは騎士たちとの席の方が気楽で、人生で初めて味わう高級料理をゆったりと堪能した。