グラビティ・シフト
『グラビティ・シフト』
それは、重力が反転する現象。
今まで地面に向かっていた重力が反転し、人々は空という奈落に落ちていく。
――という空想をぼくはしている。
(筆者のコトバ)
実際に『グラビティ・シフト』なる現象を物語の装置として働かせた場合、きっと閉鎖的な物語になってしまうだろう。せっかくの『グラビティ・シフト』という特異な設定が無駄になってしまうのではないか。もし、『グラビティ・シフト』なる壮大な設定を用い、その設定の良さを失わずに、主人公の内面世界に頼らない、開放的で、エンターテインメントな物語を書くことができる手腕の持ち主がいれば、是非書いていただきたいと思っている。
十階の建物の屋上から下を見下ろしたとき、手に汗を握り、足がすくむ。
ある人はその感覚を楽しいと認識し、ある人はその感覚を恐ろしいと認識する。
そして、ぼくはそのどちらにも属さない。
ぼくはどれだけ高い建物から下を見下ろしても、ふうんとしか思えない。
しかし、どういうわけか、地面に立って、高い建物を見上げるとき、ぞっとする。
ぼくがこんなふうになったのは、三日前のことである。それより前は、ぼくは極度の高所恐怖症だった。
なぜ、ぼくが高所を怖がらなくなり、高い建物を見上げることを恐怖に感じるようになったのかというと、それは三日前に見た夢に原因がある。
こんな夢だった。
ぼくは会社に向かって、道を歩いていた。すると、突然、重力が逆向きになり、ぼくは空に落ちていった。ぼくだけじゃなく、周りにいた人全員が悲鳴を上げながら、集団バンジージャンプをしているかのように落ちていた。どこまでも、どこまでも空に落ちる……。
ぼくは空に落ちることが、地面に向かって落ちることよりも恐怖であることを理解した。そして、落ちたときに受け容れてくれる地面という存在を有難く思うようになった。
重力がいつ逆向きになるかわからない。いまはただ気まぐれで重力が地面(地球)に向かっているだけで、数年後にはぷいっと重力の方向転換がなされるかもしれない。『ポールシフト』ならぬ『グラビティ・シフト』だ。
ぼくは空想家である。
会社員であるが、仕事に没頭している時間よりも、空想をしている時間の方が長いので、空想家と名乗っていいだろう。
空想家であるぼくは、いつ起こるかわからない『グラビティ・シフト』への恐怖を和らげるために、『グラビティ・シフト』の起こった世界を描く物語を創造することにした。ぼくはある恐怖を感じたとき、その恐怖を超える出来事を空想することで、やり過ごすようにしてきた。例えば、震度四の地震を体験したら、震度七の地震の動画を見て、「こんなに大きな地震じゃなくてよかった」と自分を安心させた。
さて、ぼくは空想をした。
◆『グラビティ・シフト』
ぼくは家で朝ご飯を食べていた。
隣の椅子には妻が座っていて、二階では息子が眠っている。
……何が起こったかすぐにはわからなかった。突然、大きな音が聞こえたと思ったら、ぼくは宙に浮いていた。そして、すぐにバンと身体を打ちつけた。
机や椅子、食パン、割れた食器やコップ、パックからこぼれた牛乳……。ぼくの視界にはそれらが映っていた。
「いったい、何が?」
ぼくは身体を起こし、目を擦った。すると、信じられない光景が目の前に広がっていた。
部屋が反対向きになっているのだ。
ぼくは天井に立っている。
「何が起こったの?」
呻き声で、妻は言った。頭から血を流している。落ちてきた机の角をぶつけたのだろうか。今の状況への驚きのあまり、妻は頭から出血していることに気付いていないようだ。
二階(いや、今はもはや一階)で息子の泣き声が聞こえてきた。
「タカユキ!」
ぼくは息子の名前を叫んで、階段を降りようとした。
その途中で窓に映る景色を見て、絶句した。
空に落ちていく、幾十人もの人……。
ぼくは今悪夢を見ているのだ。そうに違いない。
ぼくはついには現実逃避をした。頬で指をつねっても、痛く、今度は拳で自分の頬を殴っても痛かった。
これは現実……。
息子の泣き声はまだ聞こえてきた。
妻を見ると、茫然自失としていて、状況を飲み込めていないらしい。
窓には大きな何かが空に向かって落ちていくのが見えた。
あれは、家だ。
あんなふうにこの家もいつか空に落ちてしまうのだろう。
世界は今どうなっているのだろうか?
