青薔薇の花泥棒 十六話「第三の謎」
廊下の先には螺旋階段があった。
見上げてみる。終わりが何処か分からない、かなり高いところまで延びているようだ。
足を一歩踏み出す。一段一段がそこそこ高い。上り終わる頃にはふくらはぎが痛くなるだろう。
体力があまり無いリュビスなら疲れ果ててしまうだろう。
確認できる範囲内では石造りの階段にヒビ割れなどは入っていない。手すりは揺すってもビクともしない。しかしこの先が破損していないとは言い切れない。罠が仕掛けられている可能性もある。
先頭で確認しながら進んでいく。
階段の上の方にも傷は見られなかった。
この像は外も中もほぼ無傷だ、つい最近建てられたみたいだ。当時の技術の結晶だな。
女神への信仰心、そして邪神を封印する鍵を守護する使命がこの像を強固にしたのだろう。
文明は衰亡しても人々の心はこうした形で残っているんだろうな。
兎に角、此処が頑丈で一安心だ。こんなところで転落死など御免だからな。
どうにか溺死と毒死を回避してここまで来た。最後の謎を解いて目的を達成してみせる。
ひたすら足を動かす。
何とか一番上に到着した。最後まで罠が飛び出ることは無かった。
すぐ側に扉がある。恐らくその先に紅い月の雫があるのだろう。
「や、やっと着いた」
リュビスはよろめきながら廊下を少し歩いた。その後壁にもたれ掛かった。
「大丈夫か?」
「うん、少し、疲れた、だけ」
彼女は息を切らしながら答えた。
「悪い、ペースが速かったな」
「いいの、気に、しないで」
「取り敢えず休もう、俺も少し疲れた」
二人で床に座り込む。足を投げ出して楽な体勢を取る。
彼女は深呼吸を繰り返していて辛そうだ。顔は汗で全体が酷く濡れている。
荷物からタオルを取り出し手渡す。
「汗を拭いておいた方がいい。最後の部屋は徐々に室温が下がっていく、身体が冷えた状態で入るのはまずい」
「そうだね。ありがとう」
彼女は受け取ったタオルを顔に当てた。
呼吸は少し落ち着いたようだがまだいつも通りではない。
無意識のうちに先に進みたい気持ちが強まっていたからか、徐々に早歩き気味になっていた気がする。休憩も二回しか挟んでない、時間も合わせて二十分程だろう。
兎に角、リュビスにもう少し気を配るべきだった。女性には少々険しい場所だと分かっていたのについ怠ってしまった。
「アメティス、俯いてるけどどうかしたの?」
「あ、いや、何でもない」
いらない心配を掛けてしまった。
「あと言っておくけど今のこと気にしなくて良いんだよ。ちゃんと休憩したいって伝えなかった私も悪いし」
「あ、あぁ」
彼女は俺の心が読めるのだろうか?
それとも誰が見ても分かるほど顔に出ていたのだろうか。
取り敢えず、普段通り話せるくらいにはなったようだ。顔色も元に戻っている。
しかし体力の方はまだ回復していないだろう。
最後の謎解きの制限時間は俺達が倒れるまでだ。挑むなら万全の状態でなければ。
硬くなった脚の筋肉を揉んでいく。
左のふくらはぎを解し終えたところで音が聞こえた。
「お腹空いたね、ここで一旦お昼にしようか」
「そうだな」
俺の腹の虫が鳴ったようだ。この像の中に入ってから数時間経つ。その間口にしたのは紅茶くらいだ。空腹を感じて当然だ。
リュビスは荷物から昼飯とスプーンを取り出した。魔法瓶と全粒粉パンとスプーンが手渡される。
「ありがとう」
魔法瓶を開けて中のホワイトシチューを口にした。
「旨い」
「本当? よかった」
チーズがシチューに溶け込んでいるからか、とろみや濃厚な味わいが出ている。人参、南瓜、鶏肉など具沢山で食べ応えもある。兎に角スプーンが止まらない。
あっという間に空になった。蓋をして鞄に戻す。
シチューによって体温が上がった。これで次の部屋に入っても暫くは大丈夫だ。
「さて、腹も膨れたことだ。最後の謎解きの準備をするぞ」
「了解」
凍傷を防ぐ薬や紅茶など必要な物がすぐ取り出せるよう荷物を整理していく。
仮面を一度外して凍傷を防ぐ薬を顔や手に塗る。仮面に冷気を遮断する薬を塗った後再び被る。
口元と首を布で覆う。可能な限り露出する箇所を減らす。
防寒具を着込んでいく。錬金術や魔法薬による加工で保温力はそこらの市販品より格段に高くなっている。何処まで室温が下がるか不明だが、ある程度なら何とかなるだろう。
