青薔薇の花泥棒 八話「増える過酷、朝の決意」
途中で仮眠を挟みつつ、手記を読了した。
本には空想や神話の世界の話としか思えないことばかりで何度も目を疑った。
俺の本の内容は、主にこの事件の元凶となる邪神の封印方法についてだった。
その神は破壊神ウィストエル・ツェアシュテ・ルクティ。
悪逆非道の限りを尽くし、そして封印された最悪の邪神。大量虐殺に関する神話の半分以上はコイツが関わっている。そんな存在が厄災、及びこの事件の原因なのか?
世界各地で人々を拉致し、その大勢の被害者を誰にも見つけられない場所に隠すなど、神くらいにしかできない芸当だがどうにも信じ難い。
まぁ、この事件を起こす他の手段があるかと言われても何も思いつかないが。
時計に目をやると午前五時頃を指していた。
先に読破していたリュビスは限界が来たのか、俺達を待っている間に寝落ちしたようだ。
「あ~やっと読み終わった~」
サフィールの方も済んだようだ。すぐにでも報告し合うか。
リュビスの肩を揺らし無理矢理起こす。寝息は止まない、目覚める気配は無い。
もう少し強めに揺さぶると瞬きをし始めた。彼女は目を擦りながら欠伸をする。
「……ん、おはよう。どうかしたの?」
「俺達も本を読み終わったから情報共有したくてな」
「分かった。あ、顔だけ洗ってきてもいい? 眠気覚ましに」
「いいぞ、行ってこい」
「ありがとう」
彼女は洗面所へ向かい数分後に戻ってくる。眠そうな顔がいつも通りに戻っていた。
「お待たせ。えと、誰から話そうか?」
「俺一番最初でもいいか? 二人より内容短ぇみてーだし、まずは軽めのやつで」
「了解だ」
リュビスも頷く。
「じゃ始めるな。俺の読んだヤツにはあの、親父さんのノートにあった神隠しの元凶と厄災の正体的な奴が封印されてる教会について書いてあったぞ。その教会に神隠しの被害者もいるみてーだ」
「その正体って、もしかして破壊神ウィストエル・ツェアシュテ・ルクティ?」
「あぁ! そう、そのウィストなんたらかんたら」
彼女は訝しげな眼差しでサフィールを見つめる。
「私の本にも出てきたけど、流石にそれは無いんじゃ」
「いやこれマジなんだよ。えーっと……あ、あった。ほら見ろよ、このページ」
サフィールが手記を突き付けてきた。
何処かの遺跡の壁画の文章を解読した時にこの名前が出てきたそうだ。
筆跡が異なる三冊全てに邪神のことが載っている。もうコイツが関係していると考えるしかない。
「うーん、とりあえずは信じるしかない、かな」
「そうだな」
「続けんぞ。教会がある場所はサクトゥリヒ・シュテラ文明の技術で建てられた神殿の地下だ。これの持ち主が描き写した地図を見た感じ、この街から西に数十キロ離れた森の中にあるみてーだな」
あの森にそんな物があるのか、初耳だな。
「ねぇ、ちょっと気になったんだけど。西の森って毎年行方不明者が何十人も出るほどの樹海だよね。こんな地図だけじゃ辿り着けないと思うんだけど」
俺もリュビスに同意する。
確かに、地図には目的地に印がついているのみで、他には何も無い。これだけを頼りにあの森をうろつけば、そのうち野垂れ死ぬことになるだろう。
奴らがそんな無謀なことをするとは思えない。
「あるみてーだぜ、迷わず行く方法。『紅い月の雫』とかいう魔法石と『銀世界のティアラ』とかいう魔法道具が揃うと、地面が光って神殿までの道を教えてくれるらしい」
「『銀世界のティアラ』!」
奴らが探していた物だ。
「アメティス、知ってるの?」
「あぁ、奴らがレオトポディウムさんに渡しているところを見たからな。ちなみに、『紅い月の雫』の方は捜索中だそうだ」
「お前……そんな重要そうなとこ目撃してんならさっさと言えよな」
「悪い、つい伝え忘れた」
完全に言うタイミングを失っていた。
「まぁいいか、続きな。この二つの道具は教会を開ける鍵にもなってるそうだ。こう、いい感じに組み立てて何かすると先に進める」