大きな地震が起こったとかならば、テレビをつけて、ニュース番組を見るのだが、テレビは天井に打ちつけられて壊れてしまっている。いや、テレビが壊れていなくても、テレビをつけたところで、ニュースキャスターがこの状況を冷静に報道しているとは思えない。どの番組も砂嵐を流していることだろう。
ぼくは……無力だ。
※
ぼくは思った。『グラビティ・シフト』なる洋画っぽいタイトルで、物語を創作してみたが、あまりに絶望的な状況すぎて、登場人物に救いはもはやない。そして、どうやってこの物語を展開させたらいいのかわからない。主人公〈ぼく〉の家が空に落ちるまで、ぼくや妻、息子に何ができる? できるといえば、思い出の語らいだろうか? そしたら、どこにでもあるようなホームドラマと同じではないか。だったら、三日後に巨大隕石がやって来るという設定でもいいじゃないか? まあ、それだと伊坂幸太郎の「終末のフール」そのまんま。
そうだ。『グラビティ・シフト』に足らないのは、読み手が苦しく思えるほどの悲惨さだろう。登場人物を増やし、悲鳴を増やすのだ。たったひとりしか死なない推理小説よりも次々と登場人物が死んでいく推理小説(半ばパニック小説)の方が、最近の読者はお好みだろう。
◆『グラビティ・シフト』
義隆は「現国」の授業中、ずっと机に突っ伏して、眠っていた。
チャイムが鳴った。一時間目の授業を終える合図だ。それは、義隆を目覚めさせる目覚まし時計的な役割も担った。
「よう、いい目覚めだな」
義隆の親友、遥人が陽気な声で言った。
「まあな」
目蓋を擦りながら、重たい口を開く。
義隆は窓に映る空を眺めた。夏の青い空はどこまでも澄んでいて、高かった。
「次は体育だから、早く準備しないとな」
遥人が言う。
この教室は女子が着替えに使うので、早く出ないと変態扱いされてしまう。義隆は体操着の入った袋を鞄から取り出した。
……義隆は落下していた。目の前の遥人も、遥人だけじゃない、教室の中にいる全員が下に落ちている。机、椅子、鞄などもいっしょに落下している。
ガシャン。ものすごい音が教室に響いた。蛍光灯が割れる音も聞こえてきた。悲鳴も聞こえてきた。
教室が逆さになっている。天井が床で、床が天井。黒板の向きが入れ替わっている。一心不乱に泣き叫ぶ女子生徒、机の下敷きになっている男子生徒。さっきまでの平穏な学園の日常はどこへ行ったのか。一気にして、阿鼻叫喚の地獄絵図に代わり果てていた。
「おい、あれ」
遥人が怯えながら窓の外を見た。
まるで雨が降るように、たくさんの人たちが声にもならない声を上げながら、空に落ちていた。歯止めがきかなくなって、独楽のようにくるくる回っている者もいれば、観念したかのようにじっと宇宙に放り出されるのを待っている態のまま落ちる者もいる。
義隆はこの世の終わりを見ていた。
ただどうすることもできずに死の壁が自分に迫りくるのを待つだけだ。
義隆は母を思った、父を思った、弟を思った、小学生のときに恋をしたあの娘を思った……。きっと、みんな同じように空に落ち、宇宙に投げ出され、死ぬ。いや、もしかしたら宇宙にたどりつくまでに燃えつきるかもしれない。どちらにしても死ぬのは確定だ。
義隆は小さく笑った。
みな同じように死ぬのなら悪くない。
夏の清澄な高い空は今や下に位置してしまったが、どうせ死ぬなら、こんな素晴らしい晴れの日に死んだほうがいい。
義隆は窓を開いた。
「お、おい」
遥人が後ろで情けない声を出す。何をしているんだ、と言いたいのだろう。だが、義隆からしてみれば、ここで死刑囚のようにビクビクと執行を待つよりも、空へダイブするほうがいいように思えたのだ。
そして、義隆は窓から美しい青空に飛び立った。
※
やはり、書くことがなさすぎる。
『グラビティ・シフト』の威力が大きすぎるのだ。前にも似たようなことを述べたが、地震とかならニュース番組でアナウンサーが声を荒らげて報道し、それを見た視聴者は大変なことが起こっていると思い、大慌てする。しかし、重力が突然反対になれば、もはやニュースなど伝えている暇がない。安全確保とか言っている場合ではない。
空想家のぼくは『グラビティ・シフト』について考えるのをやめた。ぼくの空想した物語はぼくにあるヒントをくれた。それは――
みな同じように死ぬのなら悪くない。
巨大隕石が来ようと、宇宙人が攻めてこようと、重力が反対になろうと、ほとんどの人がそれが原因で死んでしまい、ぼくも彼らと同じように死ねるというなら悪くない。そう思えたのだ。
たとえば、通り魔に刺され、死んでしまう。
ガンに侵されて、死んでしまう。
そんな何百分の一の確率で、その貧乏くじを引いてしまうよりかは、みんなと同じタイミングでみんなと同じように死んだほうがいい。
人間、ひとりで死ぬ方が怖いのだ。
孤独死なんて、まっぴらごめんだ。
ぼくは高い建物を見上げても、恐怖を感じないようになった。