12.クラレンスの英雄
広場で昼食を取った4人は、街の見物に出かけた。最初に向かったのは、広場の周辺にある高級宿『英雄たちの晩餐』の前だった。
『英雄たちの晩餐』は、290年前、東大陸の英雄レオン大王をはじめ、東西の大陸の英雄らが暴竜クラファハツを討伐した後、国境都市キヘンナに滞在した際に泊まった宿であり、その出来事を記念して現在の名に改められたのだった。
重厚な趣のある宿の正門前には、かつての出来事を記念する石碑が建てられていた。訪れる者はクラレンスたちだけではなく、多くの人々がその石碑の周りに集まっていた。石碑を見学した後、宿のレストランに入っていく者たちもいた。
「キヘンナに来たら、ここには絶対来たかったんだ」
クラレンスが石碑を見つめながら嬉しそうに言うと、シャルが頷いた。
「私も。関門都市バルトリと並んで、西大陸にあるレオン大王の代表的な遺跡じゃない」
「シャルもレオン大王が好きだったとはね」
「騎士なら当然じゃない? 聖騎士学校でもレオン大王をお手本にしている人が多かった」
「やっぱりね。ところで、バルトリには行ったことある?」
「ううん。旅に出たばかりだから、まだ他の国には行ったことないんだ」
「じゃあ、混沌の地でレオン大王の遺跡を見て、あとでバルトリにも行ってみようよ」
「うん。あそこの大きなレリーフがすごく格好いいって聞いたよ。実際に見た人から聞いたけど、レオン大王やキベレのゲール様をはじめ、当時の英雄たちの姿がまるで目の前にいるみたいにリアルだって」
ラリサは、仮面をつけた2人の騎士が昔の英雄について楽しげに語り合う様子を、少し不思議そうな表情で見守っていたが、頃合いを見計らって口を挟んだ。
「見終わったなら、次の場所に行こうよ。どうせ私たちは中にも入れないんだし、他のところをもっと見て回ったほうがいいって。あっちに行こうよ、あっちにも素敵な建物がたくさんあるよ」
そこを離れる前に、クラレンスは宿の外観を一通り見渡して感嘆した。
「それにしても、立派な建物だなあ」
ラリサが唇を尖らせて言った。
「お値段はもっと立派よ。ここ、一泊で私たちの宿の一か月分。食事だけでも一週間分だって」
シャルは肩をすくめて言った。
「いつか、食事でも一緒にしよう」
「そんな日が来るといいわね」
ラリサは、小さくため息をつき、先頭を歩き出した。
*** ***
その夜、宿の部屋に集まった3人は、クラレンスが持ってきた『レオン大王伝記』を覗き込んでいた。クラレンスとシャルが一日中、レオン大王の話で意気投合した結果だった。ラリサもその本には興味を示していた。
「高級そうな本だね。めっちゃ高そう。挿絵もすっごく綺麗」
ラリサは本を覗き込み、感嘆の声を漏らした。
「18歳の誕生日に、友達からプレゼントでもらったんだ」
「こんな良い本をプレゼントしてくれるなんて、その友達とてもお金持ちなんじゃない?」
「うーん、私の友達の中では一番お金持ちかな。家が大きな商会をやっているから」
「それならまあ納得だけど、それにしても、こんな高価なものを贈るなんて……もしかして、女の子?」
「ううん、男」
「じゃあ、異性としての意味はないか」
ラリサは小首を傾げた。
シャルが言った。
「それだけ、クラレンスのことを大事な友だと思っているってことでしょう」
クラレンスは、二人が自分を男として見ていることにふと気づき、真実を話すべきか少し迷った。しかし、まだ鎧を脱ぐこともできない。少なくとも、自分の姿を見せられるようになってからの方がいいだろうと考え直した。
「レオン大王って、本当に格好いいよね。私、レオン大王の話をロマンス小説で読んだことある。あれにも挿絵はあったけど、こっちの方がずっと素敵。どうせなら、カラーだったら、もっと良かったのに」
ページをめくりながらラリサが惜しそうに言うと、クラレンスがそっと言った。
「カラーの絵も持っているけど、見る?」
「ほんとに? 見たい!」
クラレンスが筒の中から絵を取り出して広げると、ラリサは思わず感嘆の声を上げた。
「わあ、カッコいい!」
