母と綺麗。【3000文字】
処女作です。拙い文章ですが。
僕の母は、綺麗な人だった。
長く艶のある、染髪していない黒髪に、日焼けのない、透き通るような白い肌。
何よりも、まるで造形された人形のように整った顔立ち。
いつの時代でも、母は素晴らしく美しかった。
僕は母ほど自分の顔を美しいと、綺麗とは思わない。ただ、いつでも母似と言われていたし、それは事実であった。
母は僕を一人で育てた。父は政治家だった。
母と父は、大学生の頃、友達同士で開かれたパーティ、所謂合コンで出会った。父は母の美貌に一目で惚れ、母は父の豪快でありながら繊細な一面もある父に惹かれた。
お互いに惹かれ合った二人が付き合ったことに、なんら違和感はなかっただろう。
程なくして、母が僕を妊娠した。
父はそれを聞いてうろたえた。政治家にとって、妻はともかく、20代のうちに子が出来ていることはプラスとは言い難かった。
父と母は、別れることになった。
僕が生まれたのは、母の故郷である島根県だった。
母は毎日必死に働いていた。おそらく、父からの仕送りはあったのだろう。それでも、育児というのはお金がかかる。仕送りだけではとてもじゃないが足らず、母は仕事をした。
いつしか僕は、母に迷惑をかけたくない一心で、欲を言わぬ子になった。
結局、母が夜の街で働いていたと知ったのは、高校に上がってからのことだった。
母が店で倒れたので家に連絡が来たのだ。
幸い、ただの疲れであると言われたが、二、三日入院することとなった。
母がしきりに、
「ごめんね、ごめんね」
と言っていたのが印象的で、今でも鮮明に覚えている。
その頃の母は、もう40近くまで年を取っていた。
でも僕には、20の頃の母と、現在の母の違いがわからない。
顔や手にしわはなく、髪の艶も失われていない。
強いて言えば、若い頃特有の希望に溢れ、活気づいている雰囲気がなくなっていることくらいだろう。
母はまだ、夜の街の住人だった。
僕は大学生になって、東京に出た。
僕の家の事情を知る友人から、
「上京でもして自立するべきじゃないか」
と言われたからであった。
だから、母のことを一人島根に置いて、僕は東京に出た。
母のいない一人ぼっちの家は寂しかった。
自分で作るご飯より、母の作るご飯のほうが何倍も美味しく好きだった。
僕は寂しさを紛らわせるように、同じ大学に通っていた二つ上の、紗代と付き合い始めた。
上京してから一ヶ月ほどのことだった。
紗代は、男の望む言葉を言うのが得意だった。
愛嬌があり、可愛らしい女の子だった。
付き合い始めて三ヶ月程で、僕らはもう半同棲状態だった。
先に現状に耐えられなくなったのは、母の方だった。
僕が東京に出て半年くらい、紗代と付き合い始めて四ヶ月ほどのときだった。
母は島根の家を引き払い、僕の家に住み始めた。
母は相変わらず、20の頃と変わっていなかった。
紗代と母の関係は、良好といえば良好だし、そうでないといえばそうでない。そういう、微妙な関係だった。
ただ少なくとも、母から紗代に対していい感情は抱いていなかったと思う。
紗代は付き合い始めてすぐ、誕生日を迎えて成人した。
紗代は友達に進められて酒を飲み、煙草を吸うようになった。
いつしか、紗代の体からは常に煙草の匂いがするようになった。
時には、友だちと飲みすぎたといってべろべろになって帰ってくることもあった。
そのたびには母は紗代を風呂に入れ、着替えさせ、就寝させるなど身の回りのことをした。
ただ、成人してから時間が立つに連れて、紗代がそうなることは増えた。
母は、紗代に積極的に関わろうとはしなかった。
対して紗代も、あまり母のことが好きではなかった。
母がいるときにはそういうことも出来ず、ホテルに行ったり、母が気遣って外出しているときに決まってことは行われた。
紗代はそういう状況が不満みたいだった。
紗代はよく母の悪口を言った。
何故あんなに美しいのか。まるで魔女のよう。きっと、途轍もないお金を使っているのよ。
僕はそれを聞いてあまりいい気持ちにはならなかったけど、紗代のことを否定するのも気が引けて何も言えなかった。
よく飲み会に行くようになっていったのも、これが原因の一つであったのかもしれない。
