青薔薇の花泥棒 二十五話「束の間の日常」
朝五時、眠い目を擦りながら起きて準備した後、薬の材料を確認する。買える時に買って保管しておいたから足りないなんてことは無いだろうが、一応。
よし、全部揃っている。量も全て十分すぎるほどある。何回か失敗してもやり直せるな。
工房の入ってすぐの部屋で今ある材料を三人で手分けして砕いていく。
最初に手袋とマスクと白衣を装着して、材料に不純物が入るのを防ぐ。安全眼鏡も掛けて目を保護する。あとは換気扇を回す。これで安全対策は全部か。
次に必要な分だけ材料を量り取る。
その次に、できる限り小さくする為にすり鉢に材料を入れて棒で磨り潰していく。
魔法石はそこそこ硬いため、砂状にするのは骨が折れる。休憩を挟みながら作業を進めていく。
全て細かくし終えた。余分なタンパク質、糖類や脂質などが薬に入らないよう、これらの抽出をしていく。
材料ごとに抽出に使う薬品が異なるため、それらの準備をする。必要な薬瓶を取り出し、電子天秤を用いて、適切な量を用意する。別の容器に注いだ後、間違わないよう薬品名を書いたラベルを貼っていく。ラベルの付いた薬品をリュビスに手渡していく。
俺がこの作業をしている間に、リュビスがそれぞれの材料に合った薬を加えていく。
「俺、この間何してればいいんだ? どれとどれ混ぜていいか全く分かんねーぞ?」
「右の部屋に大釜と薪があるだろう。それで湯を沸かしといてくれ。水の量は薬のレシピ通りだ」
「了解、任された!」
そう言って隣の部屋に入っていった。
全ての薬品のラベリングが終わった。俺も抽出作業を行う。
親水性の薬品を加えて薬草を容器に押しつけるようにして潰していく。繰り返す度に薬が青く染まっていく。中の成分を順調に取り出せているようだ。
青空と同じくらいの色になった。これ以上色が変化する様子は無い。もう良さそうだ。
出来た液をろ過してフラスコに移す。
先程加えた薬品とは混ざりにくい、疎水性の薬品を加えて分液漏斗に全て注ぎ入れる。漏斗を優しく振り混ぜて数分待つ。青い層と透明な層の二つに分かれた。コックを開いて不要な透明な層を捨てる。同じ疎水性の薬品をピペットで漏斗内を洗い流すようにして滴下する。
青い層を未使用の試験管に入れていく。粉末を加えて脱脂する。
最後に白い魔法石を詰めた筒に青い液を通す。これで必要な成分の純度は高くなっただろう。
他の薬草や魔物の内臓なども抽出していく。加熱の有無や使用する薬品などの違いはあるが、基本的な流れは全て同じだ。
前処理を終えた液には材料名と調合する時に釜に入れる順番を書いたラベルを貼る。透明な物やパッ見似ている物もあるため間違わないよう対策をする。
作業を進めるにつれて不快な臭いが強くなっていく、内臓を扱っている時は特にだ。磯の匂いに酸っぱさや漢方の匂いが混ざったような感じだ。このままでは集中できない、換気扇をさらに回そう。
幾分かマシになった。作業に戻り、再び黙々と手を動かす。
「アメティス、こっちは終わったよ。そっちはどう?」
「あともう少しだ。ちょっと待っててくれ」
紫の抽出液を黒い魔法石を詰め込んだ筒に通す。
「よし、出来たぞ」
「それじゃあ、調合しに行こう」
各抽出液を持って右の部屋に入る。
人が一人入れるくらいの大きさの釜の下で朱色の炎が火の粉をはじいている。
「お、準備できたみてぇだな。こっちも準備万端だ、湯加減バッチリだぜ」
火の番をしていたサフィールがこちらを振り向く。
「釜の用意、ありがとな」
「良いってことよこれくらい、俺が今できんのはこういう雑用だけだからな。それじゃお二人サン、調合の方頼んだぜ」
「あぁ」
「任せて」
「あ、そうそう。火事になんねぇよう、消化器とか水とかいろいろ置いといた。万が一が起きたら使ってくれ」
「分かった」
伝えるべきことを伝えて彼はこの部屋を去った。
調合の前に最後の確認をする。レシピの文章を目で追っていく。
