第9話 初めてのダンスは困惑と共に
「あ、あの? 殿下どうされたのですか?」
どうして、私は抱き締められているの?
今は周りに人がいないから、仲良しアピールをして見せつける必要なんてどこにもないのに。
そう思って声をかけると思いの外、真剣な声が返ってきた。
「君に……ライザに誤解されるのは嫌なんだ」
「誤解……ですか?」
それはどういう意味かしら?
そう思って顔を上げると想像していたよりも近くに殿下の顔があったのでドキッとした。
(びっくりした……近っ!)
「……」
「……」
何を話せばいいのか分からず、互いに無言のまま見つめ合う形となる。
けれど、そんな沈黙を破ったのは殿下の方からだった。
「ライザ……聞いてくれ。俺は」
「?」
殿下の目はとても真剣だった。
私は彼のその碧い瞳から何故か目が逸らせない。
(あれ……? 殿下のこの瞳……私、この瞳を知っている気がする──……)
頭の中でふと何かが過ぎる。
だけど、それが何かはよく分からない。
「ライザ。よく聞いてくれ。さっきの話で出た俺の初恋は──」
そこまで殿下が言いかけた時、
「ああ! ここに居ましたか! 殿下、エリザベス様ーー……って!? あわわ、もしかしてお取り込み中でしたか? も、申し訳ございません!!」
バルコニーの入口から人が入って来た。
どうやら、会場内から姿を消していた私達を探して呼びに来たらしい。
至近距離で見つめ合い抱き合っている(ように見える)私達に驚いたのか大いに慌てた声を出した。
「っ!」
「……!」
その声で我に返った殿下と私は驚いて慌てて身体を離す。
「す、すまない……」
「い、いえ」
「……」
「……」
何だか気恥ずかしくて、それ以上の言葉が出てこなくて互いに俯くと再びの沈黙。
とってもとっても居た堪れない気持ちになったので今度は私から声をかけてみた。
「……あの? 呼ばれたようですが?」
「分かっている。分かっているんだが……! くっ……」
殿下の顔はほんのり赤かったけれど、明らかに声も仕草も落胆していた。
「お話は、ま、また、後でゆっくり聞きますから!」
「……あ、あぁ、うん。ただ、勢いと心の準備が……はぁ……邪魔された……」
「……?」
殿下が何やら呟いたけれど、ただ……の後がごにょごにょしていて聞き取れなかった。
「殿下? 今、何と?」
「───いや、何でもないよ。さぁ。戻ろうか。皆を待たせるわけにはいかない」
「は、はい」
なんて呟いていたのか気にはなったものの、そう促されて会場内に戻る事にした。
会場に戻ると、パーティーはダンスの時間となっていた。
本日の主役でもある私と殿下はファーストダンスを踊るという役目があったので、行方を探されていたらしい。
(ダンス……つ、ついにこの時が……!)
尋常ではない速さで心臓がバクバク鳴っている。
私の斬新と言われた、要するに下手なダンス……で殿下に恥をかかせてしまうかもしれない。
そう思うだけでもう足が竦みそうになる。
「大丈夫だ。ライザ」
「殿下?」
「俺がしっかりリードするから、ライザの踊りたいように踊るといい。多少ステップを間違えた所で怒ったりしないから」
「それは、あ……足を踏んでも、ですか?」
練習での私は散々、先生の足を踏んでいた。
特に侯爵家でのレッスンではとにかく踏みまくってもう思い出したくもないくらいに怒られた。
「うーん……それは程々でお願いしたいかな」
私の言葉に殿下は苦笑いしながらそんなことを言う。
「ええ? そこは、いくら踏んでもいい……ではないのですか?」
「いや、だってその靴に踏まれると思うとさすがに痛そうだし」
そう言って殿下の視線は私の靴へと向かう。
ヒールの高さはなかなかのもの。
なるほど……確かに踏まれたら痛そう。これは軽く凶器だ。
「…………ですね」
「だろう? ではお手をどうぞ、お姫様」
「うぅ、はい……」
そう言って殿下が手を差し出したので私もそっとそこに手を重ねた。
──そうして、踊り出したものの……
「ライザ、笑って?」
「……無理……です」
緊張のせいで上手く笑えない。
あと、辛うじて足は踏んでいないものの既に何度もステップを間違えてしまった。
どうにかうまく殿下にカバーされているのが分かる。
(仕方ないとは言え、これはもう経験年数の差よね)
生まれながらの王子様であった殿下と平民の私では当然だけど受けて来た教育が違う。
私にはダンスなんて無縁な世界だった。憧れた事もあったけれど。
(私ってこんな人の隣に立とうとしているのね。まぁ……身代わりだけど)
ついつい、そう考えてしまう。
「んー、せっかくならライザの笑った顔が見たかったのにな、残念」
「はい?」
「だって………………いつか舞踏会で踊ってみたいと言ってたしさ」
殿下がとてもとても小さな声で何か呟いた。
「殿下?」
今、何て言った……?
