呪詛(三十と一夜の短篇第81回)
記者会見は大混乱だった。
少女の死、ふたりの容疑者。
混乱に大混乱が上塗りされて、カメラとレポーター、束にされたマイクが警視の言葉を拾おうとする。
シュウカふたり。逮捕時に警官が負傷。重要参考人が容疑者になるまでの時間は短かった。
「ふたりともパン工場で働いていたって話だ」
「パンにツバ吐いてたんだ」
「変態どもだよ」
「撃ち殺せばよかったんだ」
「大村次郎は犯人ふたりと同じ部屋で五分間、三人だけにしてくれたら、一億払うって言ったらしい」
郡司刑事は好奇心の海を見渡した。辻警視の顔を記者の海の向こうに見る。
「現在、聴取は進行中です。現時点ではまだお話できることはありません。しかし、重要事項があれば、また会見を開き、現況を知らせます」
辻警視の神経質そうな顔は会見を打ち切って逃げたがっていることを語っている。
警視が去ると、お開きになった。
「心臓が見つかったそうだ」
「針が何十本と刺されてたってさ」
「ブードゥーの呪いか?」
「そんなことしなくても、十分呪われてるよ、ここは」
郡司は署の地下へ降りていく。つい、一時間前、女子仮眠室からあらわれた入鹿山警部補がそこへ降りていっている。
階段室から左へ。一番奥に頑丈な鉄のドアがある。錆止めペンキの古い扉。
そのドアを逮捕時に怪我をしなかった無事な利き腕で押し開ける。
真っ暗な部屋に発電機と投光器。
白い光のなかに裸のシュウカ――郡司に襲いかかった若いほうでモリオと名乗っている。
手で股間を隠し、あざだらけの体をすくませ、震えている。
シャツの袖をめくった入鹿山がその様を笑っていて、
「巡査部長、見ろ。このあわれなザマを」
股間を隠している両手は脹れたアザが切れて、どす黒い血が流れていて、それが手錠にねっとりと絡んでいる。
「さっきまで一人前に弁護士を呼べと騒いでいた。おい、クズ野郎。こっちを見ろ」
モリオは震えながら首をふった。
「どうして?」
モリオは首をふっている。
「安心しろ。何もしない」
モリオは首をふる。
入鹿山は砂鉄入りの手袋をはめなおした。
「なにが――なにが、望みなんだ?」
モリオはすすり泣いている。
「真実だ」
「どんな?」
「お前の真実だ」
「何を言えばいいんだ!」
「お前はあの子を殺した。そうだな?」
「違う!」
左、右のフックがモリオの脇腹を捉えて、糞と小便をもらさせ、膝をつかせた。糞と小便は入鹿山の靴にかかったが、入鹿山はモリオの髪をつかんで、引き起こす。
「お前は、あの子を、殺した。そうだな?」
「違う」
再び左フックが炸裂し、モリオは胆汁を吐いて、うずくまった。入鹿山がその顔を手で挟んで持ち上げ、まっすぐ目を覗き落とした。
モリオはすすり泣いている。
「お前はあの子を殺した。そうだな?」
「はい」
「はい?」
「はい。わたしはあの子を殺しました」
「どうして?」
「分かりません」
「レイプしようとしたんだ」
「はい。わたしはレイプしようとしました」
「お前は自供したいことがあるな?」
「よく分かりません」
「お前はあの子を殺した」
「はい。わたしはあの子を殺しました」
「お前は自供がしたいんだろう?」
「はい。わたしはあの子を殺しました」
「なぜ殺した?」
「レイプしようとしたんです」
「そうしたら? どうした?」
「分かりません」
「騒がれたんだ。そうだな?」
「はい。騒がれました」
「だから、お前は殺した」
「だから、わたしは殺しました」
「なぜ、あの子だったんだ?」
「分かりません」
「誰でもよかったんだ」
「誰でもよかったんです」
「お前は少女が好きなんだ」
「わたしは少女が好きです」
「幼いのが特に」
「幼いのが特に好きです」
「お前はあの子を殺したな?」
「はい。わたしは――」
モリオが耐え切れず、小さな奥まった目から涙を落した。
「天使さま、天使さま、天使さま」
平手打ちが入る。
「お前はあの子を殺したか?」
「はい、わたしはあの子を殺しました」
「なぜ、殺した?」
「レイプしようとしたんです」
「そうしたら、どうなった?」
「騒がれました。だから、殺しました」
「なぜ、あの子だったんだ?」
「誰でもよかったんです。わたしは少女が好きなんです。幼い少女が特に好きなんです」
「どうやって殺した?」
「分かりません」
「紐で首を絞めたんだ」
「紐で首を絞めました」
「どうやって殺した?」
「紐で首を絞めました」
「どうして首を絞めた?」
「分かりません」
「お前はそれをすると興奮するからだ。そうだな?」
「はい。そうです」
「お前は自供したいことがあるか?」
「はい。あの子を殺しました」
「なぜ?」