「入れる材料の順番は勿論レシピ通りに。ラベルに間違いは無い?」
「順番は一致している、大丈夫だ。次はそれぞれの液を入れるタイミングだな。材料を入れて二、三回攪拌した後に暫く泡が立つ。それが完全に落ち着いてから入れる」
「うん、それで合ってるよ。泡立ってる間は釜の中身を掻き混ぜることは勿論、釜に一切触れちゃいけないことも忘れないでね」
「あぁ、分かってる。あと注意しないといけないことは呪文を唱えるタイミングと掻き回すリズムか。詠唱は液体の色が変わってから三十秒以内に、かつ釜を混ぜながら行うんだったな」
「そうだよ。それと、リズムはこれくらいかな?」
リュビスは手拍子をしてリズムがどれくらいかを表現した。
「この速さで二拍につき一回動かす感じかな?」
「それだと少し遅い気がするな」
「それじゃあこのくらい?」
「そう、それが丁度良い。だが、作業していると気付かないうちにズレていきそうだな。この部屋にメトロノームとか置いてなかったか?」
「あったと思う。ちょっと待ってて、取ってくるから」
彼女は釜から離れた棚に近付き中を次々に覗き込んでいく。あの様子だと少々時間が掛かりそうだ。此処はたまに掃除する時にしか入らない、何処に何があるかを忘れても仕方が無いだろう。
俺も棚の方へ向かい上段を重点的に探していく。
「あ、もしかしたらこれかも。……あったあった。アメティス、見つけたよ」
「本当か」
彼女はメトロノームを棚の奥から引っ張り出した。
特に欠損や傷は見当たらない。問題無く使えそうだ。
「ありがとな。それじゃ、さっきのテンポに設定してくれ」
「了解」
さっきの手拍子と同じリズムで針が揺れるようにした後すぐ側の台の上に置いた。
「これで準備はできたね。早速調合しよう」
「あぁ」
釜の前に立つ。リュビスが最初の材料である紫の液を入れた後二人で数回掻き混ぜる。
泡が立ち始めたため手を止める。泡は膨らんで弾けて消えるのを繰り返す。暫くすると膨らみは徐々に小さくなっていく。
泡の姿が完全に無くなった。次の材料を彼女が注いでいく。
三つ目の材料を加え終わると、釜の中の液が紫から臙脂色になっていく。
呪文を唱えると液体が光を放ち始めた。魔法が上手く掛かったようだ。
作業を進めるにつれて色は、紫、臙脂、真紅、朱、山吹と姿を変えていく。煌めきも増していく。
全ての材料を入れ終えた。後は二十分間加熱しながら混ぜ続け、時折魔法を掛けるだけだ。
色は緑、浅葱、群青と変わっていく。煌めきはさらに強くなる、目を開けるのがやっとだ。
最後の呪文を詠唱する。目映い光に思わず目を閉じた。
再び目を開けると、液体が満点の星空のようになっていた。
二人で手を止めて棒立ちになる。
「これって成功、だよね……?」
「ちょっと待ってろ、確認する」
レシピを開く。今目の前にある液体は完成した薬の特徴に当てはまっている。
「ちゃんと成功したようだな」
「本当? やったぁ!」
彼女は満面の笑みで俺の手を握った。
「一回目で成功するなんて思ってなかった。アメティス達のお陰だよ!」
「いや、俺はただ手伝っただけだ」
「何言ってんの。細かいところとかいろいろやってくれたでしょ?」
「いや、まぁ、そうだが」
顔がほんのり熱くなる。改めてこう言われるとなんだか照れくさい。
「兎に角、完成したんだ。早く別の容器に移すぞ」
「うん」
大きめのガラスの瓶に薬を入れて蓋をしていく。
薬を光にかざしてみると、黒の中に少しだけ青みがあることが分かる。
薬はかなりの量がある。これなら全ての宝具を清められそうだ。
全ての瓶を適切な環境に保管する。
「これでよし。完成したことサフィールに報告しにいこう」
「あぁ」
白衣やマスクなどを脱いでリビングに向かう。
サフィールは俺達に気付いたのか食器類を洗う手を止めてこちらを振り向く。
「サフィール、薬できたよー」
「お、マジか。お前らあんなムズそうなヤツ一発で作るとかマジでスゲぇよ。流石!」
