青薔薇の花泥棒 十七話「包囲からの脱出」
体力が全快したため来た道を戻っていく。
「足下気を付けろよ」
「うん」
長い階段を下っていく。行きよりは断然楽だな。
行きの半分未満の時間で下まで降りた。
宝石の謎解きの部屋まで戻ってきた。再び足を踏み入れても閉じ込められることは無い。部屋の入口から出口まで光の道ができているため、すんなりと進める。
廊下の途中で休憩を挟む。最後の謎解きの間の前での会話をまだ思い出す所為か、雑談をしようかと口を開く度に顔が熱を帯びる。リュビスの顔を直視できない。
無言の休憩時間を過ごした後また足を進めた。
やっと花束の謎解きの部屋まで来た。
棚が中にあった物ごと全て消えている。残っているのは男女の像とその手の花々、手紙や日記など謎解きのヒントとなった紙類だけだ。
この部屋、いや、この像内部に存在する物の殆どは魔法で作られた物だったのだろうか。謎が全て解かれ紅い月の雫が持ち出された今、これらの道具は役目を果たした、だから消滅した。
しかし、それなら何故花や紙はまだ此処にあるのだろう。花は扉を開けておく為に必要だからだと考えられるが、紙の方は分からない。まだ何かあるのだろうか。
一応拾っておくか、まだ訳していないところに手掛かりがあるかもしれない。
紙類を鞄にしまって部屋を出る。特に何も無い、持ち出しても大丈夫のようだ。
外に繋がる扉を横にずらす。
目の前には黒い結界。外に出た瞬間結界はたちまち透けていく。青空が目の前に広がる。
サフィールがすぐ横の壁にもたれながら座り込んでいる。
「おぉ、戻ったか! 大丈夫か? 怪我はしてねぇか?」
「あぁ、この通り二人とも無事だ」
「本当か?」
彼は俺との距離を詰めて両肩を軽く叩いた。
「おい、何してるんだ」
二の腕や背中など身体のあちこちを何度も触ってくる。
「痛がる様子が無え、重傷じゃあなさそうだな」
「だから無事だって言っているだろ」
「いやお前ら無理するじゃねぇか。特にアメティスはそういうの隠すの無駄に上手ぇし」
彼は溜息を吐いた。その手は動き続けている、まだ傷が無いか確かめている。
「いい加減止めろ」
サフィールの手を剥がす。また手が伸びてくる。
全く、そんなに俺の言葉が信じられないのか?
「アメティスが怪我してないのは事実だよ」
「そうなのか? まぁ、リュビスが言うなら」
あっさりと引き下がった。
「兎に角、ちゃんと帰ってきてよかった! あ、そういや紅い月の雫、ちゃんと手に入れたのか?」
「勿論、ちょっと待ってて」
リュビスは服のポケットに手を突っ込んで中を探る。
「これだよ」
彼女の手を開いて紅い月の雫を見せた。
女神像の影で辺りが暗くなっているため、ほんのりと赤みを帯びた柔らかな白い光を放っているのが分かる。赤が混ざっているところ以外は普段の月光にそっくりだ。
「ほーん、これがそうなのか。上手く言えねぇけど普通のルビーとは何かが違う気がするな。取り敢えずこれで一歩前進だな。あとは隠し場所、何個かあ――」
「忌々しい女神の中からよくぞそれを探し出してくれた、ご苦労だった」
くぐもった低い声がサフィールの声を遮った。レオトポディウムさんの物ではない。
蝙蝠の羽が生えた黒い蛇の面を付けた人間が次から次へと現れ、俺達を取り囲んでいく。
行きの時に見掛けた足跡はやはりコイツらの物だったか。
自分の後ろにリュビスを隠す。
「さぁそれを渡せ、勿論花嫁ごとな」
「断る」
両手それぞれにナイフを握り構える。
サフィールは荷物から二十センチ程の棒と刃を取り出した。刃を棒の先端に取り付けた後棒を伸ばして全長二メートルの槍を作った。刃先は奴らの方を向いている。
「そうか。では少々痛い目に遭ってもらおうか」
奴らも各々武器を手に取り攻撃の体勢に入った。誰も黒い十字架を握っていない。
戦闘不能になることはなさそうだ。取り敢えず一安心だ。
一斉に襲い掛かってくる。
一人が俺の右肩を狙って剣を振り下ろしてきた。ナイフで敵の刃を受け止め、相手の腹に蹴りを喰らわす。その場でうずくまった、なかなか効いたようだ。
