1−10 味がする方
これ以上に雨を望んだことはない。こいつ、厄介だ。
デミグラスは粉を飛ばす。花粉的な粉で、太陽光で煌めかないとなかなか見えないもの。対象が有機物だとか無機物だとかは関係なく、浴びたら植物に寄生されるらしい。コンクリートの表面、熱を帯びた街路灯照明、巣を大きく成長させる蜂……対象の蔦が絡み発芽する、本当に無差別だ。気持ち悪い人道的博愛的区分に溢れている。全て終わった後、ここら一帯は自然に還ってるかもしれない。
接近戦に持ち込むため間合いを詰めようにも、単純な肉体勝負では勝ち目がない。奴の服はボディラインを強調する着衣エロ勢だと考えてたが、あれはそもそも服なんかじゃない。サポーターというか、外付けの疑似筋肉を形作る蔦の束。それが全身に張り巡り、限界を超越した動きをしやがる。まるで異様に活発な虫、素早くブンブン周りを回る鬱陶しい虫。
こーゆーのは関節を狙うのがいいよ! そんなわかりやすい弱点が曝されてるなら《脱色放》で全部消し飛ばして一度で解決するわ。なぜ植物はこうも無駄に根強いんだ? しかも受粉を狙って物質という物質に引っかかり続ける。もし次機会があれば塩水でも撒いてやろう、準環境破壊ですねー。はあ。
両手に《赫の衝慟》を纏わせ、カウンターを狙う。しっかし俺から行っても勝ち筋を掴める気がせん、どうすっかねぇ……。
「や、コニチワ」
――やばい、最悪だ。目の前、数センチ前にいる。全く反応できてない、動きを捉えられなかった。油断はなかったのに、完全に見逃した。
腹部に打たれる薙ぎ蹴り。たった一瞬だけ世界が止まったような感じがした。正面からの不意打ち、目に映らない高速。恥ずかしいことに、それらに気付いて脳が働いたのは衝撃で吹っ飛んでからだった。
俺を止めたのは車。コインパーキングに停まっていた、天井がない高そうな赤い車だった。オープンカーってやつ。
「あ゛ァ痛ってェ〜…………ここらは影響外のとこなのか……まあまあ、飛んだな。なんつー勢いだ…………」
車は随分凹んで、椅子もハンドルもブレーキも折れて外れて潰れた。ふたつ奥の車にまで玉突き事故を起こしている。それだけ強い威力でやられたのか。持ち主には申し訳ない。
ここでまた想定外の不運がひとつ、物が入ったレジ袋を落とす音と共に現れた。
逃げ遅れた女……年齢は多分俺と変わらないであろう奴がいる。少し感じる冷気とチラ見えする縦長ドーム状の透明プラ蓋、コンビニのソフトクリームだな。この疲れちった身体に効くことだろう、ちょっとでいいから分けてほしい。
「分けないよ? 蓬艾大福も買ってあるよ? つぶあん派だよ? 全部ノッコのお腹にゴーの予約があるからねえ。あ〜げな〜いよ〜はっはっはっ!」
「声に出てたか……」
「いやん、じゃなくって、カイちんだよね? お車殺戮しちゃってまあどしたん話聞かせてみな?」
「うるせーなチビ……死ぬ前にデザート諦めて逃げな」
「え゛っ」
知らない一般人に名前が流れてるのはもういい。どう安全な場所に移動させるか、それが問題だ。死人を出すのは嫌だし、彼女だって死ぬのは嫌だろう。
足枷がいる中での戦闘は今以上の更なる苦が強いられる。実際もう見える距離に来ているようなバケモノを、何かを守りながら相手にできるとは考えられない。安全な場所があるのかも、考える暇がない。
「イィヤアァァァァァア!! 光☆合☆SAY!!!」
「グラ、よく見たら高ぇな身長……二メートルあったりするか?」
「ありがと。褒められた。だけどない、手加減」
「はあそりゃあどうもッ!」
膝を踏んで逆側に曲げ、バランスを崩したところで頭上に拳を打ち込む。ことができるほど甘くなく、そもそも膝を崩してくれもしない。代替として額に蹴りを刺すも、仰け反らせることも少したりと叶わなかった。
「まずいな……」
「ある。美味しい、草」
最高速のステップで後ろに回るが、勿論対応される。手の甲で右頬を弾かれ、首が半周以上回り、後頭部を捕まれ地面に叩きつけられ、全身が翻り、視界が前後上下左右逆転したまま胸に蹴りを入れられ……見えなかったんで、ただ感じ方から予測した動きでしかないが、一度の機会でできる密度のカウンターじゃないだろ。
