青薔薇の花泥棒 二十二話「休息」
衣装を隠した日の次の日の朝、喉の痛みと倦怠感と発熱に襲われた。典型的な風邪の症状だ。
その所為で火曜は一日中ベッドで寝ることになった。リュビスとサフィールが交代で看病してくれたお陰で、夜には熱が引いたが。
水曜、今日の朝を迎える頃には随分マシになっていた。倦怠感は少し残っていたが、授業は問題無く受けられた。
まだ本調子ではないため、今日の講義の後は家で大学の課題や古文書の調査などをして過ごすことにした。リュビスの隣でレポートの資料を読んでいく。
ある程度区切りのいいところまでいった。栞を挟んで一度休憩する。
ティーカップの紅茶を飲み干す。おかわりを注ぐ為にポットを手に取ると、中身がすっかり空になっていることに気付いた。新しいのを作るか。
ミルクと差し湯もそこそこ減っている、追加しておこう。
「あ、お茶もう無くなっちゃった? 淹れてこようか?」
「いや大丈夫だ。やってもらってばかりじゃ悪いからな。それにちょっと試してみたいブレンドがあるんだ」
「成程。じゃあ、楽しみにしてるね」
「あぁ」
全ての食器をトレーに乗せてキッチンに運ぶ。
ケトルに水を入れて火に掛ける。沸かしている間に他の準備をする。
ポットの中の古い茶葉をスプーンで掻き出した後、カップなどと一緒に軽く水洗いする。
棚の中からウバの缶とカモミールの瓶と砂時計を取り出す。小皿の上に茶葉を盛っていく。紅茶とハーブの割合が八対二になるよう調合していく。
この組み合わせが美味しいと聞いてハーブを買ってみたが、ここ最近忙しくて一度も試せなかった。上手くできるといいが。
ケトルの蓋を開けて中を覗く。直径二、三センチ程の泡が何度か出ている、沸騰したようだ。
お湯をポットとカップに注ぐ。食器が十分温まったのを触って確認してからお湯を捨てる。
ポットにブレンドした茶葉を入れた後、高い位置でケトルを傾けてお湯注ぎ入れる。ついでにジャグに差し湯を補充する。
茶葉が浮き沈みを繰り返す。沸騰時間は丁度よかったようだ。
蓋を閉めた後、ティーマットを敷き、さらにティーコジーを被せて保温する。
砂時計をひっくり返して、時間を計りながら蒸らしていく。
この間にクリーマーにミルクを追加したり、軽くキッチンの片付けをしたりして時間を潰す。
砂が落ちきった、ティーコジーを外す。中を軽く掻き混ぜた後、ティーセットをリビングまで持っていく。
「できたぞ」
「ありがとう」
茶葉が入らないよう、ストレーナーで濾しながら紅茶を数回に注ぎ分けていく。微かだが甘い香りが湯気と共に広がっていく。
「いい匂い。今回は何を混ぜたの? フルーツ系じゃなさそうだけど」
「カモミールだ。ハーブをブレンドしたのは初めてだから、上手くいってるか分からないが」
一口啜ってみる。林檎のような味と仄かな苦みがする。紅茶と合わさって豊かな味わいだ。
「これ凄く美味しいよ。カモミールティーが苦手って人もいるけど、これならクセが和らいで飲みやすいと思う。ミルク入れてもいいかも」
半分減らしたところでミルクを注いで飲む。一層マイルドになった。茶葉をミルクで煮出して作ってみるのも良さそうだ、今度作ってみるか。
カップを置いた時古文書の山が少し低くなっていることに気付いた。二冊目を読み始めたようだ。
あれらの本は何が書かれているのだろうか。
「なぁ、その本についてなんだが、何か分かったことはあるか? 残りの宝具の場所とか、十字架の対抗手段とか」
「その二つについての情報は今読み終わった本には載ってなかった。この本にあったのは女神様が邪神を封印するまでの話だったよ。邪神の弱点や攻撃手段の一部について記されているから、収穫が何も無かったわけじゃないけど」
「詳しい話を教えてくれないか?」
「うん、勿論」
彼女は情報を纏めたノートを開いた後、一部始終を話し始めた。
数千年前、邪神はこの地方で暴虐の限りを尽くした。自分の逆鱗に触れたとある国の王を彼の国ごと一夜で滅ぼしたり、医学を司る神の一柱を嬲り殺したり。この辺りは現代でも有名な話だ。