不思議に思ったのと同時に殿下の動きが変わった。
それは何だか決まった型にとらわれない全く新しい動きで……
「え? 殿下! ちょっ……何している、のです、かっ!?」
「大丈夫、大丈夫。俺に任せて」
「えぇぇ!?」
私は困惑の表情を向けているのに何故か殿下は嬉しそう。
「あ、強ばっていた顔が緩んだね? 良かった」
「良かった? え? いや、だって……! これ、もうめちゃくちゃ……」
私は殿下の動きについて行くのに必死なのに!
アドリブ? 初心者相手にこの方は何をするの……もう!!
「あはは」
「殿下!!」
「……大丈夫だって! ほら!」
「~~~っ!」
殿下はどこまでも楽しそうで嬉しそうで、だけど、どこか私を労るような顔も見せていた。
────こうして私、ライザの人生初のダンスは(振り回されて)終わった。
「甘いジュースで良かったかな? お疲れ様、ライザ」
「…………ありがとうございます」
殿下が差し出してくれたジュースを有難く受け取る。
えぇ、本当に疲れたわ。
どうしてあんな型破りなダンスを……と思う。
すると、殿下は申し訳ないという顔で言った。
「ごめん、ごめん。振り回してしまったね」
「……本当ですよ」
「本当にごめん……我ながら浮かれてしまった」
「え?」
浮かれた? ダンスに? どういうこと?
そう思ってじっと殿下の顔を見ると優しく微笑んでいた。
「なっ!」
(だから、何でそんな顔を、するの……?)
私は慌てて顔を逸らした。
そんな風に微笑まれるとどうしてもドキドキしてしまう。
───殿下が私に優しく微笑む度に心が混乱する。
私……エリザベスは、初恋の人の身代わりで愛されない存在ではなかったの?
……と。
(お願い。これ以上、私の心に入って来ないで……困るわ)
何だか胸の奥がひどく疼いた。
──この日の婚約披露パーティーで、愉しそうに婚約者の手を取り振り回すセオドア殿下と、彼に振り回されながらも必死についていこうとする婚約者エリザベスの様子は、周りに微笑ましいものとして受け止められた。
よって、セオドア殿下とエリザベス・マクチュール侯爵令嬢の関係は上手くいっている──
エリザベス嬢も以前は厄介そうな噂がいくつかあったが、心を入れ替えたのか言われていたほど厄介そうには見えない。
そんな話がこのパーティーを境に広がってゆく。
だけど、私は知らなかったし、全く気付かなかった。
パーティーの日。
周囲に“微笑ましい二人”として見られていた私たちのことをマクチュール侯爵夫妻がほくそ笑みながら、意味深な会話をしていたことを。
「ふむ。思っていた以上の成果を出してくれているではないか、あの娘」
「ふふ、そうね。あんな噂のあった殿下だから心配だったけれど」
侯爵の呟きに夫人も笑ってそう返す。
そして、侯爵はニヤリと妻に向かって不敵に笑った。
「これなら、本物のエリザベスとあの娘が入れ替わったあとも、エリザベスが殿下に冷遇されることはないだろう」
「ええ。色々と心配したけれど、時間稼ぎになってくれてちょうど良かったわ。憎いあの女の娘だけど、一応、エリザベスの役には立ってくれたみたいね」
「抱えていた問題も、どうやら片付いたようだからな──そろそろか?」
「そうね」
不穏な気配は確実に近づいて来ていた───