「レイプしようとしました。そうしたら、騒がれました。だから、殺しました」
「なぜ、あの子なんだ?」
「誰でもよかったんです。わたしは少女が好きなんです」
「どんな少女が?」
「幼い少女が」
「どうやって殺した?」
「紐で首を絞めました」
「なぜ首を絞めた?」
「首を絞めると興奮するからです」
「お前は少女の胸を踏み潰したな?」
「分かりません」
「お前は踏み潰したんだ」
「はい」
「なぜ内臓を抜いた」
「わかりません」
「それが狩りだからだ。お前は異常者の狩人だ」
「わたしは異常な狩人です」
「お前は少女をレイプした。そして、内臓を抜いた後もレイプした」
「はい、わたしは少女をレイプしました。内臓を抜いた後もレイプしました」
「なぜ、内臓を抜いた後にレイプしたんだ」
「分かりません」
「それが最高に興奮するからだ」
「わたしはそれで最高に興奮できるからです」
またホースで放水して、汚れを洗い流すと、服を着せ、二階の取調室へと引きずっていく。
辻警視が待っていて、その横に入鹿山が座る。
もうひとりのシュウカも髪までずぶ濡れで、顔はあざだらけ、ガーゼとテープが顔じゅうに貼りつけてある。
辻警視が口火を切った。
「それで自白がしたいのか?」
「はい」
「はい」
「それは誰かから強制されたようなものか?」
「いえ、違います」
「違います」
「なら、どうして?」
「良心の呵責です」
マジックミラーから見ていた刑事がふたり――成嶋と西が我慢できずに噴いた。
「では、質問するが、きみたちふたりは八月一日、祟ヶ森の神社の境内で、大村愛華を殺害したか?」
「はい、警視」
「なぜだ」
「レイプしようとしたんです。そうしたら、騒がれて殺しました」
「なぜ、大村愛華だったんだ?」
「誰でもよかったんです。幼い子どもが好きなんです」
「どうやった?」
「紐で首を絞めました。それで興奮するんです」
「なんで内臓を抜いた」
「それが狩りだからです。わたしは異常者の狩人だからです」
辻は手が潰れたふたりに供述書を差し出した。
「これに署名しろ」
ワイヤカッターは成嶋の首に刺さり、血だまりが階段まで伸びていた。
誰が手引きしたのか分からない。
天と地がひっくり返った。太平洋が干からび、ヒマラヤが水没する。コンクリートが人類滅亡の記念碑に刻まれた呪詩を高らかにわめく。全てが滅んだ世界に残るただふたつのもの――警官殺しと警官。
ふたりは成嶋を殺した。ワイヤカッターで手錠を切ると、二階の窓から飛び降りた。
怒りは何もかもを正当化する。怒りは銃を持つ人間に味方する。
ふたりは署の裏手から湖岸の砂浜まで走っていった。
シュウカたちはそこで待っていた。
水上警備用のボートに乗れるだけの警官と持てるだけの銃を。
防弾ベストが配られる。散弾を鷲づかみにする。MP5サブマシンガンのラックの鍵が解かれる。
怒りは何もかもを正当かする。怒りは臆病者を糾弾する。
桟橋から船に移ると、吐き気が込み上げた。警察船はシュウカの集落へ一直線に走る。
みんなが銃を持っている。レミントンのショットガンと九ミリのオートマティック。
みんなが銃を持っている。村田銃と南部十四年式拳銃。
ボートが走る。湖上の集落はどんどん大きくなる。トタン板と廃木材の迷宮。事件の核心。警官殺しの隠れ家。
クルーザーが走ってくる。大村次郎が猟銃に弾を込めている。
水の上の村。質屋の看板、赤と白の浮き輪。流木の集まり。シュウカの村は東南アジアのスラム街のように入り組んでいる。
怒りは何もかもを正当化する。怒りは権力の無法を許す。
縦にも横にも揺れない水の上で、シュウカ、警察、大村が集う。
五隻の警察船が船首をシュウカたちに向ける。
年代物の船外機をつけた小さなボートがシュウカたちの村からあらわれる。白髪の背の高いカヅオ爺が立っていて、もうひとり、ダックテールの髪型の若い男が船外機のレバーに手を置いている。
「帰ってくれ」カヅオ爺が言った。「あんたたちが探している男たちはいる。だが、彼らは何もしていない」
「ふたりを引き渡せ」別のボートから辻警視が拡声器で怒鳴る。灰色の拡声器には〈最後通牒〉というシールが貼られている。「さもないと、こっちにも考えがあるぞ」
「帰ってくれ」カヅオ爺はさっきと全く同じ言葉を同じ調子で繰り返した。「あんたたちが探している男たちはいる。だが、彼らは何もしていない」
「警察の忍耐を試すような真似をするんじゃない」警視が言う。「後悔するぞ」
そのとき、若いシュウカが立ち上がった。カヅオ爺は座らせようとするが、構わず怒鳴った。
「おれの兄貴は何もしてない! それをお前らがボコボコにしやがって! 失せろ、クズども! 何も知らないで、よくも――」
