31.温かいキス
あれから数日が過ぎた。
私はあの直後に体力の限界がきて意識を失い、気付けばグレーデン公爵家の自室のベッドに寝かされていた。
侍女達が興奮気味でベッドに運ばれる私の様子を語ってくれた。
そう。私をベッドに運んでくれたのは、フィルだったのだ。
さらに今度は侍女達から、しっかりとお姫様抱っこであったとの証言も得ている。
またもや寝ている間に体験済とか!
しかも人からその状況を聞かされるほど恥ずかしいものはない!
そして現在、溺れただけなのに絶対安静を言い渡され、今ではゴロゴロと暇な時間を過ごしている。
暇つぶし用に置かれている新聞を、ベッドの上で広げた。
世間はヴァールブルク前公爵の悪事と、レーネがその悪事に加担した話で持ち切りである。
だがヴァールブルク兄弟の評判は悪くなるどころか、さらに人気が急上昇している。
『父親の悪事を自らの手で裁いた英雄達』
……ケッ!
半分以上私の手柄なのに、私のことは一切触れずに記事は興奮気味にヴァールブルク兄弟を絶賛している。
悪女を主役にするより、美青年を主役にした方が売れるってか?
怒りで思わず新聞を握りつぶす。
美男美女は得をすると前世で聞いたことがあるが、まさか異世界まで共通とは……悪女はつらいよ。
握りつぶした新聞の皺を伸ばしていると、扉が叩かれ侍女が入ってきた。
「お嬢様。ヴァールブルク公爵がお越しになられております」
ヴァールブルク公爵!?
厳つい顔のおじさんを思い出し、思わず顔を歪める。
その表情に侍女が怯えた。
すると廊下から溜息と共に、金髪の美青年が顔を出す。
「父を想像していたなら残念だな。現ヴァールブルク公爵は私だ」
「こ……困ります!」
侍女が部屋に入ろうとするクリストハルトを止めようとする。
「あら? 今回は見舞いに来てくれたのね」
クリストハルトに嫌味を言う私の様子に、侍女は無言の許可と判断し部屋を出て行った。
「公爵相手でも強気だな」
口元を緩めながら私に近付き、花束を差し出してくる。
「今更畏まられても気持ちが悪いのではなくて?」
花束を受け取りながら不敵に笑う。
「確かに」
「あなたもそのままでいいわよ。公爵に畏まられても気持ちが悪いから」
「ではお言葉に甘えさせてもらうよ」
そう言いながら、クリストハルトは胸ポケットから一枚の紙を取り出す。
手渡された紙を広げて中を確認する。
「グレーデン公爵家を継ぐことができなくなったからな」
『婚約解消承諾書』と書かれた紙には達筆で、クリストハルトのサインが記載されていた。
「おめでとうと言ってあげるべきかしら?」
クリストハルトがヴァールブルク公爵家を継ぎたいと思っていたことは知っていた。
だけど記憶が戻る前の私はその思いを捨てさせても、クリストハルトを自分の元に繋ぎとめておきたかったのだ。
私の言葉に、クリストハルトが俯いた。
「今となってはめでたいのかすら分からない。だがあなたが誘拐されたあの夜、真っ先に動いたのは他でもないフィルベルトだった。私は婚約者なのに、足が動かなかった」
騎士として鍛えられているフィルとは違い、クリストハルトは温室育ちだ。
緊急事態に咄嗟に体が動かないのも無理はない。
きっとレーネの元に向かったのも、体よりも思考の方が先に働いた結果だろう。
「最終的にはあなたに助けられたのだから、あなたのとった行動も正解だと思うわ」
だからといって婚約を続けるとは言わないけど。
「私達はもっとお互いを知ろうとするべきだったのかもしれない。そうすれば……」
クリストハルトが途中まで言いかけて首を横に振る。
「それよりも気付いているのだろ? フィルベルトの想い」
クリストハルトに探るような視線を向けられて、顔が熱くなる。
『俺はネディを愛しています!』
父に宣言したフィルの言葉を思い出す。
「私の弟を泣かせたら承知しないからな」
私が泣かす側、前提なの?