対策をし忘れた箇所が無いか自分の身体を見渡す。
うん、問題無い。これでやれることは全部やった。
リュビスの方も準備ができたようだ。
「終わったか?」
「うん」
「それじゃ、行くか」
扉の前に立つ。前の部屋と同じように文章が刻まれている。翻訳してみる。
「要約すると、同じ物は同じ場所に、四つの宝石を正しい位置に入れ替えろ、と書いてあるな」
「古文書と同じだね」
「ただ、こっちには新しい情報もある。どうやらこの入れ替えパズルは四セットあるようだ。勿論全て解かなければ紅い月の雫は手に入らない」
「パズルが四セットあるんだ、ずっと一セットだと思ってた。手早く解いていかないと危ないね」
「あぁ。簡単であることを祈るしかないな」
事前に読んだ古文書にはパズルのことは記されていたが、幾つあるかまでは載っていなかった。
情報収集が不足していたか。
パズルが一つか四つか、それだけで心のゆとりがだいぶ変わる。
分担しても二つ、難易度によっては解くのに何時間も掛かるかもしれない。もしかしたら用意した紅茶や薬が不足するのが先になるかもしれない。
いや、まずい。嫌な想像ばかりが膨らんでいく。
平常心を保たなければ。焦って無駄な動きをして徒に身体を冷やすのだけは避けたい。
一度深呼吸する。
大丈夫だ、情報をきちんと整理すればパズルは絶対に解ける。
「それじゃ、入るぞ」
「うん」
扉を開けて一緒に足を踏み入れる。
閉まる音がした、目的を果たすまでは出られない。覚悟を決めろ。
目の前には石を動かすタイプのパズルが四つ、左から右に一列で並んでいる。
その奥に純白の女神像が佇んでいる。彼女は胸元で赤い宝石を抱いている。
あれが紅い月の雫か。手に入れて早く此処を脱出しなければ。
早速左端のパズルの元に向かう。
少し冷たい風が上から下へと顔を撫でた。
見上げると天井に穴が開いているのが映った。あそこから冷風が流れてきているのか。
右端のパズルの上にも同様の穴がある。
そのパズルに近付いたリュビスがくしゃみをした。
「両端のパズルは俺が解く。リュビスは真ん中二つを頼む」
「え? でも――」
「俺は平気だ。だから頼む」
「う、うん……」
パズルの方に視線を戻す。
縦十マス、横十マス、合計百個のマス目で構成された正方形の盤の四隅に四つの宝石が配置されている。右上が赤、左上が青、右下が黄色、左下が緑の宝石である。
赤い宝石を一マス下に動かすと青いマスが現れた。青い宝石の下には緑、黄色い宝石の下には赤、緑の宝石の下には黄色のマスがある。その他のマスは全て白いマスだ。
同じ物は同じ場所に、この場合はマスと宝石の色を合わせればいいのだろう。
盤の中央では正方形や十字、L字など様々な形のブロックが宝石の移動を妨げている。
まずは赤を揃えてみるか。
ブロックを動かして宝石が通る道を作る。
宝石を少しずつ進めながらブロックの位置を変えていく。
目的のマスまで移すと赤い宝石が光を放ち始めた。
よし、あと三つ。
同じ作業を繰り返していく。
最後の一つ、緑の宝石に手を付けた時、鼻に入った空気が鼻の奥を痛めつけた。
だいぶ寒くなってきたな、外より少し低い温度だ。
ブロックを少し弄るだけでこれはもう終わる。その後に一度紅茶を飲もう。
全ての宝石が光った。荷物の方へ一度向かう。
水筒を取り出して蓋を開けると湯気が立ち上った。前の部屋で開けた時より濃い。
下がっていた体温が紅茶で復活した。しかし、数分もすればまた冷えるだろう。
薬、何本か持っていくか。
鞄の中の薬は既に何本か減っていた。
身体を温める薬を二本取り出す。
持ってきた薬は二十本程、残りは十五本、リュビスと二人で使ってもまだ余裕はあるな。
水筒と薬を抱えながら右端のパズルへ駆け寄る。
四つの宝石が既に輝いている。リュビスが解いたのか、俺がやるって言ったんだが。
今はパズルを全て完成させるのが先だ。
左から二番目のパズルに近付く。
パズルの初期配置は宝石とブロック共に同じだ。しかし、宝石の色は異なり四つ全てが黒い。
この下のマスはどうなっているのだろう。ずらしてみるか。
右上の宝石に触れた瞬間、ピアノのような音が何処からか流れ出した。手を離すと音が止む。
他三つの宝石も同様にすると音が鳴る。
マスの方はどうだろうか?
