青薔薇の花泥棒 二十三話「美術館と幻術」
ついに金曜日の夜が来た。
木曜もしっかりと休んだため全快した。身体が非常に軽い。
いつもの泥棒衣装と隠密魔法を纏ってフリュロヴァイス博物館に向かう。あそこは衣装を集める為に何度か侵入している。警備システムはある程度覚えている、特に何も起きなければすぐに目的を果たせるだろう。
屋根の上を伝って移動していく。時々歩道を見下ろして人通りを確認しながら進む。
十数分後大時計が目立つ建物が視界に入る。時計の上では銀の鐘がぶら下がっている。着いたな。
博物館の周りの建物から警備の様子を探っていく。
建物の東西南北それぞれの入口周辺で二、三人の警官が巡回している。時計台の上には配置されていないようだ、逃げるなら此処からだ。
人数がかなり少ないな。この前のシェンベル美術館の半分くらいか?
この短期間で神隠しの被害がかなり拡大したのだろうか。そういえば、今日の講義の出席者も減っていたような気がする。
いや、中に多めに配置しているだけの可能性もある。注意しなくては。
警備が一番甘い場所、西側一階の非常口の近くに着地する。
小石を投げて警官の注意をそちらに引きつける。その隙に手早くピッキングして中に入る。
宝具の箱は木工品の展示室、三階の東側一番奥の部屋にある筈。
非常階段を上がり展示室を進んでいく。時折、彫刻やショーケースの物陰で息を潜めて警官をやり過ごす。
隠れる回数が今までより少なくなっている。中で巡回している警官もあまり見掛けていない。
やはり神隠し被害者は増加し続けているようだ。
目的の部屋だ。中央には個室ブースがあり、その入口の前に警官が一人座り込んでいる。ブースを取り囲むように様々な工芸品が並べられている。右側の壁には扉がある。
周りの展示品に光る狼の模様は無い。あるとしたらブースの中だろう。
警官はどうやら眠っているようだ、一定のリズムでいびきが耳に入ってくる。
ただ居眠りしているだけなら問題無いが、位置が悪い。背中を扉にピッタリと付けてもたれ掛かっている、ピッキングするのに邪魔だ。身体も肥満体型であるため、寝ている間に運ぶのも無理だ。
どうにかして起こして此処から移動してもらわなければ、勿論俺の存在に気付かれないように。
幻覚魔法を使うのが一番早い。音を立てれば他の部屋に向かうかもしれない。
どの部屋でやるか。三階には時計台の上へ続く梯子がある。逃走経路を確保する為にも三階に警官が集中するようなことは避けたい。やるなら一階か二階だな。
戻ってくるのをなるべく遅れさせるなら一階だが、聞こえるか分からない。
二階と一階、それぞれで音を出すか。二階で音を鳴らした数分後に一階でも音を鳴らせば、十分な時間を稼げるかもしれない。
魔法文字を使えば時間差で魔法を発動させられる。最近殆ど使っていないため、リュビスのように上手くできるかは分からない。だが、何回かやり直す時間はあるだろう。
早速試してみるか。
右の扉から部屋を出て階段を下りる。
二階も警備は手薄のようだ。近くの部屋に入ってみる。
この辺りにはまだ警官は来ていない。
音がギリギリ聞こえそうな場所は階段から三、四部屋目、金細工の展示室と銀細工の展示室の間だな。一階に魔法を仕掛けた後戻ってこよう。
一階に仕掛けるのは銀細工の展示室の真下、彫刻の展示室辺りが良さそうだな。
階段を降りてその部屋まで進む。
この部屋にも警官はいないようだ。向こうの方にそれらしき背中が見えるため、ついさっき此処に立ち寄ったようだ。この様子だと暫くは戻ってこないだろう。
この隙にさっさと用意しよう。
剣を抜き刀身に魔力を込める。先端が淡い紫の光を帯びたところで、宙に魔法文字を綴っていく。
今から十五分後に爆発音が鳴るように設定する。
書き終えると文字は消滅してしまった、失敗したようだ。
