第10話 知りたいと言う気持ち
「ライザ。実はずっと気になっていた事があるんだけど聞いてもいいだろうか」
「な、何でしょうか?」
婚約披露パーティーから数日後。
朝食の席で殿下がちょっと真面目な顔をして訊ねてきた。
私はゴクリと唾を飲み込む。
そんな顔をして改まって聞きたい事とはいったい……?
(まさか、身代わりがバレ───……)
「ライザがいつも首から掛けているそれはネックレス?」
「え?」
そう言われて自分の首から胸にかけてを見る。
(あぁ、チェーンが見えていたのね)
どうやら身代わり云々の話ではなかったらしい。
そのことに、ホッと胸をなで下ろした。
「実は、毎日つけているなとずっと気になっていたんだ」
「そうでしたか。これはー……」
“母親の形見です”
思わずそう言いそうになってしまって慌てて口を噤む。
危なっ……駄目よ! だって私はエリザベス。
エリザベスの母親……侯爵夫人は存命だ。
形見だなんて口にしたらおかしな事になってしまう。
仕方がないからそのまま伝えるしかない。
「指輪なんです」
「指輪?」
不思議そうに聞き返す殿下に向かって私は、ドレスの下から取り出してチェーンの先にある指輪を見せた。
「本当だ。指輪だ…………指にはめないの?」
殿下はまじまじと指輪を眺めた後、そう聞いてきた。
「これは譲り受けた物なので私の指のサイズには合わないのです」
お母さんの形見のこの指輪は、困ったことにどの指にも合わなかったので、はめる事は出来ず、チェーンに通して首から掛けるしかなかった。
仕事するのに指輪は邪魔だったというのもあるけれど。
そして、幸か不幸か侯爵家に連れていかれる時も、これは服に隠れて気付かれずに済んだ。
(それより、どうしてお母さんはこの指輪を大事そうに持っていたのかしら?)
今更ながら、ふとそんなことを考えた。
これが偽物でないのなら平民が持つには不相応とも言える高そうな宝石のついた指輪だ。
(それによく見れば宝石はお母さんの瞳の色だわ……)
「……そうか。それは譲り受けた物だったのか…………良かった」
「そうです。それが何か?」
ぐるぐると考え込んでいた私の前で、殿下はどこかホッとした様な安心した顔を見せた。
「いや、俺はてっきり男…………コホッ、とにかく大事な物なんだ?」
「はい」
形見であることもそうだけれど、この形見の指輪と手鏡は“ライザ”としての私が持ち出せた唯一の物。
だけど、よく考えると“王太子殿下の婚約者”が身に付けるのに相応しいものではない気がする。
殿下もそれを咎める為に確認して来たのかも。
「そんなに難しい顔をしてどうした?」
「……は、外せと言われるのかと思いまして」
「何で? 言わないよ、そんなこと」
あっさりそう口にした殿下が苦笑する。
「ライザにとって大事な物を取り上げるなんて真似するわけない」
「そ、うですか……ありがとうございます……」
(良かった……)
安心して指輪をギュッと握りしめる。
「コホッ……ところでライザは、俺が指輪を贈ったらつけてくれるだろうか?」
「はい?」
「指輪でなくても……普段からなにか身に付けられる物を君に贈りたい」
「え?」
「本当は、あのドレスと一緒に贈りたかったけど……」
「!」
ドレスとはあの顔合わせの後に贈られた時の物よね?
宝石の類はないと安心していたけれど、本当は贈りたいと考えていたらしい。
私は慌てて首を横に振って答える。
「いえいえ、お構いなく! 今、手元にある物で充分ですから」
「そっか。ははは、うん。だよね、やっぱりそう言うか。うん、ライザらしいや……」
(……あれ?)
そう苦笑する殿下は、どこか懐かしい物でも見るような目で私のことを見ている気がした。
「ライザ?」
「……っ」
殿下の私を見る目はやっぱり優しくて、照れ臭くなった私はその目を真っ直ぐ見られなかった。
「……そうだ、ライザ。今度一緒に出かけないか?」
「?」
突然、殿下が話題を変える。
出かける? 殿下と?
「ライザは、王宮に来てから外出していないだろう? 護衛の事もあるから一人での外出は難しいけど俺と一緒なら出かけられる。どうだろう?」
「外出……!」
私が目を輝かせたのが分かったのか、殿下が嬉しそうに笑った。
「はは、嬉しそうだ。なら、決まりだ。日程は調整して追って連絡するよ」
「は、はい」
私が頷くと同時に殿下はそっと私の手を握る。
その仕草に胸がドキンッと大きく跳ねた。
「実は、ライザとどうしても一緒に行きたい場所があるんだ」
「どうしても?」
「そう。どうしても、だ……そこでライザに話したい事がある」
「え?」
そう口にする殿下の声も表情も真剣で……どうしてか今度は目が逸らせない。
「今では駄目なのですか?」
「……どうしても、あの場所がいいんだ」
「?」
(あの場所……?)