上から指で押す。音がするな。
このパズルの場合は同じメロディが奏でられる物同士を揃えれば良さそうだ。
右上の宝石に指を置いて一曲の終わりまで聴いてみる。
三十秒程経つと無音になった。これで全部か。
初期位置以外の三つのマスの曲と聞き比べてみる。
最初の方は全部同じ。中盤、右下は明らかに違う音がする。これらは選択肢から除外。
他二つは全体的に似ている。和音になっている部分や音が複雑に並びかつ早く動く部分など、細かい違いを探し出す必要がある。
神経を耳に集中させる。二、三度聞き返す。
サビ前に当たる部分が少し違うな。左下が正解か。
こうしている間に身体がまた冷え切ってしまった。さっきよりペースが速い。
紅茶を啜ってからパズルを動かしていく。
この作業に慣れてきたのか数分で揃えられた。
次は左上の宝石。
身体全体を冷気が撫で回した。身体が震え出す。
一気に冷え込んできた、風の音がここまで聞こえる。紅茶を飲んでもさっきのようには暖まらない。そろそろ薬を使わないとまずいな。
かじかむ手で薬瓶を掴んで蓋を外す。零さないように口元に運び全て飲み干す。
体温が戻ってきた、普通の部屋の中にいる時と殆ど差は無い。
今のうちにパズルを可能な限り進める。
曲が風の所為で聴き取りにくい。宝石に顔を近付けて耳を傾ける。
右下だな。宝石とブロックをスライドさせる。
これで良し。
残りの二つはただ入れ替えるだけだ。曲を聴く必要は無い。
ただひたすら手を動かしていく。
何か小さくて白い物が横から飛んできて左前腕に当たった。幾つも幾つもぶつかってくる。
雪のようだ。コイツの所為でまた体温が奪われていく。
穴からでる雪はこちらを殴り込んでくる、これではもう吹雪だ。
たった数分でここまで酷くなるとは。
雪が視界を横切る所為で手元が見えづらくなってきた。あと少し、早く終わらせなければ。
凍り付きそうな手に力を込めて最後の宝石を合わせる。
これでこのパズルの宝石も全部光った、同時に吹雪が徐々に収まっていく。
リュビスの方も終わっていたようだ。
視界が元に戻っていく。
四つのパズルから女神像へと白い光が伸びていく。光は紅い月の雫の元へ集まる。紅い月の雫が像から外れて宙に浮かんだ。そしてそのままゆっくりと床に降りていった。
残るはあれを拾い此処を出ることだけだ。
吹雪が止まってもまだ身体は冷えていく。積もった雪と部屋に留まる冷気が体温を奪っている。
どうにか薬瓶は握れたが、腕の震えの所為で上手く口元まで運べない。中身をぶちまけてしまいそうだ。
「アメティス」
リュビスの声が耳に入った。彼女の手が俺の手に重なる。
「今から君に薬を飲ませる。いい?」
答える前に瓶が動く。瓶の縁が唇に当たった。
「瓶、傾けるよ」
液体が緩やかに口の中を流れていく。身体が熱を帯びていく。
流れが止まった。薬が空になったようだ。少し関節が曲げづらいが問題無く動けるようになった。
彼女は俺の回復を確認した後、紅い月の雫の元へ駆け寄りそれを拾った。すぐに戻ってきた。
「急いで此処から出よう。また冷える前に」
「あぁ」
彼女は俺の手を引きながら出口の方へ向かう。
廊下に出た途端、石の扉がずれる音が響いた。
どうにか全ての謎を解き終えた。暫くはこんな心臓に悪いことは避けたいな、まぁそんなこと言っていられる状況ではないのだが。