頭の中で文字を確認していく。どうやらスペルを一部間違えていたようだ。
書き直していく。今度は文字が消えなかった、上手くいったようだ。
この複雑な文字を間違えず、一瞬で、さらには戦闘中に書けるリュビスの技術に改めて感服する。
いやそんなこと思っている場合じゃない。急いで二階に向かおう。
金細工の部屋で一回警官をやり過ごす。銀細工の展示室を通り過ぎるのを確認してから進む。
先程と同じ手順で仕掛けを設置していく。今度の設定時間は十分後だ。
よし、できた。
これですべきことは済んだ、後は三階の部屋で待つだけだ。
木工品の展示室に戻って物陰に身を隠す。
警官は相変わらず眠りこけている。俺やごろつき達が起こす犯罪の所為でお疲れのようだ。
あと少しで時間になる。それまでひたすら息を殺す。
轟音が響き渡る。
「な、なんだ、この爆発は! 下の方か、今すぐ確認しなければ!」
警官は飛び起きて階段の方へ駆けていく。作戦は成功したようだ。
音を聞きつけた他の警官も彼に続いていく、こちらには気付いていないようだ。
誰かが他の部屋から来る気配は無い、隠れるのを止める。
すぐに戻ってこられないよう、階段側の扉の鍵を掛ける。これでよし。
ブースの南京錠をピッキングして開錠する。
中に入ると暗闇の中で狼の模様が赤い光を放っているのが映った。予想が的中したようだ。
近寄ってみると箱の輪郭がぼんやりとだが分かる。縦幅と高さが二十センチ前後、横幅が一メートルほどの大きな箱だ。
箱の展示ケースに施された防犯装置を解除していく。
まずドライバーでネジを回して蓋を取る。次に白いボタンを押し、赤と青の配線を入れ替える。数字が書かれたボタンを正しい順番で押した後、黄色と黒の配線を入れ替える。最後に色の付いたボタンを白、緑、赤、青、黒の順に押す。電源ランプの光が消えた。
ケースを退かして箱を抱えてみる。見た目ほど重くはない、背負っても十分動けるな。
ただ、だいぶかさばる物であるため、持って逃げるとなると今より目立つ。今の警官の人数なら何もしなくても逃げ切れるだろうが、念には念をだ。幻術を使っていこう。
マントを一度外す。ロープを取り出し、箱に巻き付けていく。横幅に沿って巻いた後一度ロープを切る。次に縦幅に沿って巻いていく。縦は二箇所巻く。動かして箱がロープから外れないことを確認する。うん、大丈夫そうだ。
模様はロープで隠したが光が少し漏れている。これが目撃されないよう注意しなければ。
箱を俺の身体に固定した後、マントを装着し直す。これで準備はできた。
ブースの扉を少し開けて外の様子を伺う。まだ戻ってきていないようだ。
外に出てすぐに詠唱し、幻の箱を四箱出現させる。勿論特徴である狼の模様も再現する。これらの幻に逃走経路周辺を除いた場所をあちこち動き回るよう指示を出す。
これで万全だ。大時計のところに向かおう。
廊下を進んでいくと幻の箱を追いかける警官の姿が映った。すっかり騙されているな。
離れたな。
あと少しだ、一気に進んでいく。
大時計に続く階段が映る。上っていく。
階段が途中で螺旋階段に切り替わる。上から物音などはしない、誰も降りてこないようだ。そのまま上に行く。
小さな部屋に辿り着く。正面には梯子がある、今度はこれを使う。
梯子に手と足を掛けてハッチを目指す。
箱が出口で引っかからなければいいが……。
ハッチはもう目前だ。押して開けると、銀の鐘が視界に飛び込んでくる。外に身体を出す。箱は天井にぶつかること無く俺と一緒に出口を抜けた。
これで残るは帰るだけだ。
建物の屋上に警官はおらず、地上に集中している。まだ俺が中にいる、もしくは下の非常口から逃げたと思っているようだ。幻覚魔法がまだ消えていないのかもしれない。
今がチャンスだ。
行きと同じように屋根を渡って家まで移動した。