1−11−前 悼注架草ツアー逆走コース
「あの鉄球……誰だ? 見たことないけど…………」
ヒューの言葉と同時に、身体が動かなくなっていく感覚に気付いた。指も舌も動かない。視界の隅には影ができている。まさか感染していたのか、デミグラスの花粉に。
爪の間内側から細長いものが這い出る心地がある。目が見えにくくなったのも、それが覆ったからだろう。傍から見たらなんて無様な格好をしてるんだろうか。
「ん、これは都合が、タイミングが良い。ちょっと頭おかしくなるかもしれないけど我慢してね廻陸。他人は関係ない、僕らのためだけの繋がりなんだ。どうか信用してくれ」
クシャった紙を口に入れる動作を見せるヒュー。それが最後の、運命の別れ道だった。
※ ◇ ※
家の中に不審者が現れた。太陽光を通す窓の前にいて、逆光になってるせいで少々ふくよかなシルエットしかわからない。
「……そう、ですか。また、そうなのですか」
誰かに喋りかけている、俺になのか。わからない話を振る人間はもう間に合っているんだがな。知っているか? 星川 火狐って奴。
「はじめまして。あまり何度も言いたい言葉ではないですが、言わなくてはなりません。廻陸、殿。失った分の人生を取り戻したくはないですか?」
宗教勧誘は不法侵入までするようになったのか。だがまあ愚かな人間は、こういった話に惹かれるもの。
「俺に絶対的な得がある話なのか?」
「ええ……既に三度」
今までの間に、ストーカー的に何かを叶えてくれていたと、そう言っているのか。面白くはないイカれた冗談だが、乗ることになるんだろう。俺は、そんな愚かな人間なのだ。
※ ※ ※
行ってきます、その言葉を投げる相手がいて、しかもそれを返してくれる。高校入学を機に、特別ではないことの感銘を背中越しで知った。
太陽光を防ぐ雲には注意しないといけない。今から溢れてやると言わんばかりの濃炭色に対しては、傘を持たない選択肢が用意されていない。後付になるが雨合羽派は除いておく。
ともだちいっぱいできるかな、とかそんな心配はないが、いや「ない」ってのは「いっぱい」の部分に関してで、正直には友達できる気がしない。せめて箸を持つ時に使う指くらいは賄える数の友達欲しいなって思うよ。
ただ、うん、勝手な話だが、あのようなタイプは求めていない。いなかった。
「あーいおはおはおっはーイイ天気になりそうだよねえ作物的に」
選挙活動なのかってくらい挨拶の弾幕を敷く奴がいる。似た制服だから同じ学校だろう。だが校門より何メートルか手前の道でやることじゃない。人々が関わりたくなさそうに顔を下向けてるぞ、事故りそうで色々危ないからやめとけ。心の声が届くことはないが、俺だって初っ端からこんなのに関わりたくはないんだ。
「んっヘイそこの人生退屈そうなオトモダチ、ノッコとお近づきになれよ……後ろを振り向くな、誰もいないんだから。ほら、早う来んしゃいこのアホがーっ!」
来いと催促しながらこちらへ走ってくるとは一体どんな設定のピエロなんだ? 一般を逸脱した速度で突攻撃する女を避けなければ。いや、力づくで止めればいいだけか。そしたらこいつも以降近寄りにくくなる雰囲気に堕ちるはず。
もはや殺す気の突撃を片手で受け止め――あ、無理だ。昨日の魔法少女より力強いぞこの女。人間じゃねえ、モンスターだ。咄嗟にもう片手を出す。肩、は抑えられない、すまんが顔面に行くぞ。俺は謝らないからな、たとえ表情が変形しようが鼻骨砕けようが。
「あっーいぃぃぃぃ……おおお……っほわ…………」
「大丈夫か? モンスター類の女」
「自分でやっておいてサイコかよテメー……ノッコの吸い込まれそうな綺麗な黒髪に茶色けのある瞳が特徴のいたずらな美少女顔が…………せめて平均以上の胸をクッションにさせてほしかったなあ!?」
「大丈夫そうだ、これ以上なく」
「あなたのガールフレンド星川 火狐です、時間を献上せよ。たい焼きは尻尾が一番良いよねえ。お名前お伺いしても?」
唐突な自己紹介から始まる会話の避球、大丈夫じゃないのは頭の脳だった。これからの高校生活、ハイライト全部にこいつが映り込むとかないよな?
