『しあわせはどこにあるのですか』
※ ※ ※
「はいっ、いっちょあーがりっ」
重たい『掃除機』を原付きに載っけて縄を結わい、エンジンを掛けて速やかに走り去る。風を切って走る道はいつだってむせ返るくらいカビ臭い。シブヤの街はどこもかしこもヒトの腐った臭いで溢れかえっている。
『――おぉし千歳従業員、次は道玄坂だ。他の奴らに取られる前に、確実にひとつ片付けてこい』
「相ッ変わらず人遣いが荒いんだから……。実作業してんのはあたしなんですよ」
『――何だ? 不満でもあんのか?』
「なんでもないよ、独り言」
ジロチョー親分を怒らせると後が怖い。冗談だってことで手打ちにし、地図と道路標識頼りに目的地へとひた走る。
私の名前は萩原千歳。人口ピラミッドが逆転し、滅多に仔の産まれなくなったこの世で、石にかじりついてなんとか生きてる孤児のひとり。死人の家に押し入って、清掃活動と死体処理。わずかばかりの金品を奪って懐に入れるのが生業。
産まれてすぐ母に棄てられ、児童養護施設からも追い出され、職場の先輩・ジロチョー親分が私の親代わり。
数えで何ヶ月か前、私たちは『仕事』の最中、とっても高価なセーラー服を『失敬』した。親分はそれを売り払って元手にし、会社を興して私ひとりを引き抜いた。
ジロチョー・クリーニング・サービス。略してGCS。やってることは前職と一緒。いや、親分は社長として詰め所にふんぞり返っているから、仕事の量は前の二倍か。朝から晩まで働いて、給金はお昼に菓子パンひとつだけ。割に合わないけど、生きてくためにはやるしかない。
「どうげん……どうげん、ここ、か」
フリガナの振られた地図を拾えて良かった。仕事の合間に読み書きを学んで、少しずつ漢字も読めるようになったけど、難しいものはまだまだわからない。
白骨が無造作に並ぶ大通りを左折。車だったころは何でも無かったけれど、スクーターじゃそれも一苦労。荷台の重量に負けて転んでしまいやしないか。いつだって不安になる。歯を食いしばって、祈りながら曲がり切り、坂を登る。
「ここでいいんだ……よね?」
適当な場所でスクーターのエンジンを切り、親分から手渡された『受信機』に目をやる。赤のぴこぴこ明滅が激しくなってきた。獲物は近い。荷を解いて掃除機のキャスターを引っ張り出し、カートの要領で牽いていく。
「あ、エレベーター動いてる。さんきゅー文明の利器」
行き来に階段を使わずに住むなんて。ここの住人は余程カネモチに違いない。私は私でラクが出来ていいけれど。ちゃんと電気が通っている辺り、家賃を払えるくらい儲かっているのだろう。
この星はいま、一割のカネモチが残り九割の貧乏人を無視することで成り立っている。『成り立ってる』って言葉はおかしいか。誰も口には出さないけれど、いずれそれも立ち行かなくなる。私達みたいな小間使いが死に絶えて、何もできないカネモチたちが残り、そのまま全滅。親分は『俺やお前が生きてるうちにそうなるかもな』って冗談めかして言っていた。
「さて、仕事仕事」
掃除機に引っ掛けた棒状の『マスターキー』を手に取って、ドアノブ目掛けて何度も何度も打ち付ける。三、四、五。六打目でようやくノブが外れ、扉が開く。親分が教えてくれた解錠法だ。他のやり方は聞いたことがない。
「はい、どーも。こんにちわ、っとぉ」
玄関先からでさえ豚だが犬だかのクズ肉の腐った臭いがする。死んでまだ一日以内ってところか。あと二日もすればハエがたかってウジが湧き、人の姿を保てなくなるな。経験でわかる。
「はいはい、どいてねー。掃除機が通りまーす」
散乱する生活ゴミを脇に蹴り、掃除機のホースを掴んで廊下を走る。インスタント・冷凍食品・携帯食料。いいご身分ですこと。私は三ヶ月に一回くらいしか口にできないというのに。
「あー、やっぱりこれか。『パンゲア中毒者』」
標的は顔半分を覆うヘッドセットをつけたまま事切れていた。最近処理した金づるの死因の約八割がこれ。この人たちにとってはもう、この世は死に場所にさえ不適当らしい。
パンゲア。クラウド・サーバースペースの中に作られた仮想現実。この機械で意識をそちらに飛ばし、そこで別の人生を生きるんだって親分が言ってた。
クラウドって何なんだろ。雲のことかな? なぁるほど、人間誰しも死ぬ時は空ってわけか。
「そんじゃま、お仕事お仕事」
ヘッドセットとこめかみの隙間に指を滑らせ、力を込めてぐっと引っ張る。気持ちよくすぽっと取れて助かった。大抵は生暖かい汁とウジがこびり付いて、しばらく臭いが取れないもの。