何か訳ありな様子だったので私は静かに頷いた。
「私と行きたい場所……それに話したいこと……」
部屋に戻った私は小さな声でそう呟く。
わざわざ、その場所に行ってまで話したいことって何かしら?
どうしても気になってソワソワしてしまう。
「エリザベス様? どうかされましたか?」
「え?」
「エリザベス様のお顔が複雑化していましたので」
「ふ、複雑化?」
キャシーの言っている事の意味が分からない。
首を傾げる私にキャシーは続けて言った。
「ええ。喜びと不安が混在したようなお顔です」
「なるほど。そ、それは……複雑ね」
「でしょう? まぁ、何があったかは分かりました。殿下にデートに誘われたのでしょう?」
「!?」
ずばり当てられてびっくりした私が言葉を失っていると、キャシーはクスクスと可笑しそうに言った。
「殿下ったら、公務の合間にエリザベス様の好きそうな物や行ったら喜びそうな場所をを教えてくれって聞きに来たんですよ」
「え!?」
「ご自分でも女性の好きそうなお店とか調べてました」
「えぇぇ!?」
純粋に驚く。
殿下ったらいったいどんな顔してそんな事を調べていたの?
「殿下はエリザベス様の喜ぶ顔が見たいのでしょうね」
「ま、待って! そ、それって今暴露していいものなの?」
「口止めはされていませんから」
「……」
私は絶句した。
キャシーが強い。なぜ、そんなに強気なの……
そんな私の考えを読んだのかキャシーがにっこり笑顔で言った。
「……夫が殿下に振り回されて苦労しているのです。なのでちょっとした意趣返しです」
「夫?」
「そうです。私の夫は殿下の側近なので」
「え!」
それはまた……意外な事実を知らされた。
殿下の側近という事は、カールトン様?
私の頭の中でいつも殿下に振り回されている気の毒な彼の顔が浮かんだ。
「……夫が言うには、エリザベス様を迎え入れてから殿下は変わられた、と」
「変わられた?」
「ちょっとお間抜けになられた、とか」
「……」
いや、それは駄目でしょう……眉を顰めて思わず内心で突っ込む。
「そんな事を言っていますが、夫は喜んでいます。殿下が人間らしくなられた、と」
「え? それって……」
「エリザベス様のことで一喜一憂する殿下はまるで昔に戻ったみたいだと嬉しそうでした」
それは、どういう意味なのかしら?
その言い方は、まるで少し前の殿下が……
(そうだ。私……殿下のこと、ほとんど知らない)
今になってようやくそんな事に気付く。
平民だった頃は雲の上の存在の人だったから気にしたこともなかった。
何があったの?
昔のあなたはどんな人だったの?
(私、殿下のことをもっと知りたいと思っている?)
自分で自分の気持ちに戸惑いを覚えてしまう。
一緒に出掛けたらもっと殿下のことが分かるかしら?
(……知りたい)
早く日程が決まるといいな。そう思った。
───だけど。
「え? ……隣国に行かれるのですか?」
「うん。だから急だけど一週間ほど留守にする事になった」
翌日、告げられたのはデートの日程……ではなく、隣国に行かなくてはいけないのでお出かけはちょっと先になりそうだ、という話だった。
「そうですか……」
(寂しい)
「──その顔は寂しいと思ってくれているのだろうか?」
「……っ!」
図星を指されて驚いた。
私はそんなに分かりやすい顔をしていた?
「俺は寂しい」
「っ! で、殿下……」
「一緒に出掛けるのは戻って来てからになるけど、待っていてくれる?」
「はい、お待ちしております」
「──約束だ」
「はい」
(約束……なんだか照れくさい)
けれど、私が頷いたら殿下は安心した様に笑った。
その顔を見ていたら私も嬉しくなった。
***
その知らせは殿下が隣国に出発した日の午後にもたらされた。
「え? もう一度言って?」
「はい。ですから、エリザベス様のお父上であるマクチュール侯爵がエリザベス様に面会を求めております」
「……!」
(こんな時にわざわざ訪ねて来た? 絶対にろくな話ではない)
困った顔を見せる私に、その話を持ってきた執事長も苦い顔をする。
「実は殿下から侯爵から訪問があっても取り次がないようにと言われているのですが……」
「殿下が?」
「ですが、マクチュール侯爵が物凄い剣幕でして……これは余程の緊急事態なのかも、と……ですからエリザベス様に一応相談した方がいいかと思い……申し訳ございません」
「……」
なんてこと、と私は頭を抱える。
……何もかもが嫌な予感しかしなかった。