「何かするの何かについては書いてないの?」
「無い!」
組み立て方などは実物が手元に揃わないとどうにもならなそうだ。
その何かの方法も書かれた書物が無ければ分からない。必要だと判断したら、また奴らのアジトなどを調べなければ。
「先に進むと、宝座? まぁ祭壇があって、その、花嫁衣装を全部身に着けた選ばれた人間がそこに立つと、邪神が蘇るんだとよ。で――」
サフィールは一度言葉を止め、リュビスの方に目をやる。話すのを躊躇ってるようだ。
「あんま怖がらせること言いたくねぇんだけどよ」
「大丈夫、続けて」
リュビスは怯えた様子を露ほども見せない。
「邪神が蘇ると、ソイツが住んでいる異空間にある別の教会の扉が開く。そこで邪神は花嫁と結婚式を催すそうだ。神隠し被害者や信者の前で花嫁に無理矢理愛を誓わせる。で、それが終わると」
サフィールは目を閉じて息を吸った。
「花嫁を、神の世界に引きずり込むそうだ。その後どうなるかは分からねぇ」
「……多分、もう二度とここには帰れないと思う。破壊神が関わる神話に登場する人間の殆どは殺されてるし……」
寝ぼけた頭を働かせて、レオトポディウムさんと執事の会話を思い出す。
彼女の生死に関して特に言っていなかった。だが、邪神に関わって無事なんてことは無いだろう。
この事件を解決しなければ、リュビスに二度と会えなくなる。
そんな未来、あってたまるか。
「アメティス、怖い顔してる」
「あ、悪い」
知らないうちに顔に出ていたようだ。
「大丈夫。まだ邪神をどうにもできないって決まったわけじゃない。だから、そんな顔しないで」
リュビスは平気そうに言うが両手は少し震えていて、涙が目尻から零れ落ちそうになっている。
その手の上に自分の手を重ねた。何もせずにはいられなかった。
「ありがとう」
彼女は笑いかけ、俺の手を握った。
こんなことしかできないが、少しでも恐怖が薄れてくれたらいい。
「あーっと、俺が話せんのはこんくらいだな。次、どっちが話すんだ?」
「じゃあ私、いいかな」
「あぁ」
「私の読んだ本には主に花嫁衣装について書いてあった。この衣装は、真実のネックレス、尊敬のサッシュベルト、感謝のブレスレット、幸福のベール、情熱のマント、信頼と誠実のイヤリング、希望のヘッドドレス、愛情のドレス、栄光と努力のアームカバー、そして永遠の指輪で構成されている……って、アメティスは知ってるよね」
「あぁ。ちなみに指輪以外は全て揃ってる」
指輪だけは盗めずにいる。恐らくアジトかレオトポディウム邸のどちらかにある、どちらにせよ手に入れるのは容易ではないが。
「衣装は破壊神が作った物でいつかはこれを唯一着られる人間のところ、つまり私の元に集まるように呪いが掛けられているそうなの。呪いはとても強くて人がどうこうできる代物じゃないみたい」
「神が掛けたモンだからな。そりゃそうだろ」
奴らがいなくても別の形で事件に巻き込まれていたってことか。
「あ、あとアメティスの仮説、衣装が探知機になっているってやつ、当たってたよ。他には、あの薔薇のマーク、あれは真実と愛を司る女神ウェラモ・ヴァルファト・リベの力の一部が込められてて、衣装にある魔法薬を掛けた状態で全て身に着けるとその力が使えるようになって、邪神に攻撃できるようになるみたい。博士の手記にあった黒い十字架の効果も打ち消せるらしいよ」
「なーんか、すげぇ話になってきたな。選ばれた奴だけが神殴れるとかよ、伝説の勇者みてぇだな」
「勇者とは違う気がする。女神の力はあくまでも弱体化させることくらいしかできないみたいだし」
「え、なんでだよ?」
「私の身体に大きな負担が出ないようにって。でも封印できるようにするには十分な力らしい。どんな力なのか、封印のやり方とかは書いてないけど」
「ほーん、でも選ばれた奴ってとこは変わんねぇな」
全くだ。
何故彼女がこんな危険な役目を負わされてしまったのだろう。