次いでポケットを探り、身体をまさぐる。死んでまだニ・三十分といったところか。素肌のところが中途半端に温い。あと四・五分もすれば温もりも失せて、関節も全部冷え固まってしまうだろう。
「金目のモノはナシ。ちぇっ、つまんねーの」
パンゲア中毒者はいつもこうだ。カネになるものはバーチャルの世界に注ぎ込んで、碌なものを遺しちゃいない。とっとと片付けて次にゆこう。持ってきた掃除機に『大型ノズル』を取り付けて、標的の首に固定する。
「はい、スイッチ・オン」
がりがり、ばりばりという音を響かせながら、女の身体が掃除機に呑み込まれていく。肌を潰し骨を砕き、血液は沸騰させて気化させる。チン、と音がした後、残ったものはなにもない。全部燃やしてカラにした。
「ほいさ。一丁上がりっと」
あとは細々としたゴミたちか。モノは多いけど、ヒトを処理するよりも簡単だ。ノズルをモノ用の小型に切り替えて、手当たりしだいに吸い込んでゆく。
こんな仕事で満足してるかって? なわけない。訳じゃないけど、鼻はとっくのとうに曲がって使い物にならないし、他の稼ぎ方も知らない。ただそれだけ。
「かえしてよ」
急に響いた陰気な声。他に誰か人がいた? 驚いて振り返り、辺りを見回す。どこだ? どこで私を視てる?!
「かえしてよ、ぼくのママ」
やけに大きな置物だなと放置していた。『そういうもの』だと思っていた。本物の、子ども? 手足が木の枝みたいに細くって、頬が痩けた凍るような目付きのあの子が?!
「かえして、って言ってるの」
「返してって言われても……」
あなたの母親は掃除機にかけて、もう灰になっちゃいましたよ。なんて伝えて納得するだろうか。しないだろうなあ。目が死んでるんだもん。どこ向いてるか分かんないんだもん。あんなの、何を言ったって意味ないよ。
「だから、それ、返して」
待てよ。この子はどこを見て『そう』言ってる? お母さんを返せというなら、それを吸い込んだ掃除機に言うべきじゃない? だのに、彼の目は一貫してそちらではなく、私が手にしたヘッドセットに向いている。
「ママって、これ?」
「ママ!」私が差し出したその瞬間、ヘッドセットを引っ手繰って抱きしめた。あれが、あの子にとってのお母さん? 腐り始めてた肉じゃなく、こっち?
「ママ! まま! 連れてって、ぼくも連れてってよ! 返事! 返事してよ、ねぇってば!」
産まれたときから孤児だった私にだって、これがおかしな光景だってのは解る。あなたのお母さんは私が焼いてしまってこの世にはいない。にも関わらず、ヘッドセットを上下に振って、居ないはずの母に呼びかけている。
「ねえ。ちょっとさ、落ち着こう。一旦、落ち着いて」
無視して仕事に戻ったってよかった。貰い事故で怪我をしたって、親分は手当もおカネも出してはくれない。それでも。なぜだかわかんないけれど、この子を見捨てて帰ることは出来なかった。
「なんだよ。邪魔しないで。ママに会うの。ここにいるもん」
「いないよ。見てたでしょう? あなたのお母さんは」
「いるもん! パンゲアで待ってるって! ログインすればそっちに居るって言ってたもん!」
どうして、見捨てて行くことが出来なかったか。曇りのない彼の瞳を見てその理由がなんとなくわかってきた。
「そっか。その歳で……」
大人は何が現実で何が妄想なのか解ってる。けれど子どもは違う。夢の世界で『ここが現実』と言われ続ければ、それを現実と違和感なく受け容れてしまうんだ。
この子もきっとそうなのだろう。現実逃避に子どもを巻き込んで、自分ひとりが先に死んだ。後に残された子どもがどうなるか、考えもせずに。
「おねえちゃん、それを返して。ぼくもパンゲアに行くの。ママのところに行きたいの」
ぼくのは壊れちゃったから。彼の足元に目をやると、眉間辺りが真っ二つに割れたサンバイザーが転がっている。
(もう、見ていられない)
なんでだろう。胸の奥がかぁっと熱くなって止まらない。私はイチもニもなく彼の枯れ枝みたいな手を取った。
「何するのさ、痛い……痛いって!」
「そりゃそうでしょ、アンタはまだ『ここで』生きてるんだから」
正しいかどうかなんてわからない。けれど、これはなんだか「違う」と思った。死んだ人間はもう戻らない。認めないまま生きてくのは嘘つきだ。高鳴るこの鼓動を信じ、嫌がるこの子を連れ出した。
※ ※ ※
「それで……うちまで連れ帰って来たってか」
