10. 冒険者ギルド
無法者どもと遭遇した影響で、馬車は予定より少し遅れて、翌日の夕方遅くに境界都市キヘンナへと到着した。
クラレンス一行は街の中心広場で馬車を降り、御者や傭兵たちと共に冒険者ギルドへ向かった。そこでまず、無法者らに懸けられていた賞金を受け取った。
黄金の騎士は、自分たちの取り分のかなりの額を馬車の修理費として御者に渡すよう提案した。自分の黄金の鎧が襲撃の原因になったと考えたからだった。御者はたいそう感激し、何度も頭を下げて礼を言った。
続いて一行は、ギルドで冒険者パーティーの登録申請を行った。ギルドの受付嬢は、クラレンスの鎧を見るなり、首をかしげた。
「普通は初登録の場合、木級か鉄級での登録になりますが……騎士様の装備を拝見する限り、どう見てもそれ以上の等級かと……」
困ったような顔をした受付嬢は、上役の主任を呼んできた。主任の判断は、「等級判定をしてみましょう」というものだった。
「ちょうど、うちのギルドには、引退した銀級冒険者の判定官がいますが、よろしいですか?」
突然、銀級冒険者との対戦を言い渡されて、クラレンスは気が進まなかったが、鎧が勝手に受けてしまった。
― どうせ動くのは我なのに、お前が断る権利があるとでも? 銀級くらいじゃないと、相手にならんだろうが。
翌日の午前中に等級判定を受け、正式に登録することになった一行は、その日はギルドを出て宿を探しに向かった。
広場の周辺は、高級レストランや高価な宿、高級住宅街が並ぶ地区であり、クラレンスたちの懐事情では到底泊まれるような場所ではなかった。案内役のザヴィクが、かつて自分がこの街に来たときに泊まったという宿を目指して、裏通りへと歩を進めた。
その宿は、大通りから外れてしばらく歩いた先、街の裏路地にある貧民街の一角にあった。貧しい初心者の冒険者が主に利用する、古くて汚れた安宿だった。外観もみすぼらしいが、特に2階へ続く木製の階段は、見るからに老朽化していて、今にも壊れそうなほどギシギシと軋んでいた。
階段が崩れでもしたら大変だと、クラレンスは壁に寄り添い、慎重に一歩ずつ足を運んだ。
屋台で買ってきた食べ物で簡単に食事を済ませ、クラランスは軋むベッドにそっと身を横たえた。決して快適とは言えない宿だが、クラレンスの胸は新たな冒険の始まりに高鳴っていた。
どんなにみすぼらしい出発でも、これが本当の冒険の始まりなのだと。
*** ***
翌朝、クラレンス一行は大通りに出て、年老いた荷馬が引く荷車に乗って広場へと向かった。銀級冒険者との等級判定が予定されているのに、歩いて体力を消耗しては意味がないと、ザヴィクが頑として荷車移動を主張したのだ。
ここでも問題になったのは、例によって黄金の鎧の重さだった。ラリサの粘り強い交渉の末、クラレンスの料金は5人分にまけてもらうことになった。燦然と輝く鎧を着けて荷車に乗る彼の姿は、行き交う人々の視線を引きつけていた。
冒険者ギルドに到着したクラレンスたちは、ギルド内の武闘場の控室へと案内された。
都市内での戦闘は禁じられているため、この武闘場は等級判定や真剣勝負を希望する者たちが合法的に戦うことのできる、特別な場所だった。
控室で待機していたクラレンスは、いよいよ入場の時が来ると、観客席に既に大勢の人が集まっているのを見て、目を見張った。「銀級冒険者が新人の等級を判定する」という掲示を見た観客が、入場料を払って見物に来ていたのだ。
「こんなに堂々と公開するものなの……?」
ラリサが観客を見渡して、ぽつりと呟いた。
やがて、判定役である銀級冒険者が紹介され、続けてクラレンスの名前が呼ばれた。クラレンスは緊張して前に出た。
対面に現れたのは、50代でがっしりとした体格の男・引退した銀級冒険者のシルファンだった。手には長い柄の巨大なウォーハンマーを携えている。
(銀級ってことは、かなりの実力者だよね。長引いたりしないかな……)
クラレンスはやや不安になって、こっそり鎧に尋ねた。戦闘後に押し寄せてくる筋肉痛と全身の疲労が、今から気になっていたのだ。
― 長引くつもりはないぞ。お前が保たないだろうからな。
(……私が持たない、と?)
― そうだ。我が主導するとはいえ、好き勝手に動けるわけじゃない。基本的に、我は鎧だからな。お前が限界に達したら、それでおしまいだ。
だから、いつも言っているのだ。さっさと実力を上げろって。
(もし限界を超えちゃったら、どうなるの?)