「で、これが最後の情報。衣装には邪神の力の一部が封じられているって」
「ん? 邪神の力が封印されてる? 邪神がリュビス狙ってる理由ってそれじゃね? 衣装が近くにあれば力を取り戻して封印破るとかできんだろ」
「衣装だけが目的なら呪いの内容を別のものにする筈だ、衣装に触れた人物は邪神の傀儡になるとかな。リュビスの元に集める必要は無い。さっきのサフィールの情報に邪神が結婚式を開くとあっただろう、邪神はリュビス自身を狙ってると考えられる」
「力を完全に取り戻す方法がリュビスとの結婚なのか?」
「分からない、俺の本にもそれについては書いてなかった。邪神関連の書物を調べれば何かあるかもしれない」
サクトゥリヒ・シュテラ文明の花嫁衣装ということで、文明が信仰する神々の内婚姻や結婚の神達、文明そのものにばかり焦点を当てていたため、破壊神の本には今まで手を付けていなかった。
ウェラモ・ヴァルファト・リベの本は何冊か手を付けたが、神話が多すぎてこの事件に関連した話を探せなかった。
破壊神と女神の二つの要素があれば絞れる。三人もいれば近いうちに見つけられるだろう。
「そういえば、アメティスの方はどうだったの?」
「そうだな。俺の本には邪神の封印について書かれていた、一部だけだがな」
「リュビスの本の内容と絶対関わってんだろ」
「そうだがまぁ待て、順に説明する。まずは封印の状況についてだな。今掛けられている封印は約千年前に成されたもので、年々弱くなっているらしい。ある遺跡の壁画を解読したところ、邪神の封印はそれを行った時から数えて四千年程しか保たないそうだ」
「つまりあと千年経ちゃ勝手に破壊神が復活するってことだろ?」
「壁画の言葉をそのまま受け取るならな。手記では、封印が弱まる度に邪神がこの世界に干渉できるようになる、したがって千年経たずとも復活すると考察されている」
組織の奴らが自分の意思で動いているのか、邪神の洗脳で操られているだけなのかは不明だが、この事件を放置すればこの現代に邪神が蘇ることになる。
今起きている神隠しが比にならないほどの被害が出るのは明らかだ。力の一部を封じられているとはいえ神、復活すればこの国が崩壊する可能性もある。
「次は封印方法についてだな。封印には女神が作った五つの宝具が必要で、手鏡、ペアワイングラス、櫛、ハイヒール、双剣がそれだ。これらは共通して暗所で赤く光る狼の模様が描かれているらしい」
印を模写したページを見せる。ふさふさの尻尾を持った狼のシルエットが遠吠えをしている。
「衣装以外にも道具を集めねぇとか。場所の手掛かりは書いてあんのか?」
「手鏡と櫛に関しては大まかな場所が載っている。手鏡はこの街から北西に約七十キロ離れた古城、櫛は北に六十キロ離れた神殿にあるそうだ」
「二箇所だけかよ。残りは地道に調査しねぇとか」
サフィールが不平不満を漏らすのをよそに、リュビスは無言で何かを考え込んでいる。
「どうした?」
「いや、暗い場所で赤く光る何かを結構前にこの街の何処かで見た気がするんだけど、思い出せなくて。意匠が狼の形なのか、それが付いてた物がその宝具なのか、今の話を聞いてもさっぱりで。もしかしたら私の勘違いとかかも」
特に心惹かれない美術品なんざ気にも留めない。記憶が曖昧になるのも当然だろう。
この街で目撃したのなら、宝具の内の一つが街の博物館や美術館といった施設の中にある可能性がある。劣化などを防ぐ為に窓辺に展示物を置くことは避けるため、夜建物の窓から光が偶然見えたということはほぼほぼ無いだろう。
つまりリュビスは入場できる時間帯で、かつ室内が暗めな展示室を持つ施設で目視したと考えられる。こういった展示物を扱うのなら、光るという特徴を活かす為に部屋の照明を落とす演出を行う施設の可能性もある。
該当する場所に直接向かえば何か分かるかもしれない。
「一応覚えておこう。宝具を探す手掛かりになるかもしれないからな」