銃声は大村のクルーザーからした。若いほうのシュウカは喉を押さえながら、血を噴水みたいに真上へ吐き出して、ボートの底に倒れた。
村田銃の一斉射撃。
咄嗟に甲板にかがむと、船の欄干から火花が散って、弾が跳ねた。
「全員、発砲!」
かがみながら銃弾を集落に浴びせる――廃材が裂け、割れ、飛び散り、血がかかる。
カヅオ爺が何とか船外機を動かそうとする。ボートは北へ流れていて、そこに大村のクルーザーが突っ込む。
船首がボートを真っ二つにして、人骨が折れる音が銃声を飛び越えて、郡司の鼓膜を震わせた。
「助けてくれ!」
カヅオ爺が水面を叩いて、叫んでいる。
制服警官がふたり、銃弾を浴びせる。
水が赤く泡立って、カヅオ爺は痙攣で手をひらひらさせながら沈んでいった。
また、村田銃の一斉射撃。刑事がひとり肩を押さえて倒れた。
辻警視が叫んだ。
「船を突っ込ませろ!」
古い漁船でつくった回廊へ、警察船が走り出す。
小さな橋を船首が押し割り、鮮血が船体に飛び散った。
甲板に何か固いものが放り込まれて、ゴトンと鳴った――旧日本軍の手榴弾。
赤、黄、緑。光が飛び交う。光同士がぶつかり合い、ふたつに割れる。それが繰り返されて、宇宙は光で満たされる。「次の人、どうぞ!」密度の濃い、ぐったりしたビロードのなかを泳ぐ。ビロードが詰まった電話ボックス。ベルが鳴っている。受話器を取ると大村愛華の声が供述調書を朗読する。「何か自供したいことがあるだろう?」「はい。わたしは女の子を殺しました」「なぜ殺した?」「レイプしようとして、騒がれました」「なぜ、わたしを殺した?」「わたしは女の子が好きだからです。特に幼い子が好きです」「どうやって殺した?」「紐で首を絞めました」「なぜ?」「わたしはそれが好きだからです。わたしはわたしの上で飛び跳ねて、肋骨を踏み折りました。腹を切り開いて、わたしの内臓を引きずり出しました。腹を空っぽにされたわたしをわたしがレイプしました。それが最高に興奮するからです」叫ぶ。慄く。受話器を叩きつける。電話をもぎ取り、地面に叩きつける。「次の人、どうぞ!」ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。頭を抱える。許しを乞う。三人の元妻に、ふたりのシュウカに、ひとりの大村愛華に、存在しない天使に。天井から冷たい水が流れ込み、郡司は水から顔を出した。
青と白に塗った警察のモーターボートが破壊された船首から前のめるように沈んでいく。甲板が燃えている。
つかんだものを引く。体は沈みかけた板の上を無様に這いのぼる。
立ち上がり、銃を抜く。スライドを引いて、最初の弾を薬室からはじき出す。
だるま。古いドラマのポスター。緑色のソーダを入れたペットボトル。シュウカの居間。
どこかで火が出ている。子どもの頭がマッチのように燃えている。村田銃を持ったシュウカたちをサブマシンガンがズタズタに切り刻んでいる。
「皆殺しにしろ!」辻警視の叫び声がきこえてくる。
腹を撃たれたシュウカが水に飛び込み、泳いで逃げる。赤い染みをミズウミに残して沈んでいく。
郡司は集落を奥へ進んでいく。作業場。旋盤。日本刀を持ったシュウカが飛び出してくる。胸を二発撃つと、刀を振り上げたまま、真横に倒れた。
手榴弾が次々と爆発している。女子どもがピンを抜いた手榴弾に寄り集まって、肉片と化す。
いま、郡司が見ているのは世界の終わりだ。世界は沈み、コマ切れにされる。
畳のある船へ。カヅオ爺の家船。落ちた神棚に奇妙な天使像。
それを拾い上げ、胸に押しつける。
泳いで逃げようとするシュウカの頭が弾けていく。
奥の間。逃げたふたりのシュウカがいた。お互いの胸を短刀で刺して死んでいる。
壁が全て燃えている。
日本刀を持ったシュウカが立っている。九ミリ弾が胸に開けたふたつの穴から血を流しながら笑っていた。
二発撃つ。脇腹が破裂したが、シュウカは走ってくる。
撃つ。右の頬が破裂し、汚れた奥歯がむき出しになる。
スライドがオープンになって弾が切れる。
シュウカは崖から突き落とされたような叫びをあげる。
ドン! 肘から先が消える。
ドン! 頭が消し飛ぶ。
「こっちだ、巡査部長!」
ショットガンを捨てながら、入鹿山が叫ぶ。
走る。
トタンや梁が燃えながら落ちる。靴底が燃える。逃げ損ねたシュウカたちの泣き声が後ろから追いかけてくる。
湖に飛び込むと、弾が飛んできた。
「撃つな! 味方だ!」
辻警視の声。
警察用のボートが近寄ってきて、浮き輪を投げる。
入鹿山がすすり泣いている。
郡司は許しを乞う。
――シュウカの煤にまぶされた八月の青い空に。