― 心配するな。あの程度の相手で、そんな事態にはならん。
黄金の騎士は、大剣を真っ直ぐに構えた。
対するシルファンは、神経を張り詰め、その姿を見つめていた。新人が登録に来たと聞いており、見た目の装備からして、金に物を言わせた成金の坊ちゃんかと思っていた。
だが、あの騎士は、ただ立っているだけで異様だった。巨大な壁に真正面から立ちふさがれたような重厚さと堅牢さ、圧倒的な威圧感。
どこをどう見ても、隙がない。幾多の実戦で培ってきたシルファンの直感は、目の前の相手が「恐るべき強者」であることを、確かに警告していた。
(下手に踏み込めば、逆にやられる)
シルファンがなかなか動こうとしないことに、観客席がざわめき始めた。その背後に座っていた友人のランファが、大声で声をかけた。
「何やってんだよ、シルファン! さっさと終わらせて、一杯やりに行こうぜ? このままじゃ日が暮れるぞ!」
シルファンは相変わらず黄金の騎士を凝視しながら、不機嫌そうに吐き捨てた。
「うるせえ、黙って見てろ。お前から、ぶん殴る前にな」
若かりし頃、全盛期の自分なら、駆け引きで相手の隙を伺いつつ、巧みに攻めることもできただろう。だが、今の自分に、そんな余力も、そんな意味もない。命を懸けるような戦いではないのだ。
かといって、この人目の中でみっともなく負けるのもごめんだ。
(……一か八か、勝負を仕掛けるか)
シルファンは、大声で黄金の騎士に呼びかけた。
「お互い暇じゃあるまいし、ダラダラやるのも性に合わん。どうだ、俺が一撃お見舞いする。それを防ぎきれたら、あんたの勝ちということで?」
応じなければそれまで。でも、言うだけ言ってみる価値はある。
意外にも、黄金の騎士はあっさりと頷いた。
「承知しました」
了承を得た今、もう迷うことはない。シルファンは、気合を込めて闘気を高めた。膨れ上がる筋肉に血管が浮かび、握ったウォーハンマーにはうっすらと光が走った。
己の全力を叩き込む覚悟で、彼は雄叫びと共に駆け出した。地を蹴り、一気に加速―そして高く跳び上がる。空中から振り下ろされる、全力の一撃。ウォーハンマーが閃光となって、黄金の騎士の頭上を襲った!
しかし、黄金の騎士の左手が、ハンマーの頭をがしりと掴んだ。シルファンは、衝撃のあまりに。一瞬凍りついた。
(な……!? 手で……この一撃を……!?)
信じられない光景に、彼の思考が止まる。
次の瞬間、黄金の騎士の振るった深紅の大剣が、強烈な一撃でシルファンを吹き飛ばした。
「うわああッ!!」
シルファンの絶叫が響く中、彼の身体は宙を舞い、武闘場の反対側の壁に激突して、鈍い音を立てて崩れ落ちた。
観客席は驚きのどよめきに包まれた。ランファが慌てて駆け寄ってきた。
「お、おい!? 生きてるか!?」
壁に倒れ込んだシルファンは、呻きながら鼻血を拭った。顔全体が赤く染まっていたが、致命傷はなかった。大剣の広い刀身による打撃で、殺傷力はなかったのだ。
鼻血をぬぐい、シルファンは落ち着いた口調で黄金の騎士に言った。
「……見事な武芸だ。あんたの勝ちだよ」
ギルド所属の回復術師が駆け寄ってくるが、シルファンは手を振って断る。
「このくらい、どうってことないさ」
そう言って彼は、地面に転がっている自分のウォーハンマーを拾い上げ、黄金の騎士のもとへと歩み寄り、小さな声でこう言った。
「ありがとうよ」
どうあがいても勝てる相手ではなかった。これだけやれたのなら、若き騎士に手加減してもらったと言ってもいいだろう。
自分の控室に戻ったシルファンは、その場にどさりと腰を下ろした。力が抜けたように膝が震え、深く息を吐く。
「ふあ〜……どうなることかと思ったぜ。ちくしょう、両方の鼻から血が出てると、呼吸もできやしねえ」
そこへ、ギルドマスターのパリフがやってきて、問いかけた。
「あんたの目から見て、どうだった?」
「どうだった、だと? 見てただろ。あれは……少なくとも金級以上だ。あの鎧の中の奴、冒険者としては知らんが、戦士としては間違いなく、ベテラン中のベテランだ」
「ふむ……」
パリフは頬に手を当て、何やら考え込んでいた。
「……で、回復術師はまだか? こっちはもう死にそうなんだが」
シルファンがぼやいた。
「自分で必要ないって言ってただろう?」
「人目があったから、格好つけただけだっつの! 痛ぇ! 体じゅうギシギシいってる! さっさと回復術師呼べ、頼むって!」