クリストハルトは部屋を出ようと立ち上がる。
先程言いかけた話の内容は分からないが、前世の記憶が戻っていなければきっとお互いを知るどころか、レーネによって私は嵌められていただろう。
そして、待っていたのは断罪の憂き目。
「あなたが私を知ろうとしたくなかった感情は、間違っていなかったわよ。だって私もあなたに想いを寄せていた時の私が大嫌いだから」
立ち止まり驚いた顔で振り返るクリストハルトに、口角を上げて笑ってみせる。
自分大好きな私が、自分を大嫌いと言い出したことに驚いたのだろう。
「ほらね。あなたは婚約者として、私のことをよく知っていた。だけど、恋に恋をしていた私はあなたの本心を見ようともしなかった。いえ。気付いていたけど知らないふりをしていたの。あなたよりも自分の気持ちが優先だったから。つまりあなたがいくら努力をしても、私達はうまくはいかなかったってことよ」
「……それだけではないだろうけどな」
クリストハルトが呟くも、小さすぎて聞き取れない。
「何か言った?」
「いや。それよりもフィルベルトに捨てられないようにせいぜい頑張るといい。まあ、捨てられたらまた婚約者になってやってもいいがな」
クリストハルトが笑いながら扉を開けると、その先に沈んだ表情をしたフィルが立っていた。
「冗談だ」
フィルの肩に軽く手を乗せてそのままクリストハルトは立ち去った。
その後ろ姿をフィルが目で追う。
「そろそろ来てくれる頃だと思ったわ」
クリストハルトが立ち去った場所から視線を逸らさないフィルに声をかける。
誘拐されたあの日から、フィルは毎日お見舞いに来てくれていたのだ。
「でも今日の花は必要なかったみたいだね」
ようやく部屋に入ってきたフィルが、私の手元の花束に視線を移す。
「フィルの花は部屋に飾るつもりだから、持って来てくれて嬉しいわ」
手を差し出すと、フィルが持っていた花束を私に差し出す。
そして先程までクリストハルトが座っていた椅子に腰かけた。
「兄上と何を話していたの?」
「これを渡しに来たそうよ」
不安そうに視線を上げるフィルに、先程渡された『婚約解消承諾書』を見せた。
「……」
無言で紙に視線を落とすフィルの顔を覗き込む。
「フィル?」
「……ネディはいいの?」
問われて目を瞬く。
「兄上はきっとネディのことが好きだよ。ネディが望むなら、兄上は婚約を続けてくれると思うよ」
「……フィルはそれでいいの?」
尋ねると、苦悩したような表情でフィルが俯く。
「ネディの気持ちが一番大事だから……」
「……クリストハルトが好き」
俯いたままのフィルの顔を伺いながら、答える。
「……って言ったら辛いくせに」
溜息を吐くと、フィルが顔を上げる。
どうやらフィル自身、自分の顔が怖いくらい強張っていることに気付いていないようだ。
「そんな顔するくらいなら、最初から私の気持ちを優先するなんて言わなきゃいいのよ。お父様も仰っていたけど、たまには強引に奪う! くらいの気概を見せた方が女性は嬉しいものなのよ」
眉尻を下げながら、フィルが強張っていた自分の頬をほぐす。
「フィルは昔から自分が大事にしていた物でも、人に譲ってしまう悪い癖があるわね」
「……取り返してくれるネディの優しさに甘えたかったんだよ」
ようやく少し口元を緩めたフィルの唇に、自分の唇を押し当てる。
温かく柔らかい感触が唇に伝わる。
キスってこんなに心が満たされるものなんだ。
目を見開いたままのフィルから唇を離し、不敵に笑う。
「これは人工呼吸じゃないからね」
「えっと……」
「何? 不満なの?」
頬を膨らませると、フィルが勢いよく首を横に振る。
「そういう意味で……いいんだよね?」
「なんでも人に譲っちゃうようなフィルには、私のように何でも奪っちゃう人間と一緒にいる方がいいと思わない?」
片目を閉じると、フィルがクスリと笑う。
そして今度は、フィルが目を閉じながらゆっくり顔を近付け、誘われるようにお互いの唇を重ねたのだった。
こうしてフィルと結ばれ、幸せいっぱいの私。
だが私達の試練はこれからかもしれない。
覗き見をしながらハンカチを噛みしめる『父』という分厚く高い壁が、立ちはだかっているからだ。
読んで頂きありがとうございました。