あーあ、俺の気分は天の気分と連動しているかもしれない。雨。とてつもない、桜を貶す勢いの豪雨だ。未来が心配で、泣いている。
※ ※ ※
黒猫は不吉の象徴なのだろうか。それに構っていると、奇妙な事を産み落としてくれるらしい。
「廻陸、だな?」
「誰だ? 俺は忙しいんだ。……ばあちゃんが二日目のカレーを温めて待ってる」
左目が白い青年は、表し難い力を持っていた。武力とか軍事力とかの力とは違って、魅力とか万有引力とかの力、だと思う。その傍らに立つ小太りの青年、個人的にはそっちの方が比較的光って見えた。彼もまた意識を惹く力がある。
「五年、十年、いくつ寝てたかは知らないが……どうだ。取り戻す気はないか? 失った時間を」
「どうやって?」
「……まあ、追々な。ただ面白くないバトル漫画並に死の危険だけは重く下がってるが、その天秤を平行に近付ける程度の恩恵はある」
なんて不適当な野郎だ。だがなぜだろうか、それに自ら掛かろうとする俺がいる。テキトーに上手く、これからを生きたい。現状の今より、少しでも良い今にいたい。この男に懸けるか夢を見続けるか、もし叶うとしたら……せっかくなんでな、俺はこっちを取る。波には沿って乗らなければ、囲まれて溺れ死ぬのだ。
「名前は、どう呼んだら?」
「こいつは優愉、その猫は猫」
「いいやネコロサマと呼びな」
「……俺は、“先輩”としてくれたらいい」
テキトーに選んだが、適当ではなかったかもしれない。しかし、これは俺が俺の意思で選んだ。後悔の念は最期まで、出し惜しんで温めておこう。
※ ※ ※
既視感はあるが、見たことない街。夢の中を歩くように、ひたすらに足を動かす。いつか必ず家に帰れると信じ、ただひたすらに進む。
妙に目線が集まってきている。そういえば喉が渇いたな、腹も空いた。たとえ毒蛇だとしても、栄養になるなら齧り食いたい気分だ。
「君、大丈夫か?」
この服……警官か。もし今日がハロウィンじゃなけりゃあ、この人に後先背負わせるのも良い。
「何かあったのか? 名前は言える? 君と、保護者の」
「烏舞 廻陸。ばあちゃん、祖母の名前はきうか」
「ああ、わかった。とりあえず署へ行こう。保護者へはこちらから連絡を入れる」
彼には感謝しかない。警察のパトロールが有用であることは一生忘れん。
※ ※ ※
目を開けた時、最も始めに得た感覚。それは脳が熱に焼かれるような、恐怖を知れる感覚だった。眼球が潤い、鼻から血が下る。
この見覚えしかない虫食いタイルの天井、個小空間ずつに仕切る薄いカーテン……病院。薄汚れているのを見ると、それなりの年季が入っていそうな。
母計 八鉈、もう顔も思い出せない父さんの名札が貼られた木箱が、小棚に置いてある。それに手を伸ばした瞬間、仄かに考えていた違和感の状態がわかった。一丁前の患者気取った状態であるにも関わらず、掛け布団以外で俺に干渉するものがない。なぜ?
木箱の中で眠っていたのは、限りなく透明に近い謎の石ひとつだけを配った簡素な首飾り。紐もまた光に当てれば見えなくなる、見栄え目的ではなさそうな首飾り。緩衝材の役割を果たした布には俺の名前が縫われているし、これは俺に対しての物だろう。意図はわからないが、ありがたく着けさせてもらう。魔除けの御守なら、今こそ役立ち時よ。
ベッドを降りて廊下に出た瞬間、狙ったかのように照明が絶えた。予測できる現状としては、本当に誰もいない廃病院に放置されちまったのか、実は隠れて監視されているのか。なんで俺がここにいるのか、それに誰かの思惑があるのかすら不明……なんと不親切なミステリーだこと。
さて、まずはどうしよう。