「ハイ。雇っちゃあくれませんか、親分」
大きい荷物を結わえるのに、縄があって助かった。掃除機に少年を載っけて縄で固定。道交法ガン無視でひたすらに突っ走った。騒ぎ続けて疲れたのか、彼は形見のヘッドセットを握ったまま一言も話さない。
「阿呆かお前は。そいつを働かせるとどうなる? 手前ェの取り分が減るんだぞ。ンなことくらいガッコ行ってなくたって解るだろ」
ウチの仕事は不定給。遮二無二に働いたっておカネが入らず、日の食事にありつけない時もざらだ。
「それにお前さ、言い分も聞かずに連れてっただろ。ホントにそいつがそうしたいって言ったか? 違うだろ」
目を見ればわかる。親分は私の気持ちを見透かすようにそう言い切った。実際彼はここに来てから一言も喋ってはいない。
「悪いことは言わねえ。まだ生きてたいと思うなら、元いた場所に返してこい」
親分は汚いあごひげを触りながら冷たくそう言い、しばらく考えた後『待てよ』と呟き彼の手を取る。
「ツテは無いがアテはある。向こうだって人手不足で困ってんだ。恩を着せるのも悪かねえな」
「待って親分、何するの」
「資源の有効活用だよ。ここで邪魔になるんなら、他に売ってカネに変える」
人口ピラミッドが逆転し、ヒトが誰も空を見なくなった時代。子どもは生きてるだけで貴重な存在になった。カネモチが血の繋がらない子として預かったり、世を呪う人たちのストレスのはけ口となったり、ひどい時は『子供の肉を口にすれば長生きできる』なんて迷信と共に処分されたり。少なくとも、今よりも幸せな暮らしはその先にはない。
「オウ、何だその手は離せや」
「嫌だ。親方が先に離して」
彼は――。あぁ、名前すら聞いてなかったな。止めようとする私を見てもなお無表情を崩さない。売られたらどうなるかわかっているの? ママに会うだなんだなんて、もう二度とかなわないんだよ。言って伝えても新しい反応は返ってこない。
「母親にでもなるつもりか? 子どもを育てるのがどれだけ大変か分かってんのか?!」
「わかってるよ! わたし捨てられたもん! それでもちゃあんと生きてるよ!」
「てめーの話じゃねえ、こいつの話をしてんだろうが、すり替えンな!」
だよね。私の言葉じゃ、私よりふたまわりも長く生きてる親分を説得できやしない。
「私と親分しかいないカイシャでしょ? シャインは大勢いた方がいいんでしょ? ふたりでやればもっとたくさん集められるんだよ?」
「だから、それはお前が言ってるだけだろうが。こいつの、意志じゃ、ねえ!」
駄目だ。話がまるで噛み合わない。けど、分かってよ親分。これだけは譲れないんだ。無視してこの子を明け渡したら、私は何か大切なものを失ってしまう。言葉に出来ない、何かを。
「まま」
言い争いをする中で、私のズボンを引っ張る誰かがいるのに気づく。ママ? 手に持っているヘッドセットじゃなく、私を見てママって、そう言った?
「怒らないで。ぼくが、ぼくがちゃんとするから」
不安そうな声で、言い争う私の身体に抱き付いて。
「お前。ちゃんとするってェのは、どういうことだ」
「手伝う。ぼくにも仕事をさせて」
想いが、通じた? 私の気持ちが、頑なだったこの子を動かしたってこと?
「冗談じゃないぜ。うちは保育園じゃねぇんだぞ」
親分は意思を示せと言った。その結果がこれだ。だからもう責められない。ちりっちりの頭をぐしゃぐしゃにかいてそうぼやく。
「まま。これでもう、怒られない?」
「うん。そうだね、怒られない」
とても物わかりの良い子だ。だから今日まで生きていられたんだろう。ヘッドセットを床に放り、私の身体に腕を回して。
「これからは、ずうっと一緒だよっ」
「うん。ずっと・一緒」
ハグを求める彼に、私はすっと腕を回して。生きて行こう。この二本の足でちゃんと立って。たとえひもじくなろうとも、たとえつらくなろうとも。
「いいか。お前が拾ってきたんだからな。俺は面倒見んからな。分け前は半々。泣き落としは一切認めないからな」
解ってるよと返したところでベルがなる。また誰かがどこかで死んだ。私たちが処理してお金をもらう。
「そぉら仕事だ。生きていたけりゃしっかり稼げェ」
「はいはい、解ってますようだ」
生きてみせるよ。たとえお金がなくたって、夢も希望もなくたって。ふたりでいっしょに。彼の小さな手を握り、私たちはバイクの元へと駆け出した。
想いは正しく伝わらないし、学が無ければ先なんて見えない。
それでも彼女たちは生きる。他の道なんてどこにもないから。