次第に紗代と母、そして僕はあまり話さなくなっていった。
紗代と付き合い始めて十ヶ月程の時、紗代はいなくなった。
メールをしても電話をかけても、何一つ応答がなくなった。
紗代が一応持っていたアパートに行っても物は何一つなく、紗代は忽然と姿を消した。
思い返してみれば、僕は紗代のことをあまり良く知らなかった。
知っているのはメールアドレスと、電話番号、紗代のいなくなったアパートの場所くらいだった。
辛うじて、誕生日くらいはしっていた。
でも、紗代はご飯を食べる時なんでも美味しいと言っていたから、好きな食べ物や嫌いな食べ物も知らなかった。
あとから分かったことだが、僕は紗代が同じ大学の生徒であると思っていた。
しかしそれは嘘で、何処を探しても紗代が在籍していたという事実はなかった。
つまり紗代は、最初から嘘をついて僕に近づき、共に十ヶ月も過ごしていたのだ。
それを知った時、僕の背中に嫌な汗が伝った。
紗代がいなくなったその日、僕は初めて母と体を重ねた。
紗代以外の女性と体を重ねたのは初めてであったが、母がとても上手いのだろうということは分かった。
あまりその夜について覚えてはいないが、上から見下ろした母の顔は、とても美しく綺麗で、とても艶めかしかった。
10月27日だった。
それから僕は、誰とも付き合わずに母と二人で暮らした。
二年生のときには成人し、初めて酒を飲んだ。
初めて飲んだ酒はスーパーに売っていた‘ほろよい’だった。
炭酸にかすかな桃の味、3%という弱いアルコールでは僕は酔わなかった。
初めての酒は、まるでジュースのようだった。
母はいつも外国のお酒を飲んでいて、成人もしたからと言って僕も飲ませてもらった。
名前のわからないその酒は苦く、そして辛く、僕には難しい味だった。
その酒を美味しそうに飲む母は、大人なんだと突きつけられたような気がして、酷く心を揺さぶられた。
母と暮らし始めて、三年がたった頃。
僕はもう大学四年生で、卒論に取り掛かっていた。
母は昔のように夜の街で体を重ねてはいなかったが、バーで、バーテンダーとして働いていた。
僕は行ったことがなかったが、母は若くて可愛らしい女の子として扱われていたらしい。
母はまだ、美しく綺麗だった。
僕はもしかしたら、バーで働くというのを止めたほうが良かったのかもしれない。
はたまた一度店に行って、母の様子を確認したら良かったのかもしれない。
母は、店で母と出会った男に付きまとわれ、最終的に裏路地で乱暴をされた。
母が発見されたのは母がいなくなってから三日目のことで、既に息絶えていた。
僕が見た母の顔は既に治療が施されていたが、それでも一目でひどいとわかった。
何度も殴られたのか頬は赤く腫れ、唇は切れ、体の至るところに青あざが出来ていた。
母に乱暴をした男はすぐに警察に捕まり、逮捕された。
実刑には至らなかったが、僕はもう、それを望んですらいなかった。
母は死んだ。その事実は変わらないのだから。
母の葬式はこじんまりと行われた。
出席したのは僕と、僕の友人と、母の務めていたバーの店主や常連客。そのくらいしかいなかった。
母の顔にはうっすらと死に化粧が施されていた。
その顔は酷く白かったが、やはり、20の頃と変わっていなかった。
母は、本当に綺麗な人だったのだ。
最早綺麗という言葉を超えているような気もする。
顔や手にやはりしわはなく、髪も綺麗なままだった。
母はこの美貌で得をしたこともあっただろうし、今回のように、損をしたこともあっただろう。
ただそこにあるのは、母は美しく綺麗であるという事実のみだった。
僕の知り得る限り、母が美容の途轍もない金をかけ、美しさを保とうとしていたことはなかった。
母は天性の美しさを持っていたのだろう。
死んでなおも、20の頃と変わらないような美貌なのだから。
最近良く、友人に母に似てきたと言われるようになった。
確かに僕の顔は母に似ていたが、大人になり、母のような大人の雰囲気も昔よりは纏うようになったからだろうか。
ただ、ふと鏡を見た時僕は母がそこにいると錯覚しそうになるくらい、母に似ていた。
そのときの僕の顔は、決まって酷く美しく綺麗だった。