俺の周りに敵が集まっていく。対処するのにすこし骨が折れそうだ。
回し蹴りで相手の体力を削っていく。
「お前らの相手は俺だ!」
右側からサフィールが飛び出してきた。上半身を左右に捻りながら槍を振り回していく。脇腹に柄が直撃した何人かがそれで地に伏した。
よろめいただけの奴らも、何処からかやってきた波浪に押し流されて倒れた、リュビスの魔法だ。
全員、また起き上がってくる。
黄色い光球が右脚を掠めた。向こうも魔法を使い始めた。
呪文を唱えて俺の周りに火の海を召喚する。その上に立っていた敵に炎が燃え移る。
ナイフの来襲も始まった。回避がさらに難しくなる。
リュビスが杖で魔法文字を書いて、俺達の前に氷の壁を張る。その後呪文を唱えて、タンポポの綿毛を咲かせてすぐに爆発させた。綿毛からは想像もできないような爆風が吹き、轟音が辺りに広がる。
今の魔法で吹っ飛んだ敵が武器を落とした。今のナイフより断然リーチがある剣だ。
左手のナイフをホルスターに戻して地面の剣を手に取った。
さっきよりナイフを跳ね返しやすくなった。
剣に風の魔法を乗せる。力を入れて踏み込み剣を振るうと竜巻が発生した。何度も宙を斬り、竜巻を増やしていく。
敵が巻き込まれて舞い上がっていく。
今の攻撃で俺の正面に人がいなくなり逃げ道ができた。
まだ動ける奴らが道を塞ごうとする。リュビスが茨を生やして杖で操り、彼らを雁字搦めにする。
「今だ」
合図を出し、リュビスの手を取って駆け出す。
バイクのところまで逃げ切らなければ。
詠唱して奴らを濃霧で包み込む。いつもの隠密と消音の魔法を三人全員に掛ける。一応、追跡魔法の解除魔法も。
サフィールは地図を懐から取り出し俺達を先導する。
森の方へ走る。今のところ十分な距離は保てている。
行きの時に奴らの物であろう足跡を見掛けている。このまま進めば俺達の足跡も残る。それを頼りに奴らは追跡してくるはずだ。となると、森に入る前に足跡を消す魔法を使う、または足跡を付けない方法で移動する必要がある。
風の魔法が一番手っ取り早いか。
振り向いてリュビスの十数歩後ろに小さな竜巻を生み出す。竜巻は蛇行しながら砂埃を立てる。
これで何とかなればいいが。
竜巻が消滅していないか確認する為、時々後ろを見る。
幾つもの木々が視界に入る。森に足を踏み入れた。
此処は木の根や倒木などで足場が悪い。走ってこれらを避けるのか、俺達は問題無いがリュビスは怪我をするだろう。既に何度か根っこに躓いて転びかけている。
可能な限り奴らと距離を取りたい。今のペースを落としたくない。
「リュビス、少しいいか」
「何?」
「俺がお前を抱えて移動してもいいか? そっちの方が奴らから逃げ切れる可能性が上がる」
「う、うん。それなら、いいよ」
了承を得た。彼女の背中から腕を回して胴体を支え、膝の下に腕を差し入れて足を支える。
彼女は俺の胸に寄り掛かり、俺の肩越しに腕を首の後ろに回して反対側の肩につかまった。
これでよし。このまま突き進む。
リュビスが呪文を唱える声が耳に入る。その目線は俺の後ろを、恐らく竜巻に向いている。
「足跡の方は私に任せて」
「あぁ、頼む」
前方に集中する。
流石にそろそろリュビスの茨の魔法も俺の霧の魔法も解けている頃だろう。
現時点でどれだけ離れているのだろうか。リュビスがそれらしい反応をしないことから、すぐ側にいないことは確かだろうが。
向こうは数十人で構成されている集団だ。奴らが森を手分けして探せば、先程と同じように包囲されるだろう。可能性が無いわけではない。
兎に角足を動かす。もう少しスピードを出しても良さそうだ。足がもつれそうになる心配も、体力切れになる心配も無い。
彼女を落とさないようさらに自分側に寄せる。
サフィールの隣に並んだ。
「サフィール、此処からバイクまであとどれくらいだ?」
「最短距離で向かってるからあと十分弱だな。ただ、この先の斜面とか倒木の状況が分かんねぇからな。躓いたり上るのに手間取ったりしたら、もっと時間が掛かるかもしれねぇ。無理っぽいなら行きと同じルート通るか? 到着が二十分後に延びるけどな」