頭をワシャワシャしてくる。止めろと言ってもどうせ聞かないのだろう。
数分後、満足したのかやっと手を止める。
「あ、そうそう。昼飯できてるぞ。お前ら朝から何も喰ってなかっただろ。そろそろ何か腹に入れとかないと倒れるぞ」
現在、時計の針は二時前を指している。もうこんな時間か。
腹の虫が急に鳴き始める。
「オムライスとスープあるからそれ喰えよ」
「あぁ。ありがとな」
「ありがとう」
「いいってこれくらい。今日俺がやれることっていったらこれくらいだからな。それじゃお二人サンごゆっくりー」
彼は皿洗いを再開する。
お言葉に甘えさせてもらう。キッチンに置いてあったオムライスをテーブルに持っていく。まだ皿が温かい、保温が十分に効いていたようだ。
席に着き二人で手を合わせる。
「いただきます」
オムレツをスプーンで割っていく。中はとろとろで食欲をさらにそそる。
口の中に運ぶ。丁度良い塩加減だ。ケチャップライスのしょっぱさを卵が見事に中和している。
ケチャップライスにはタマネギとソーセージの他にチーズも入っていて食べ応えも十分ある。
兎に角旨い。リュビスも目をキラキラさせている。
「リュビス。口元、米が付いてる」
「え、嘘?」
彼女は米が付いていない方、右側をナプキンで拭う。
「そっちじゃない、こっちだ」
指で米の位置を伝える。今度はちゃんと取れたようだ。
「えーっと、今の、ちょっと恥ずかしいから忘れてほしい、かな…・・」
消え入りそうな声だ。顔もみるみる赤くなっていく。その姿につい口角が上がってしまう。
「ちょっと、顔、笑ってる」
「あぁ悪い。顔の米に気付かないほど凄く夢中になって食べていたから、旨いか?」
「勿論。いくらでも食べられそう」
「そうか。よかったな」
「もう、子供扱いして……。あ、そういうアメティスもお米付いてる」
「え、どの辺りだ?」
「ふふっ、嘘だよ」
「おい」
「さっき人の顔見てニヤニヤしてたお返し!」
彼女は頬を膨らませる。が、すぐに目を細めた。俺もそれにつられる。
その表情が、この時間がたまらなく愛おしい。事件も邪神も関係無い、なんてことのない日常が。
彼女が喜びや幸せなどといった表情をするとこちらも同じ気持ちになる。その顔に目が離せなくなる。もっと側にいたくなる、良いことが起きた時も、悪いことが起きた時も、全て。
リュビスのいろいろな顔を彼女の近くで誰よりも見てきた人間は、彼女の親御さんを除けばきっと俺だろう。それから先もそうでありたいと願ってしまう。
それを望めるだけの資格など無いのに。
まずこの事件を解決しなければならない。家族の安否も、いつ攫われるかも分からない状況だ。今は気が紛れているだろうが、恐怖や不安を押し殺している時もある筈だ。奴らを止めなければ平穏な日常はいつまで経っても戻ってこない。
次に今までしてきた窃盗の償いをしなくてはならない。いくら事件を終わらせる為とはいえ、警察や各施設の信頼を落としたのは事実だ。誰かの人生を滅茶苦茶にした可能性だってある。誰も彼もが納得して許してくれるわけじゃない。それが終わるまでは俺は幸せを掴んではいけない。
最後、彼女の気持ちが俺の方に向いているとは限らないということ。誰よりも彼女のことを知っていようが、信頼されていようが、俺達の関係はあくまでも幼馴染みだ。
時折彼女がそのような素振りをしたことがあったが、俺が自分の都合の良いように解釈しているだけかもしれない。
彼女の胸の内は不明だ。ただ、もし彼女が俺以外の誰かに好意を抱いているのなら、その恋を応援するべきなのだろう。
彼女と恋仲になりたい気持ちは本物だが、彼女の幸せをそれ以上に願っている。
こんな俺なんかより相応しい人間であるのなら、そうするのが正しいのだと思う。
分かっている、分かっているんだ。
ただ今だけはこの幸福に浸っていたい。
事件のこともこれからのことも何もかも全部忘れて、自分を甘やかすかのように昼食の時間を過ごした。