「そうだな。もしかしたら宝具探してる時に一気に思い出して、超重要なことが出てきたとかあるかもしれねぇな」
「うん」
ある程度施設を絞れたら全員で行ってみるか。
「話を手記の方に戻すぞ、封印の手順についてだな。ただ一部しか書かれていない、だから実際に行う為にはもっと資料が必要だ。現状判明していることは主に三つ。封印の儀式を始める前に花嫁が邪神を攻撃し、邪神の力を衣装に吸収させて弱らせる必要がある。儀式をする時清めた宝具を、邪神を囲むようにして置く。設置した後宝具に女神の力を注ぎ呪文を唱える」
「宝具を清める方法や呪文とかは書いてないの?」
「ないな。ここからは俺達で調べるしかない、頑張るしかないな」
サフィールはため息を吐き、リュビスは困ったように笑った。
集めなければならない情報が次から次へと増えていけば、嫌気が差してくるだろう。
報告するべき内容を確認するためページを流し読みする。あらかた報告はしているな。
最後の方の文章を目にしてページを捲る手を止めた。
この文、本当にそんなものがあるのか? この情報を共有したら混乱するんじゃないか?
でも本当にあれば父さんもリュビスも、この世界に生きる全員があの糞垂れの組織や邪神に振り回されることは無くなる。本当であってほしい。少しでも希望があるなら。
「それと最後に、邪神は消滅させることができるらしい。言うかどうか迷ったが一応伝えておく」
「邪神を消滅……ってことはこんな事件が二度と起きなくなるってこと?」
「あぁ。だが封印方法より曖昧なことが多い。ある道具と条件に適した人物が必要なことと、花嫁が力を使える状態であることをするとソイツもその能力を使えるようになることしか分かっていないらしい」
「うーん、それができりゃあ封印した後またすぐ組織が神復活させるーとか防げて安心だけどよ、情報がカツカツ過ぎてなぁ。調べたくても調べらんねぇよ」
サフィールの言うことはごもっともだ。具体的な単語が無いため、どの資料を読めば次の情報が得られるのか見当も付かない。情報収集の優先順位は低くなるだろう。
でも無駄な情報ではない。三人で優先すべき情報を集める傍ら、一人で探してみるか。
「これで俺から話すことは終わりだ」
「今までの話を纏めると調べなきゃいけないことは主に五つだね。紅い月の雫の在処、他の宝具の在処、宝具の清め方、花嫁衣装に振りかける薬、そして封印の呪文」
「これ本当に全部探しきれるのか? 美術館・博物館のサクトゥリヒ・シュテラ文明の展示解説もすげぇふわふわだしよ、俺達が読める本ごときで何とかなるとは思えねぇ」
「博士の研究資料がもっとあればなぁ。でも研究所の資料はアイツらに殆ど盗られちゃったし」
やはり物が無いとどうにもならないか。せめてサクトゥリヒ語の簡単な翻訳辞書みたいな物があれば、図書館や教会に保存されている資料の一部を解読できそうなんだが。
「そういえばこの前アメティス言ってたよね、私のお父さんが博士の手記を読んでいたかもって」
「あぁ」
「それなら家に何かしらの手掛かりが残っているかもしれない、探してみよう」
「掃除の時おじさんの部屋を調べてみたが、特に何も無かったぞ」
「工房の倉庫とかならあるかもしれない。あそこはごちゃごちゃしてるから、いくらアメティスでも一人じゃ探しきれないと思う」
倉庫か。あそこはおびただしい数の絡繰りや器具が保管されている。何度か行ってみたが、物が多すぎて半分も調べられていない。収穫は今のところゼロだ。ヒント無しで探すのはやはり厳しい。
「あとは、アメティスが入らないような部屋とか?」
「いや、入れるところは全て見た」
普段立ち入らない部屋は掃除を頼まれた時に調べている。
「うーん。家には開かずの間みたいな部屋は無いしなぁ。今アメティスが使っている部屋も探した?」
「あぁ、手記を手に入れた頃真っ先にな」
「そっか」
リュビスの家で探し尽くしていない場所なんて倉庫以外にあるのか?