行きは比較的足場がよく大木も転がってないため移動しやすい。つまり、奴らも追いかけやすい状況だということだ。
「今の道でも大丈夫だと思う。突破しづらい場所があっても、多少は私が魔法で何とかするし」
「アメティス、リュビス抱えたままでジャンプとかいろいろできるか?」
「あぁ、余裕だ」
「じゃ、このまま突っ切るか」
「了解」
相談が終わって正面に視線を戻すと、遠くに複数の倒木が道を塞いでいるのが映った。
木は手前から奥になるにつれて大きくなっている、階段のような並びだ。最上段は俺の肩ほどの高さだ。
階段の奥にはさらに大きな倒木が転がっている。それほど離れていないようだ。
階段を上り最上段で力を込めて踏み込む。身体が宙を舞う。次の倒木に到着した。
上手く飛び移れたようだ。地面に降りてまた走る。
少し進んだ先で川が行く手を阻んでいる。
幅は広く道具無しで飛び越えるのは不可能だ。流れもそこそこ速い、リュビスは確実に溺れてしまうだろう。
「リュビス、魔法で橋を作ってくれないか?」
「分かった」
彼女が呪文を唱えると、俺の右隣に幾つかの芽が生えた。芽は瞬く間に成長し太い木となっていく。幹は曲がり横に向かって伸びていく。対岸の地面に葉と枝が触れたところで止まった。
木は隙間無く並んでいる。厚さも幅も十分で歩きやすそうだ。
ものの数分で立派な橋が完成した。
「ありがとな」
「助かった!」
「これくらいお安いご用だよ」
橋を渡ったその先にまた倒木が現れた。今度は俺の身長より高い。
「階段が必要みたいだね」
「あぁ、また頼めるか?」
「勿論」
俺と倒木の間に五輪の巨大なガーベラが咲いた。茎は手前が最も短く奥が最も長い。
一番背の高いガーベラの上に乗った時、幾つもの倒木が散乱しているのが分かった。
倒木同士の間隔がそれほど広くないところに次から次へと飛び移る。
サフィールは魔法で光の縄を召喚する。倒れていない樹木の枝に先端を巻き付けた縄にぶら下がり、反動を付けて倒木に飛び乗る。この動作を繰り返して移動していく。
奥へ行くとジャンプだけでは届かない倒木が増えてきた。
倒木と倒木の間で巨大ガーベラが生えて花開いた。
「これで行ける?」
「あぁ、ありがとう」
木とガーベラの上を進む。
視界に入る範囲から倒木が無くなった。地面に降りる。
暫くは目立った障害物が無いようだ。ただ駆ける。
「うぉっ、危ねぇ!」
数分後、少し先を走っていたサフィールが急に立ち止まった。
その先を覗き込む。
急斜面が待ち受けている。傾斜がキツすぎてほぼ崖だ。
高さは五メートルほどだ。すぐ下には岩や枝が敷き詰められている。岩は鋭い、着地に失敗したら重傷を負うのは明らかだ。街の建物から降りることより難易度は高い。
「確かにこれは危険だな」
「魔法でクッション作ろうか」
彼女の詠唱により大きな菊の花が咲き乱れる。花が岩を覆い隠した。
「これで大丈夫そう?」
「あぁ、落ちても問題無さそうだ」
幾つもの花弁が重なっているため花はかなり分厚い。ちゃんと中央へ向かって跳べば受け止めてくれるだろう。
「それじゃ、いくぞ。しっかりつかまっていろよ」
「うん」
助走を付けて地面を強く蹴って飛び出す。
黄色い花弁が肌を撫でた。足下に視線を向けると視界が黄色で埋め尽くされた。
上手く着地できたようだ。
菊を渡って安全な地面に降りる。
再び走って進んでいくと開けた場所に出た。森から抜け出せた。
数十歩先にバイクが見える。
「よっしゃ、ここまで来れば安心だな」
「まだ奴らが諦めたかどうか分からない、油断するなよ」
バイクの側でリュビスを下ろす。
移動する時荷物が振り落とされるのを避ける為、バイクに荷物を乗せた後紐を何重にも括り付ける。
ヘルメットをしてバイクに跨がる。リュビスが乗り込んだことを確認してからエンジンを掛ける。
スピードを可能な限り上げて森から離れる。
「後ろの様子はどうだ?」
「アイツらの姿は無いよ。大丈夫そう」
よし、これで一安心だ。
次に向かうべきは古城だ。