第7話 婚約披露パーティーと気になる話
少しずつ王宮生活にも慣れ始めた頃、とうとうその時がやって来た。
「婚約披露パーティーですか?」
「そう。正式に婚約したからお披露目の場を設けないといけない」
私の顔が引き攣る。
あぁ、とうとうこの日が来てしまった……
“エリザベス”として人前に出る時が!
「……不安?」
「え?」
「表情が曇ったから」
殿下が心配そうに私の顔を覗き込む。
どうやら、私の不安はぜんぶ筒抜けの様子。
「……そうですね。殿下の婚約者として人前に出ると思うと……不安です」
私はちゃんと“エリザベス”として振る舞える?
殿下は幸い、“エリザベス”を噂程度まででしか知らなかったから、今もどうにかなっている。
でも、社交界に出たら“エリザベス”を詳しく知っている人は必ずいるはずよ──……
侯爵は私を送り出す時に、「困った時は事故で記憶が曖昧だとでも言って誤魔化せ!」としか言ってくれなかった。
(それで通用する世界だとは思えない!)
「不安か……あー……ライザ、ダンス苦手らしいからね」
「へ?」
エリザベスとして振る舞うことについてを悩んでいたはずなのに、殿下からは見当違いの話が降って来た。
「ダンスの講師に聞いた。なかなか斬新なダンスらしいと」
「っっ~~!!」
(報告されていたーーーー)
少し前から、私には王太子妃教育が開始されていた。
マナー、教養などは侯爵家でやらされていた事をさらに深める感じなのでどうにかなってもダンスは駄目だ。身体がついていかない。
(ダンスとは、無縁の世界にいたんだもの、無理よーー)
「殿下……まさかとは思いますが、パーティーではダンスをするなんてことが……」
あったりするのかしら?
と思って聞くと、殿下は少し間を置いてから、にっこり笑った。
(あ、これ。答えを聞くまでもないやつ……)
「あるね」
「やはりそうですか……」
私はがっくり肩を落とす。
「そんなに落ち込まなくても」
「ですが、私が未熟なせいで殿下に恥をかかせてしまいます。それが申し訳なくて」
「えっ?」
殿下が不思議そうな顔をする。
「俺の心配……?」
「はい、そうですが?」
「……」
何故かここで殿下が黙ってしまう。
(殿下って話をしていると、たまにこうして黙り込んでしまう事がよくあるけれど大丈夫なのかしら?)
「……ライザ」
「はい」
「上手い下手より、楽しんで踊れば良いんだよ」
「楽しんで……?」
私が首を傾げながら聞き返すと、殿下はまた優しく笑った。
(……うっ! だからその笑顔は心臓に悪い!)
「俺はライザと踊れるだけで嬉しいよ?」
「っっ!」
殿下はそう言ってまたまた甘く微笑んだ。
恥ずかしくなってしまった私は顔を上げられなかった。
***
───そうして、迎えた婚約披露パーティーの日。
(結局、ダンスは全く上達しないまま……殿下に恥をかかせたくないのに)
「ライザ、大丈夫?」
「……大丈夫、です」
そう答えたものの足が竦む。
心配なのはダンスだけじゃない。
“エリザベス”として振る舞えるかどうかも心配の一つ。
「ライザ。君は可愛いよ」
「可愛っ!?」
殿下が真顔でとんでもない事を言い出した。
「……エリザベスは色々噂もあるけれど君は可愛い」
「殿下……」
「だから、今日は俺の隣でその可愛い顔で笑ってくれていると嬉しい」
「……!」
そう言いながら殿下が私の手を取ったと思ったら、そのまま手の甲にチュッとキスを落とした。
「なっ……な、ななな」
「うん?」
(どうして、そんなに心臓に悪い事ばかりするのよっ!)
身代わりの身代わり令嬢を愛さないと発言したはずの王子様は、今日も色々とおかしかった。
パーティーの冒頭に私は紹介を受けて挨拶をする。
──あぁ、視線が痛い。チクチクする……
そして、体感する。
(やっぱり“エリザベス”が婚約者に選ばれていること……不満な人が多いのだわ)
「何でマクチュール侯爵令嬢だったのかしら」
「身分?」
「どうせ無理やり取り入ったんでしょう、卑しいわね」
「殿下が可哀想」
聞こえてくるのは、エリザベスが婚約者となっている事に対する疑問の声ばかり。
「……ライザ」
「?」
隣にいた殿下が小さな声で名前を呼ぶ。
こんな時まであなたは“ライザ”と呼ぶのね。
そう思って顔を上げると、殿下はにっこり笑って私の額にチュッとキスを落とした。
(……え?)
