1−3 えあいんねるんぐ――これが《空振偶像》だ! わかれ!
今話は廻陸目線じゃないです。
第三者視点、神の視点、三人称視点。呼び名はいろいろありますが、それです。しかし次回以降は戻ります。
このようなことがまたある可能性がありますが、その際は、前書きに記させていただきます。
それでは、本編へどうぞ。
「であとーといすとぅうぃるくりひしぇーん♪ きゅっせだいずぃっひぇるですぜんぜんまん♪ まへんゔぃーああいんふぇあとらーくみとぜんぜんまん♪ めんしぇんりーべいすとぅであしゅりゅせるつーあえんげるゔぇーあどぅんぐ♪」
「ねえあなた」
「だすれーべんいすとぅへすりひ♪
しゅてぃひ でぃーあ みと あぃねむ はいりげん ぷふぁいる いんす へるつ ♪ しゅりーせんずぃーかいねふぇあとらーくみとぜんぜんまん♪ ぜんぜんまんかんかいんえんげるざいん♪」
「ねえ」
「ふぇありーれんずぃーにひといむみゅにっしょんすれーげん♪ “しゅてぃるぷあぉふでむへーえぷんくとですぐりゅくす!”♪」
「黎守 寝頃っ!!」
「はにゃ!? なにごとぅ!?」
絶望的に吹き荒れた大雨の中、魔法少女の存在があるにも関わらず、常識が一部欠落した女は謎曲を熱唱していた。
「一応聞くけども、なにそれ?」
「題名はないよぉーん。作詞作曲は万億兆年前を死きた我が盟友ッ! 編曲は今を瞬き生きるこのクロカミネコロ樣にゃーぅッ! ところで誰? なんで名前知ってるの? 死ぬの? 死ねよ」
「これがカカナ? いやいやエセ日本語話すとか、そんなわけ…………」
「無視された。泣きそ。泣きます」
肩にかかる程度に伸びた茶髪とセーラー服。寝頃の真意を探ろうとする真っ赤な瞳を除けば、普通の女子高校生と思われる。もし魔法少女でなければ、その容姿だけで華やかな人生を送れていただろう。
その眼は、本当に異質な美しさだ。例えるなら宝石――いや、それを凌ぐ魅力が、そこに存在する。強引に穿り取っても、そのまま瓶に入れて飾ることを万人に許されそうな雰囲気すらあり、悪魔的な慾望を助長させる。
魔法少女は地面と平行に手を伸ばす。すると掌から上へ伸びるように、刀身が出てくる。二本、三本、五本、十本、……と限りなく湧いて出る刃が、寝頃を向き、連続的に突き刺さそうと飛んできた。
寝頃の《空振偶像》、一度目にしたことのあるものに変化できる能力。無機物だったり、極端に大きな/小さなものにはなれないことや、全く同じものには二度はなれない等のデメリットが有るが、それでも充分な効果を発揮してくれる。ちなみに、保健室の先生はただの変装・化粧であり、廻陸は能力によるものと勝手に勘違いしているだけ。それでもその素体が『本当の寝頃ではない』部分に限れば正解。
黒猫に姿を変え、自身を狙う切れ味の良い鉄板をことごとく躱し、刃を生み出す左手を削ぎ落とした。極限まで鋭くされた爪は、軽々と肉を裂けるようになっている。
だがその傷は、【のまほ狂信者共】の内で暫定一位の回復スピードを誇る廻陸とは、全く比べ物にならない速さで再生した。魔法少女は何事もなかったかのように、落ちた腕に装備される機械だけを回収する。緻密に仕組まれた構造が露出しっぱなしの薄い腕輪、幅的にはブレスレットと言うほうが近しい。
「これ失くしたら怒られるからさあ? ちょっと置いてきていい?」
「駄ぁー目♡」
隙だらけの首を掻っ切ろうと、全身を使って球体化した独特の体勢で飛ぶ。魔法少女の頭と身体が別れ、心臓の鼓動と同じタイミングで切断面が血を噴く。
四肢はビクビクと痙攣しているが、生首の方はそうでもない。目立った出血をする前に、断面から生えるように新たな胴体を生み出した。所要時間は、計測するだけで鬱になりそうなほど短く、恐らく千分の一秒にも満たない。一瞬と言うには早すぎた。
あからさまに引く寝頃の酷い気分を察することもせず、魔法少女は黒猫の腹部に一撃のパンチを入れる。大半の肉体が消し飛び、耳と少し残った手足の先だけが地面に伏せ落ちた。
「首を刎ねようとしたのに首もなくなってるじゃん。なんて可哀想」
そう言葉を発するが、実際は一切心を向けていない。冷酷、サイコパス、そういった類ではないが、似通っているようにも感じる。
「悪い猫ちゃんは調教しないとね…………?」
猫だったはずの肉片たちを右手の上に乗せると、小さな雷が落ちるような衝撃がそれを襲った。外見的な攻撃ではなく、中に、脳に攻撃を与える技――正確には思考を曖昧にし、時に操る。それが魔法少女リンドの能力だ。脳がない相手に有効かは判断しかねる。
見るも無惨な塊は、元の人間の頭に戻っていった。じわじわと再生しているものの、このままではもうしばらく時間が必要だろう。
旋毛から鼻の頂点までしかない手乗り頭などと言う気味の悪い作品が誕生したところで、予定通りの仕事を終えたリンドはその顔半分を投げ捨てた。
斬り捨てられたリンドの腕と胴体は、気付かぬ内に消滅している。この蜥蜴は尻尾を放しても証拠を残さないらしい。
風が、妙に止む。天気は改善傾向にあった。
「いっひ……いっひすてるべん……にひと〜…………♪」
「え………………は……はぁっ!?」
小粒の雨に曝される不完全な口が、何かを呟いているように聞こえる。
「いっひゔぇあで……あむ……れーべんぶらいべん…………びすであふぇあとらーく……せーぬ…………ゔぃるくんぐ……ふぇありーれん…………♪」
「あなた……なんなの…………一体っ! カカナでもないし魔法少女でも……ほんと…………気持ち悪い! 何なの!? 死ね! 死ねっ! 喋るな! 近づくな!」
相対する少女は、得体の知れないナニカに恐怖し、否定するように精神的距離を突き放そうとする。だが子供騙しもできない悪口が響く真面目ちゃんはどこにもいない。リンドは今、初めて経験する心霊的恐怖に、絶望処女の喪失を彫り返されている。
生命力の強い肉は、先程とは見違えるような速度で、欠損した身体を修復していった。いつの間にか寝頃は、腰を後ろに軽く仰け反らせながら立ち上がっている。そこに大敗の痕跡は認められない。
「いっひびんであえんげるですとーです,であごっとやーくとうんとふゅーあだすれーべんしゅてるぷとッ♪
ドーモ、ネコロチャンデェス。さァてさて? キミは神様を信じるかにゃア?