ある時から邪神は各地の女性達を拉致するようになった。攫って飽きるまで弄んで、そして最後は惨殺して捨ててしまう。胃から酸っぱい物がこみ上がるような不快な話だ。
奴がある一人の女性を誘拐した時、この悪夢のような状況は急展開した。いつもは恐怖に怯えることしかできなかった人々の中から邪神に立ち向かう者が現れた、彼女の婚約者だ。各地の人々は彼を勇者と呼んだ。
勇者は剣を携えて邪神の住処、現代では例の教会がある場所に向かった。彼の勇敢な姿に感銘を受けた女神は彼に自身の力を分け与えた。それだけでなく、彼と共に戦うことにした。
彼らは三体の配下を倒して邪神の元に辿り着いた。
勇者達と邪神が対峙した瞬間、斬撃と魔法が飛び交った。
奴は刀身が二メートルある諸刃の剣と様々な魔法で彼らを殺しに掛かった。
多種多様な魔法を使っていたとあったが、この本に書かれていた邪神の魔法は二種類。
一つ目は人や物を操る黒い糸、対象に巻き付けて意のままに動かす。奴は辺りで眠る数多の遺体にこの魔法を掛けて勇者達に物量作戦を仕掛けた。死者の尊厳を踏み躙るような手段だ。
彼らは糸を切ることで兵の数を減らした。また、自らの行動が封じられるのを避ける為、結界魔法を張ったようだ。
二つ目は黒い水。人に当たると魔法が触れた箇所から徐々に身体が腐敗していく、簡単に言うとゾンビになる魔法だ。呪いやアンデットに関する魔法であるため、強力な解呪魔法や光属性の攻撃魔法などで浄化・治療できるようだ。
これらの魔法が乱れ飛ぶ、何時間にも渡る攻防。
剣が邪神の両目を一文字に切り裂くと白と黒の二つの宝石が邪神の肉体から飛び出した。
その瞬間、邪神は力任せに暴れた。得物を巨大化させ闇雲に振り回した。
その攻撃を喰らった所為で女神は右腕と左脚を失った。しかし人間なら死んでいるその身体で女神は戦い続けた。
そしてついに活路を開いた。
二つの宝石を砕くと邪神の全ての動きが遅くなった。宝石は核のような物だったのだろう。
その隙に彼らは邪神を封印しようとした。
最初は宝具に邪神の力を吸収させた。しかしあまりにも強大だった、宝具だけでは十分な力を奪うことができない、吸収し続ければ宝具が壊れてしまう。
そのため奴が作り出した花嫁衣装に力を吸収させることにした。神の力に耐えられる器はそれくらいしか無かったのだろう。
十分に弱らせたところで彼らは宝具を置き、呪文を唱えた。
邪神は完全に封じられるその時まで魔力の塊を撒き散らして抗い続けた。この抵抗により、邪神の封印の解除方法が変わってしまったらしい。本来は宝具と花嫁衣装を宝座の前に並べて一日中儀式をした後、数十人を殺してその魂を捧げるというものらしい。それが花嫁衣装と勇者の婚約者の魂のみで解除されるようになってしまったようだ。また、花嫁衣装に探知機能が付加したのもこの時のようだ。
奴の抵抗に耐えながら彼らは必要な手順を終えた。
こうして邪神は封印され、この地方に平和がもたらされた。勇者も婚約者を救出した。
しかし平和がいつまでも続かないことを女神は予測した。遠い未来に封印は解かれて世界は跡形も無く破壊し尽くされる、邪神を滅ぼさなければ永遠の安泰は無いと。
また、問題はそれだけでは無かった。邪神が作った花嫁衣装には奴の魔力が残っている。その魔力量は宝具に封じた魔力を遙かに超える。そしてその力は幾つもの国を滅ぼせるほどの物だった。そこに存在しているだけでも周りの生物の寿命を緩やかに奪っていく、非常に危険な兵器だ。
これらをどうにかする為に女神と各地の人々は策を練った。
まず、女神が花嫁衣装に自身の力を込めて魔力の浄化を行った。これにより目前の悲劇を防いだ。
次に彼らは邪神を滅ぼす武具を作ることにした。しかし問題が発生した。
先の戦いで女神は力を使いすぎた、邪神を滅するだけの力は残っていない。