ああ、本当に危険な時の鉄臭い吐瀉ってこんなエグかったのか。細胞が騒いでいる。喉を通って逆流する液体たちと咳と涙が垂れ流しだ。戦闘の末で水分枯渇が死因になるなんてことがあれば、間抜けさだけはダーウィン賞レベルだな。
だが最初に回り込めた時点で、第一の目標『一般人が巻き込まれない程度の場所に移動する』は達成できる。戦場から人を追い出せないなら、戦場を変えれば良いだけだ。そのままの勢いでデミグラスに飛ばされる前の戦地へと戻らされたが、とても運が良い。次は『復活した黎守を回収する』と考えていたからな。
しかし計画ってやつは頓挫するものらしく、またいらぬ敗け戦を配置しやがった。黎守は再生できていない状態で、見てて不安になる姿勢で倒れている。死んでいるかのように。
少し距離を置いて、向かい合い話す少年と優愉さん。これまた再生できていないライズと、鼾出しながら添い寝るトゥルゥ……の隣で巨大な鉄球上に座ってる奴が不治の原因ってとこか? 新しい顔が短時間で増えると覚えられなくなるから勘弁してくれ。頭が割れそうだ。
しかも目にクる服を着てるのも気分の悪さを加速させる。横縞の、いわゆる囚人服なんだが、虹色だ。白黒じゃなくギラギラの粒子輝く虹色。全身それ。通報案件である。そいつは酒を仰いで、せっせと空瓶を量産し続けてる。半透明の瓶だから中身が見えるのだが、減り方がどうもおかしい。ひっくり返した瞬間に落ちている。ゴクゴク鳴らすこともせず、ストンと、一滴の逃しもなく胃に直通。あれをマジシャンがやったらスプーン曲げより驚く自信がある。これもある意味能力だろ。なんか怖いわ。意味がわからない。
それだけ呑む割には細い身体をしているな。悪い太り方をしてそうなんだが。頬がえらく痩けて、目付きも獄中死まで秒読みの不精さ。なんか妙に老けてる気するし。デキる男感ある刺々しいベリーショートヘアのせいで、微妙な犯罪で投獄された馬鹿に思えてきた。檻に帰れ。
「ッゥあァ〜……遅かったのゥ廻陸」
用があるならまず潔く歓迎しろ。細くないタイプの電子煙草を点けるな。劣悪な甘ったりい香害が脳をスカタンにさせるんだ、普通の副流煙吐かれてるのと気分そのものは変わらん。不快臭そのものを少しマシに調整しろ。
「アタシはミスマシっつゥ名前でなァ……ほら、名乗りは大事だろォ〜?」
「こいつ、酔ってるのか?」
「酔ってる状態で酔ってるって返す奴ァいねェだろ」
「……そうだな」
「大事なのは報連相だからなァ〜、要件は初っパナによォ、確実に伝えてやるぜェ〜?
え〜っとなァ、『こちらが求めるのは、ティナ、烏舞 廻陸、優愉 響、黎守 寝頃の保護である。その際は安全を保証する』だと。しっかりきっぱり全文そのままちゃァんと伝えたかンな? 聞いてなかった〜♡ はナシだぜェ……やァそれにしてもよォ〜なっさけねェなァライズゥ〜! アタシ嬉しくもねェのに笑顔になっちまうぜェ〜! ギャハハハハハハ!!」
酔ってるな。こいつ。
優愉さんを見ると、ちっと暗い表情をしている。少年のせいか、要件のせいか。どっちでも良いかな。俺が詮索するようなことでもなさそうだし。
話が続けられらないと判断したのか、少年が小さな歩幅でてくてく歩いて来る。顔だけなら小学生辺りの幼女なんだよな……犯罪臭が芳ばしく香るぞ。
「ねえ、廻陸。これはとてもとっても個人的な話なんだけど、手を組んでみない? 廻陸が僕に力を貸してくれて、僕は廻陸に情報を提供するんだ。そう、例えば、魔法少女の世界だったり、片神成とか裏切者の話だったり、僕の歴史だったり、断罪の夜についてだったり、廻陸の記憶を思い出させることだったり、この本の意味だったり…………」
先輩の持っていた本――どうやって入手したのかは気になるが、それ以外の情報が過剰で魅力的だった。この少年は、いや、
「改めて聞こう。お前、何者だ?」
「ヒュー・レゲノーツ……ヒューくんでいいよ。それにしても怖い笑顔だね、廻陸」
ヒューは、疑問をすべて解凍してくれる。そんな雰囲気が、無地の肌着だけに守られるこの小さな身体にはあった。こいつは俺の希望を司ることができる。そんな気がする。