私がポカンと固まっていると、殿下は笑顔を皆に向ける。
「───皆の者、彼女は、このたび私の婚約者となったとても大切な女性だ。見ての通り可愛らしいだろう? 皆もそのつもりでよろしく頼む」
殿下は私の腰に手を回して抱き寄せるとそう宣言した。
会場内はキャーという声と驚きの声が入り交じる。
そして、こそこそヒソヒソしていた令嬢達はバツが悪そうに黙り込んで、驚きの表情を私たちに向けていた。
殿下の恥ずかしい宣言から解放されたけれど、殿下は挨拶回りがあるらしく少しの間、私たちは別行動となった。
(皆、チラチラと私を見て話かけたそうにしているけど、どうしたものかと戸惑っているみたい)
そんな時、声をかけられた。
「──エリザベス」
聞き覚えのある声にドキッとする。
振り返るとそこにはマクチュール侯爵夫妻が居た。
「……ご無沙汰しております」
「エリザベスの為になかなか上手くやっているようではないか」
「……」
「まさかとは思うが、バレていないだろうな?」
侯爵が鋭い目を向けてくる。
ちなみに小声なのは周りに聞かれたくないからだろう。
「……特に疑いの目を向けられているようには感じません」
これは本当。
思っていたのと随分違う殿下の様子に戸惑いを覚えてはいるけれど。
「フンッ。そうか、なら構わん。いいか? 絶対にエリザベスが戻って来るまでは疑われるな。そしてエリザベスとしての使命を全うしろ!」
「……分かっています」
私がそう答えた時、後ろから殿下の声が聞こえた。
「やぁ、マクチュール侯爵」
「これはこれは、殿下! 娘がお世話になっています。どうでしょう、我が娘は? ご迷惑をおかけしていないと良いのですが……?」
侯爵はコロッと態度を変え手を揉みながら殿下にすり寄った。
そんな侯爵の言葉に殿下はにっこり笑顔を見せて言った。
「迷惑など。むしろ、彼女で良かった、とお礼を言わないとと思っていた所だ」
「と、申しますと……殿下はエリザベスを気に入ってくださったとのですね!?」
「……」
殿下は無言のまま静かに微笑む。
否定も肯定もしない。
「そうでしたか、そうでしたか。殿下はエリザベスを……ありがとうございます」
無言を肯定と受け取った侯爵はとても嬉しそうだった。
殿下がどこまで本気で言っているのか分からないれど、これで侯爵も機嫌よく帰ってくれるはず……そう思うとホッとした。
そうして、ご機嫌になった侯爵と別れ思わず、ふぅ……とため息が出る。
「ライザ。疲れた? 大丈夫?」
「いえ……大丈夫です」
殿下が心配そうな顔を向ける。
どうにか侯爵の機嫌を損ねなかった事に対する安堵のため息だったけれど、殿下は疲れたと勘違いしてしまったらしい。
「……」
殿下が少しの間、無言で私を見つめた後、私の手をギュッと握る。
(え……?)
「……ライザ、俺は」
「?」
殿下が何かを言いかけた時、今度は別の人たちに声をかけられた。
私たちは一気に囲まれる。
「殿下! エリザベス様! この度はおめでとうございます!」
「ようやく殿下も婚約者を迎えたので安心しましたよ」
「エリザベス様が羨ましいわ」
そんなに一度に話されても答えようがなくて困る。
けれど、そんな周りの勢いに圧倒されていたら、一人の令嬢が気になる発言をした。
「そういえば、エリザベス様。先日、シャーレ伯爵領をお訪ねになりました?」
「え?」
(シャーレ伯爵領?)
「あら、その反応……違ったのかしら? エリザベス様によく似た方をお見かけしたから、てっきり旅行でもされていたのかと思ったのですが」
「私……だと?」
「ええ。髪色は間違いなくエリザベス様だったかと……その髪色は珍しいですし」
「……!」
ドキッと胸が跳ねた。
それは、まさかのエリザベス……本人なのでは?
ここに来てのエリザベスの目撃情報のようなものに私の胸がざわついた。