そのため、人々は僅かに残った女神の力と技術を駆使して、宝具の強化や花嫁衣装に込められた力を増幅させる道具を生み出すなどをした。古文書には明記されていないようだが、その増幅させる道具とは恐らく花嫁と対になる衣装のことだろう。
しかし道具には制約があった、条件を満たした者にしか扱えない。まぁ、強い道具・魔法とは縛りを掛けることで高い威力と安全性を両立できる、これは仕方がないことだろう。
兎に角、道具を使えるのは資格を持った人物だけ、つまりこの人物がいないと邪神を倒すことができないということだ。
人々は邪神が復活した時にその人物が現れない可能性を危惧した。
よって邪神を滅ぼせなかった時の為の次善の策を用意した。それが再封印だ。
できる限り強固、かつ長い間封じられるよう封印の方法を改善した。また、より多くの魔力を吸収できるよう宝具の強化を行った。
こうして対策を立て終えると女神は傷を癒やす為に神の国で眠りについた。人々はこれらの道具や情報を悪しき手から守る為に死力を尽くした。
これが読み終えた本にあった話の全てらしい。
邪神の残虐非道な行いや戦闘能力の一部が分かった。
また、花嫁衣装を着られる選ばれた人間が勇者の婚約者の生まれ変わりであること、リュビスがそれであることが判明した。
「どうかな。この情報、結構役立つと思うんだけど」
「成程。確かに、一部だが邪神の弱点や魔法が分かったのは大きい。何の情報も無しで邪神に戦いを挑むのは無謀の域を越えてるからな」
「そうだね。封印の準備だけできてても、肝心の邪神をどうにかできないと意味無いもの」
邪神の倒し方か。
封印、撃破、どちらを選んでも邪神と戦うことは避けられない。
宝具や衣装などの情報はある程度集まってきた。そろそろ邪神のことも調べるべきだろう。
攻撃が通るようになったとしても、戦略無しで勝てるほど甘くはない。
「今の話を聞いたところ、黒い糸による操りがかなり厄介だな。邪神の教会には神隠しの被害者が大勢いる。女神達と戦った時と同じように物量作戦を仕掛けてきてもおかしくない」
「その可能性は十分あるね。糸を切れば解除できるみたいだけど数が多すぎる、キリが無いよ。勿論、邪神や私達の攻撃が当たるといけないから、守りながら戦わないといけない、正確な魔法のコントロールも要求される。どうにかしないとまともに戦うことすらもできないよ。もっと邪神の魔法について何か情報が欲しいね」
「あぁ。もしかしたらこの本の山や図書館に戦闘について詳しく書かれた古文書が混ざっているかもしれない、探してみるか」
「うん。あ、そうそう。このこと、サフィールにも伝えとかないとね」
「そうだな」
これから調べることがさらに増えたな。これら情報を得なければ邪神の元に辿り着くことすらできない。また戦闘に関する情報が不足してもいけない。リュビス一人で戦わせることになる。
奴らがいつ本気で俺を消しに来るかも分からない、早く情報を集めなければ。
「リュビス、明日講義が終わり次第図書館に寄れるか?」
「……ねぇアメティス、昨日熱出したの忘れてる?」
「あ」
彼女は大きく溜息を吐いた。
「一日でだいぶ回復したとはいえまだ治りかけ、まだ様子を見た方がいい、明後日の宝具回収の為にも。それにサフィールにも休むって言ったでしょ」
そういえばそうだった。
「事件を早く解決したい気持ちは分かるけど、身体が駄目になったら意味が無いよ」
「いやでも、図書館で調べ物するくらいなら――」
「でももヘチマもありません。兎に角、今日と明日は家で休む、古文書調べるなら家で。勿論、徹夜は禁止だからね」
「は、はい」
圧が凄い。ここで首を縦に振らないと監視されそうだ。
「分かればよろしい。全く……」
彼女は文句を言いながら紅茶を啜った。
身体の右側に少し違和感を覚える。視線をそちらに向けてみる。
リュビスの左手が俺の右手の上に重なっている。いや、軽く握っていると言った方が正しいか。
また不安にさせてしまったようだ。もっと自分の状態を把握しておかなければ。
この手を振り解く気にはなれなかった。
このまま暫く時間を過ごすことにした。