満月を背景に、黒い馬にまたがった若き騎士の姿だった。黒地に銀の紋章があしらわれた鎧を纏い、鍛え抜かれたしなやかな体、明るい金髪にエメラルドの瞳を持つ美男子だった。
「あ〜、こんな人、一度でいいから、実際に会ってみたいなあ」
ラリサがため息をつくと、シャルが口を開いた。
「もし、こういう男の人が本当にいたら?」
「えっ?」とラリサがきょとんとして見ると、シャルが説明した。
「ブレイツリー帝国の第一皇子が、レオン大王に大変似ているんだって。それで名前も『レオン』。レオン大王の再来だって言う人も多いらしいよ」
「ほんとに?」
クラレンスが興味を示すと、シャルはさらに詳しく語った。
「見た目だけじゃない。18歳の誕生日には、〈ラカンの弓〉を贈られて、その後の狩猟大会で、一本の矢で牡鹿を3頭射抜いたという」
「それって、レオン大王がアデルライド大王と婚約した後の狩猟大会で成し遂げた偉業とまったく同じじゃない!」
クラレンスが興奮して声を上げた。
シャルはうなずいて、さらに続けた。
「それだけじゃない。20歳の誕生日には〈クラッパハツの凶暴〉を贈られて、数日で自由自在に使いこなしたんだって」
「〈クラッパハツの凶暴〉って、暴龍クラッパハツから出た魔石と神の金属で作られた、あの剣のこと? レオン大王と英雄大公セルティア以外には、使いこなせる者はいないと聞いたけど。
それなら、〈レオン大王の再来〉って呼ばれても納得だね。遠くからでも、一度でいいから見てみたいなあ」
ラリサが首を横に振った。
「無理に決まってるでしょ。帝国の第一皇子だよ? 私たちみたいな一般人には、空の星よりも遠い存在だもの」
「星より遠いって?」
シャルが聞くと、ラリサは真顔になった。
「当たり前じゃない。空の星は夜になれば見えるけど、帝国の第一皇子なんて、私たちがどうやって見るのよ?」
「見るだけなら、可能かもしれない」シャルが言った。
「もし第一皇子が皇帝に即位したら、帝都シトマで戴冠のパレードがあるはずよ。その時期に合わせてシトマに行けば、遠くからでも姿を見ることはできるかもね」
「そんなすごい人なのに、どうして〈もし〉なんて言い方をするの? もう決まっているんじゃないの?」
「双子の弟である第二皇子も、また相当な逸材らしい。学問はもちろん、魔法の才能も抜群で、第二皇子を皇帝に推す勢力も侮れないって。
今の皇帝も、どちらを後継者にするか、決めかねているみたい。下手したら、帝国内で内戦になるかもしれないって噂もあるよ」
「〈レオン大王の再来〉って言われてるのに、それでも争いになるの?」
シャルは肩をすくめて言った。
「王が必ずしも最強の戦士である必要はないからね。政治はまた別の分野だし」
その言葉を聞いて、しばらく黙って考え込んでいたクラレンスが口を開いた。
「とにかく、もし第一皇子が皇帝になったら、そのタイミングでシトマに遊びに行こう」
ラリサは首を振った。
「そんな簡単な話じゃないわよ。お金がどれだけかかるか、分からない。シトマって、ただでさえ観光客が多いところなのに、そんな式典があったら、宿泊費も食費も跳ね上がるに決まってる。そこまでの旅費だって、バカにならないし」
「今から貯金すればいいじゃない?」
ラリサは驚いたようにクラレンスを見つめた。
「クラレンスの口からそんな言葉が出るなんて……本気でレオン大王のこと好きなんだね?」
「うん。小さい頃から憧れていたんだ。いつかあの方みたいになりたいって、ずっと思っていた」
ラリサはさらに意外そうな顔をした。
「ほんとに意外。クラレンスがそんなに出世志向だとは思わなかった」
「え?」
「だって、レオン大王って、まさに〈出世の極み〉って感じじゃない? 考えてみて。
田舎の無名の騎士の家に生まれて、子供の頃に戦争で父親まで亡くしたのよ? そんな逆境を乗り越えて成長して、混沌の地で数々の冒険をして、魔剣の主になった。その後は、大国の美しい女王と結婚して、最終的には世界を危機から救う英雄になったんだから。これ以上のサクセスストーリーって、他にある?」
シャルは腕を組み、首を傾げた。
「うーん、間違ってはいないけど……そういう解釈もあるんだね」