2−−2 聖なる銀
いちいち撮り残すには魅力の足りない、そんな日。数月前に学校から勝手に持ち出した赤い曲線の縫われた球――野球のボールを使って、キャッチボールをしていた。暇があればいつもこれで、そろそろ手首の使い方もわかるくらいの、長く続く日常茶飯事。
「能力に名前を付けてはいけない」。まだ能力に目覚めてはいないが、時々思い出して、名前を考えてみる。しかし意識的に考えると出ないもので、飽きて別のことに脳を方向転換するのがまた常。ただ、今日は違った。後悔の種は種である限り環境が整えば発芽するもので……その時たまたま偶然、早々に考えることを放棄した。発芽の環境ができてしまった。本当に、一生抱えることになる、入り込んではいけない世界だった。骨の髄にまで染み込んで抜けない、まさに大罪だった。
「《髄銀填撃》――?」
ふと自然に、口に出したその言葉。それが運命の舵を、『考えうる最悪』の角度にまで切って狂わせる。
変わらず普通に投げただけの球は目で追えない速度で空を奔り、受け止めようとするモクバの右腕を奇麗に丁寧に平べったく根本まで押し潰して、読んで字の如く、肩を地に落とさせた。
「あ……っ? あ、あああ」
残った方で感覚を失った部分に撫でて触れようとする。あまりにも過剰な威力だったからか、胸や脇腹もろとも、ほぼ丸々半身がそれの対象だった。
触れるはずの場所がないことで、モクバは現状を飲み込み始める。近くで見ていた側の、客観的視点の私こそ、彼女の今を捉えていないとおかしいのに、今見ているこの景色こそがむしろ嫌な非現実・幻にさえ思えた。
「あ゙あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああっ!!!」
濁点に穢れた血混じりの叫声で、ようやく現実に直面する。
能力が発現したんだ、このタイミングで。
「ああぁっ……痛い……熱いぃっ…………!」
なにをしたらいい、どうすればいい。教えて、助けて、手伝って。解決法のない混乱、他人任せの想いを馳せていた間に、ある男が光を差して伸ばした。
「熱つッ! ……ハーレッヂ、こいつも魔法にあてられたかな。辛い覚醒タイミング、だけど珍しい展開……やっと喜べそうだよ。そうは思わないかい、ライズ」
男、男だ。子供だ。
魔法少女である者に男はいない。力を譲渡し手放して男になった魔法少女がいたってのは聞いたことがある、しかしその男はこの世界に入れなくなったらしい。それを考えると、こいつの正体には自然に辿り着く。魔法少女の誰もが、答えを一種類だけ知っている。
「ヒュー・レゲノーツ……?」
「よくご存知で。まだ指名手配続いてるの? だったら目覚めたての能力で捕らえちゃう? しないなら、お姫様の下に行こうか。ハーレッヂを死なせたくなければさ」
度し難いことに、こいつは現状を打破できるかもしれない限られた光。堂々巡りで焦を描く脳では、頼る他の選択はなかった。
※ ※ ※
ヒュー・レゲノーツは扉を丁寧に押し開け、巨大なベッドで眠る姫の部屋へ侵入した。どうやって監視の多い城を練り歩いたのか、定期的に真っ白になる頭の中のせいで記憶が途切れていて覚えていない。
「おはよう、覗き魔。能力を貸してもらいたいんだけど」
「…………あなたはいつもそうですね? 城を壊さないでください、ヒューくん」
後ろを振り向くと、壁があるべき部分から空が見えた。空は、作ったみたいにとても青い。
「おーう、初めてそう呼んでくれたね。やっぱり僕の成長がわかるのかい」
「……皮肉が通じないのですか」
「それは通じる前提で言うもんじゃないでしょ?」
随分と、指名手配されている奴にしては姫様と馴れ馴れしく話す。常日頃から目を瞑る姫様がヒュー・レゲノーツを見る時だけは瞬きもせず瞳を剥いているし、今でもよくわからない。失礼を承知で、最大限濁らせた穢れの巣食うような闇深い瞳だと思った。
「銀弾をくれてやりましょうか? あなたを殺せるかもしれない弾を」
「ライズの? 何億回と投げ撃っても無駄だったよ」
「……私の銀弾が何か?」
「…………ライズが知ることではありません。それよりも」
「言ってなかったんだ。良いでしょ? 別に。まだ空は青いんだから」
「――え? え、そんな、なぜ?」
「頭のパーな姫君は置いて、ライズ。それはわかってると思うけど君の生まれた時の弾のことでさ、銀弾は。魔法少女が一人死んだんだよ。再生の余地もない、一撃で確実な致命。だから才はあるはずなんだけどね〜今回は開花できると良いな」
矢継ぎ早に繰り出される会話、私の介入する余地は銀弾に関する一言分しかなく、またそれは余計な事実を知ってしまう種で、モクバへの失態から何も学んでいないことを後々考えさせられた。
魔法少女が弾で死ぬ、それは未だ想像がしづらい話だ。頭を膾切っても簡単には死なないし、個体差の上澄みなら、生命力にステーテスが極振られてるのか跡形残らず消し飛ばしても無から再生するのもいる。それが魔法少女。なのに、なのになのに、だから事実には聞こえなかった。
「フルー・ラワ、雨を操る能力がある……さっきの話で死んだ魔法少女だね。もうひとつ死者が出た証拠をあげようか。そろそろ数合わせの魔法少女が生まれる。名前はトゥルゥ、同じような能力だから引き継いだ能名も合わせたら、トゥルゥ・ラワになる……んだったっけ? 確認してよヴァルリア」
殺す勢いで奴を睨む姫様が、一拍置いて吐き気が峠の頂に来た時と似たかたちに表情を歪ませ、いつも通りに瞼を下ろす。その瞬間、再度眼球を曝して、見てる側が危険を察する程に、どっと汗を吹き出した。
姫様には過去を見る能力があると噂されている、なんてことを思い出す。でも、今とそれとの繋がり方がわからないから、それとは関係ないんだろう。
魔法少女が生まれたことによる雨が降り出して、解散させられた頃には、モクバは無事に治して帰ってきた。いつの間にか消えていて、どこにいたのか。ちゃんと謝れる機会ができたせいで、その疑問は流れて消え去った。綺麗さっぱりと。
少ししてから、失念していた疑問が再度息を吹き返す。人間の世界では当たり前すぎて錯覚していた。
マニリュトの空は、見上げるたびに頭が痛くなるほど白飛びした色のはずなのに、なんで今日はあっちみたいに青かったんだろう?