「なぁ、ちょっと気になったんだけどよ」
「どうした?」
「リュビスの部屋に入ったことはあんのか?」
「……あ」
そういえば無いな。おじさんが彼女の部屋に事件に関する物を隠すとは考えられなかったからだ。
もし彼女がそれを偶然見つけてしまったら、彼女は事件に首を突っ込もうとする。おじさんもそれは予想できた筈だ。それは可能な限り避けようとするだろう。
だからありえないと思い込んでいた。
「その感じだと無さそうだな。もしかしたら何かあるかもしれねぇ、探してみようぜ」
「今まで過ごしててそれっぽい物を見たことは無いから、私が普段動かさない場所にあると思う。家具の裏とか下とか。紙の一枚や二枚なら十分隠せるだろうし」
「そんじゃ今夜片っ端から動かしてこうぜ」
もしかしたら、倉庫にある絡繰りの内どれを解くべきかが記された紙があるかもしれない。
「うーん、リュビスの親父さんが残した手掛かり以外にも情報が欲しいよな。この家にまだ隠されてるとかはありえねぇだろうしな。ありそうな場所、他に無えかなぁ」
自宅は散々調べ尽くした。新たな情報はもう無いだろう。
他に手掛かりがある場所。あるとしたら警察署か?
あそこには父さんの研究室で盗まれなかった物、主に家具が証拠品として保管されている。
あれらの家具はまだ手を付けてない。何かあるかもしれない。
事件が起きた当時は警備する警官の数が多く侵入が困難だったため諦めた。
しかし今は神隠しによる行方不明によって警官の数自体がかなり減っている。署内の監視に割ける人員は少なくなっているだろう。行ってみるか。
「あるとしたら警察署だな、研究所襲撃事件の証拠品の中に手掛かりが隠されてるかもしれない。今夜忍び込んでいろいろ触って確かめてくる」
「大丈夫? 数時間前アジトに行ったのに今夜も研究所を探索して、疲れて動けなくなっちゃうよ。それに警察署なんて、一歩間違ったら捕まっちゃう」
「平気だ、少し休めば回復する。勿論、警備の様子を見て危険だと判断したら何もせず帰ってくる」
「平気ってお前すぐ痩せ我慢するからなぁ。いいか、お前が倒れたりいなくなったりしたら、諸々詰むんだからな。そこんとこ重々理解しろよ」
サフィールは俺の顔をじっと覗き込んだ。
「今んとこ顔色は普通だな、俺が見ても分かる。でも後からどっと疲れが出るとかあるかもしれねぇ。無茶はすんなよ」
「あぁ、わかってる」
「俺にヴォルール・ド・マリエの代わりができたら負担減らせたんだけどなぁ。幻覚魔法からっきしだし、知識も無えから足引っ張ることしかできねぇけど」
「気持ちだけで十分だ、ありがとな」
仮に技術があったとしてもそれをやらせる気は無いけどな。
協力してくれるのは嬉しいが手を汚させたくない、危険な目に遭わせたくない。そうさせないといけない日はいつか来てしまうだろうが、できる限りさせたくない。
「えーっと、とりま今日はリュビスの家を調べる。アメティスは行けそうだったらその間警察署見てくる。で、何か見つかったら、それを元に具体的な計画を立てる感じで」
「うん、そうしよう」
「よしっ! 今日やること決まったし朝飯作ってくるわ、二人は休んでてくれ。調査やら衣装補強やらで疲れてるだろ? 大丈夫、大丈夫。旨いの作ってやっから」
サフィールはキッチンに向かった。
お言葉に甘えて今は休ませてもらおう。ソファにもたれて力を抜く。
リュビスも同じようにもたれ掛かる。
彼女の顔が一瞬沈んだ表情になる、無理も無い。自分が邪神などという人類が太刀打ちするには到底不可能な存在に狙われていて、下手したら死ぬかもしれないなんて知ってしまったら、誰だってそうなる。殺害予告をされているようなものだからな。
「なぁ、リュビス」
「どうしたの?」
「お前、逃げ出したくならないのか? あんな話を聞いて」
彼女は不思議そうな顔をする。