信じるならココに祈れェい! 死の淵を沿う天使ネコロ様が! 彷徨うその足元をーッ! クレーンゲームのようにィ――――軽ぅーく緻密ぅにぃっ♡ ンで一気に掬ってやるゥーぜェッヘェーッ!! くッ殺ォォォォ!!!」
体勢を前のめりにしながら、情緒不安定気味で、解釈を躓いた癖のある轟言を吐いた。多種多様な人格が一言ずつで変わり換わり、個性の渋滞が発生しているようだ。時々声まで変わっている。今にも重さで精神が崩落しそうな、とにかく誰が見ても正気ではない。
唐突に、しゃんとしない猫背から両翼が生まれた。散り舞う羽根の一枚一枚が生物的な意思を持ち、すべてが単体で生きて踊っている風に見える。
頭上に形成された光の円輪は、三稜鏡か、またはそれを通った光のように、美しい虹色を放つ。晴れてきた空が反射し、この世のものとは思えない絶景の一区画を演出した。
翼で数秒だけ全身を覆い、その後すぐさらけ出した肌は雪より白く、加工された金属の表面より艷やか。常々の小汚さはない。纏う物のない肉体には性別要素がなく、生殖器のような、あるべきものはない。胸部の数ミリの膨らみと筋肉感の露出を見ると、ほんのり女性寄りの体つきとなっている。しかし顔は中性的──いや、今までの概念なんて低俗なものを完全に凌駕する美しいもので、何と相対しようと負けることのない「力」を放射しているような幻覚すら感じさせる。違う、違う、本当だ。これは幻覚。この寝頃には顔と呼ぶべき部分は用意されてない。
周囲では光の粒が照ら照らと輝き、存在が別次元だということを実感させ、知るもの総てを過去のものにさせる世界が映っている。
雲々の隙間から漏れ出る陽が、寝頃だった者に降り注ぐ。神がこれを祝福しているのか……などと想う暇もなく、反撃の天使が、すらりと伸びた腕を前に突き出し、圧倒的な差を見せつける前戯を開始した。
実態のない光の刀が、殺意を持ってリンドを襲う。眼で追えない、軌道予測を無碍にする、何もかもを貫く。そんな無慈悲な攻撃が、たった一人の魔法少女を、肉体的にも精神的にもズタズタにさせた。
「やっやめ――苦し――――死」
再生は光の速度を超えることはない、と。だが、息を吸うように死を脳に灼き付けさせる刃は、越えられない壁の先で迸る。
いつしか、リンドは動けなくなった。死んだ、わけではない。だが肉体への負担が常軌を逸していた。脳すらまともに動作しない。
度を超えた殺戮に覚醒める天使は、止まることはないと思われた。その時、寝頃の記憶の中から、誰かが語りかける。
――――――――その命で敵意を向けてはいけない。
――――失ってはいけない。
――堕ちてはいけない。
戻れ。
別人格に近い存在に導かれ、天使は粒子となり消え流れ、元の寝頃が地に堕ちた。
「んぅ…………むにゃあ…………まだ生きてるのかいぃ……魔法少女めぇ……」
「あ…………ぁ……?」
よくわからない事象に救われ、リンドは確実な死の手前からの復活を果たした。それでも、情報の処理は未だ間に合わない。あの恐怖により来る震え・硬直・焦りは新たな心の致死傷として、遺り続けるのだろう。
だがその感覚は、ある一言によって、一時的に忘れ去られることとなった。
「許さんぞぉ廻陸ぅ……! あの壁壊した奴のほうが絶対楽だった…………ぶんなぐってやるぅぅぅうううあああ!!! ムッコロぉぉぉぉス!!」
身勝手極まりない八つ当たりをかますべく、疲労した筋肉に鞭打ち、伏せた状態のまま保健室に向かいズルズル移動する。
しかしその隣を走り抜いたのは、リンドだ。
今さっきまで起きていたもの全部を一度忘れ、乱れた感情をそのまま血と汗と涙にしながら、足を使ったことのない人間のような不安定さのまま全力で走る。
烏舞 廻陸――いつか手を繋ぎ合った者の名を持つ存在を追い駆け、太陽より眩しい希望と同時に果てしない後悔を、魔法少女ではなく、人間だった魔法少女としての自分に刻み込ませながら。
暖かさを奪う雨は去った。だが、火照った魂を冷ます風は、まだ吹き荒れる。