リュビスの顔が少し青白い気がする。冷えで体調を崩したのだろうか。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「ううん、平気……」
彼女の返答は何処か物憂げだ。平気という言葉に説得力が無い。
ふと自分の手に視線をやる。手はまだ繋がれたままだ。
「ごめん、暫くこうさせて」
それで彼女の不安が晴れるなら、手を振り解くこと無く放置する。
「よかった、生きてて。本当に、よかった」
途切れ途切れに彼女は言葉を紡いでいく。
「ずっと怖かったの。さっきのアメティス、雪の中で動きがどんどん鈍くなっていって、三年前のあの時みたいになっちゃうんじゃないかって。ううん、あの時以上に悪い状況になるかもしれないって、そんな想像が頭から離れなくて」
最悪な状況、即ち凍死のことだろう。
「君が酷い怪我をしてるとか薬がもう無いとかそんな危険な状況じゃないのに、なんだかいてもたってもいられなくて、気が付いたら君の手を握ってた」
雪と凍えて少しずつ動きが遅くなる俺。この二つの要素でこんなにも取り乱してしまうのか。それほどあの時の俺の容態が酷かったと改めて理解する。
彼女は一度深呼吸して俺の目を見つめた。
「お願い、自分の命を大事にして、無茶をする前にちゃんと私達を頼って」
彼女の握る手に力が込められる。
「って言っても君のことだから簡単には変わってくれないだろうけど。兎に角、自分だけが傷付けば全部解決する、最小限の犠牲で済むだなんて思わないで。君は私の大切な人だから酷い目に遭ってほしくないの」
自分を大事にしてほしい、俺が彼女に望むことと同じだ。
謎解きの時、穴の下という冷気が一番当たる場所から彼女を遠ざけようとした。
もしもう片方のパズルを彼女が解いてなくて、自分でやっていたら。
恐らく今以上に凍えていただろう。最悪、薬がまともに飲めず寒さで気絶していたかもしれない。
それが起こっていたら彼女はなお一層気を病んでいただろう。パニックを起こす可能性もあった。
不安がらせるのは俺も望んでいない。もっと彼女の立場になって冷静に考えなければ。
「分かった。任せた方がいい時はちゃんとお前達二人を頼る」
「任せた方がいい時はって……まぁいいや。分かってくれたらそれでいいの」
リュビスは呆れながら笑った。
やっぱり笑顔の方がずっと良い。
彼女は何故か自分の手と俺を見比べた後に上を見上げた。
また正面を向いた。彼女の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「あ、そ、その、さっきの大切な人って、その、大事な幼馴染みって意味だからね。え、えっと、変なこと言っちゃったね、ごめんね」
言葉を詰まらせながらも勢いよく言葉を並べた。
「い、いや、気にしてない」
「手も、もう大丈夫だから。ずっと繋ぎっぱなしでごめんね」
そう言って手を離した。
もう少し握っていてもよかったんだが。いや何考えているんだ俺は。
「兎に角、落ち着け。深呼吸だ」
同じタイミングで息を吸って吐き出す。数回繰り返す。
「よし、これで問題無いな。取り敢えず此処で体力を回復させるぞ。この階段降りるのも大変だろうからな」
「うん、そうだね」
二人で床に座り込む。心臓が脈打つ音が非常に煩い。
気まずい空気が辺りを漂った。