「この街から逃げ出して、各地を転々とすれば組織や邪神の為に死ぬことは無くなる。自分から事件に深く関わって奴らに捕まる確率を上げる必要は無い」
「無理だよ、逃げるなんて」
紅い目が吊り上がる。
「私が逃げたら皆を救う方法が無くなる。仮に捕まらずに逃げ延びたとしても心が磨り減るし、私だけ無事じゃ意味が無い。大切な人達と笑い合って生きていたいから」
凜とした声で言葉を返していく。俺が反論する余地が無い。
反論することは彼女の大切な人を全員見捨てろと言うのと同じだからだ。
「アメティス達こそ、こんな危険なことに関わらなくて良いんだよ。元はと言えば私が邪神なんて存在に呪われてるから。私がいなければ、神隠しも博士の誘拐も起こらなかった。だから私一人が全ての責任を――」
「違う! お前の所為なんかじゃない、悪いのは全部奴らだ。それに俺達から家族や友人を奪った奴の悪事が達成されるのを、指咥えて黙って見てるなんて腹の虫が収まらない」
「そう、私も同じ気持ちなんだよ。死と隣り合わせなのは勿論怖い。でもそれ以上に皆がいない方が嫌だし、この事件を終わらせたいの。だからそんなこと二度と訊かないで」
隠していた真実を全て打ち明けたあの夜より力強い言葉、固い決意。
「悪かった。もう事件に関わるな、なんて言わない。一緒に生きて皆を取り戻すぞ」
「うん」
彼女のこの返事で今の会話は終わった。
なんとなく一緒にいるのが気まずくなった。完全に自分の所為だが。
「私ちょっと着替えとか朝の支度してくるね。朝食までには戻ってくるから」
「あぁ」
彼女はリビングから出て行った。
「おい、お前らどうしたんだ?」
今の会話を聞きつけたサフィールがキッチンから顔を出した。
「いや、何も」
「ふーん、なら良いけどよ。あ、そうそうアメティス」
こっちに向かってくる。俺の目の前で足を止めて睨み付けた。
「俺にも逃げろ、なんてふざけたこと抜かすんじゃねぇぞ。世界云々以前に家族と友達拉致られてんだ、最後まで付き合うぜ。神隠し終わらせんのにお前らだけに命は懸けさせねぇよ」
「重々承知してる」
「本当か~? まぁ無理矢理でもひっついていくからな、覚悟しとけよ」
そう宣言し彼はキッチンに戻った。軽快な包丁の音が鳴り始める。
俺も準備をしなければ。着替えに自室へ向かう。
さっきは共に事件を解決すると彼らの意思を尊重した答えを何とか返せたが、目の前からいなくなるともう一つの気持ちが徐々に湧き上がってくる。
本当は危険な場所にリュビスを連れ回したくない。できることならひっそりとこの街を出て生き延びてほしい。勿論サフィールについてもそうだ。
ただそうすれば二度と母さん達は此処に戻ってこれなくなる。
リュビスは教会および封印の鍵だ。今判明している方法では、どうしても彼女を邪神の元に連れて行かなければならない。また封印という方法をとる場合、それに加えて彼女一人で邪神と戦わせなければならない。
現状どうやっても彼女を事件と切り離せない。
サフィールはまだ危険な状況に陥る前、もしくは陥ったとしても説得、最悪騙すことで辛うじて手を引かせることはできる。彼女はもう手の打ちようが無い。
自分が狙われているどころか死が側にあることに、どれだけの恐怖と絶望を覚えただろうか。
あと何度、彼女に平気なフリをさせてしまうのだろうか。
俺が組織やら邪神やらの全ての攻撃から庇えれば、彼女を十分に援護できる力があれば、彼女を心の底から安心させることができただろう。あんな気休めなんかでは救えない。
まぁ、俺がそれほど強ければあの時父さんを奪われることは無かっただろうが。
とにかくこんな状況で俺がすべきことは事件の解決と、何が何でも二人を守り通すことだ。特にリュビスは身を挺してでもだ。
もう俺は誰も失いたくない、俺自身の命を落とすことになったとしても。
伸ばした手が大切な人に届かない、そんな思いをするのはもうごめんだ。