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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第7章~ハンメルンの町~
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96.テレーズ・ゼラティーゼ

 テレーズ・ゼラティーゼの瞳は、新月の夜よりも暗い色をしていた。


 まるで光そのものを拒んでいるかのような瞳に映っているのは、この国に住まう国民の安寧、などではなかった。


「今日は、誰を殺そうかしら」


 テレーズの瞳に映っているものは、人の形をしていなかった。いや、人の形をしていたが、少なくとも彼女には別のものに見えていた。


 テレーズはゼラティーゼ王国の女王に即位した後、その瞳の意味と真実を知った。「ワルプルギスの夜」自体は知っていた。約三百年前、魔女が理性を失い、国を滅ぼした災害。


 自身もその可能性を秘めていると思うと、心が躍ったが、それと同時に腹が立った。


――理性を失い衝動に任せて国を滅ぼすなど、ありえない。どうせ国を滅ぼすなら、理性を保ったまま、自分が正しいままに国を滅ぼしたい。


 そう、テレーズは思ったのだ。


 この瞳の変色の解明など、テレーズには造作もなかった。謎の夢に出てくる白い靄を問い詰めてみれば、この変色の意味もすぐに分かった。


 負の感情。


 どうやらそれが作用しているらしく、それをどうにかしてやろうとテレーズは考えた。


 「負の感情」が作用しているとは言っても、そんなものは自身の身の内にあるものだ。別に、まったく知らない誰かが攻め込んできているわけではない。


 要は過度な「悲しみ」だとか「怒り」だとかを制御できればいいだけの話だ。


 「負の感情」を飼いならせばいいだけの話なのだから。


 主導権はテレーズにあった。自身の感情の良し悪しを決めるのは、いつだって自分自身だ。


 「負の感情」は何かしらの状況において許せない、許容できない場合に生まれるものだ。


 悲しみも、怒りも、嫉妬も、憎悪も。何か、誰かに対する感情だ。どこかに矛先が向いている。その矛を収めるだけで、負の感情はなりを潜める。


 そう考えると、負の感情を消し去るというのはそう難しいものではないように思える。


 実際、テレーズにとってそれは頭を悩ませるほどではなかった。



 だからテレーズは、瞳が真っ黒に変わった今でも、自我を保っていられる。


「今日は誰を殺そうかしら」


 まるで、どこかの家族の母親が、その日の夕飯を決めようとしているかのように、同じ言葉を繰り返す。


 昨日は二人殺した。


 王都に住む靴職人と、辺境の農村に住む老人だ。


 靴職人は質の悪い靴を作っていたし、老人に至っては、ろくな商売もせずに作った野菜を自分一人で消費していた。


 それが、テレーズには悪に見えたのだ。


 だから殺した。


 初めのうちは国民を殺すことをテレーズも躊躇っていた。


 だからお腹が空いたときには地下牢獄にいる数多くの犯罪者を殺していた。彼らはどうせすぐ死ぬ命なのだ。


 死ぬ時期が、少し早くなっただけのことだ。


 ここ二十年は、そうやって犯罪者を殺して、テレーズは生きてきた。


 しかし、そんな犯罪者共にも数に限りがある。


 つい半年前、最後の犯罪者を殺した。強姦魔だった。多くの女性を穢し、殺してきた男だった。


 その男の最期の言葉を、テレーズは未だに覚えている。



「お前にも、お前のしたことに対する天罰が必ず下る。俺に天罰が下ったように、お前も無残な死に方をしていくのだ」



 その男の味は、テレーズには美味には感じなかった。


 ただ、蟻を指先で潰すように、この世から消すようにその男を消費した。



 そして今だ。


「……お食事を、お持ちしました」


 その声に、テレーズは振り返る。


 そこには、鎧を着た兵士と、地味な顔立ちの若い女がいた。服自体は別段羽振りがよさそうな出で立ちではなかったが、かといって貧乏なようにも見えなかった。


「女王陛下……こっ、これは!?」


 女が叫ぶ。


 その顔に張り付いているのは恐怖そのものだった。


――なんて美味しそうなんだろう。


 テレーズはその表情を見て、ニヤリと笑った。


 久しぶりに見る、若い女の恐怖に歪んだ顔。テレーズの大好物の表情。



 お腹が空いていた。けれど食べてもいい犯罪者(ご飯)は全部食べてしまったし、この空腹をどうやって満たそうか。


 そんなとき、テレーズは城の上から王都を見下ろした。


――なんだ、たくさんおやつが歩いているじゃないか。



「あなた、とっても美味しそうね。とっても美味しい、恐怖の香りがするわ」


 テレーズは立ち上がり女のもとへ近づくと、その恐怖に歪んだ顔の、引きつった頬にその手を当てた。


 女の恐怖が震えとなってテレーズに伝わる。



――ああ、早く食べてしまいたい。



「アセナ」


 テレーズは静かに友の名を呼んだ。


 その呼び声に起こされ、彼女の影から現れたのは怪物だった。


「アセナ、ご飯にしましょう。今日はご馳走よ。味わって食べましょうね」


 その喉を唸らせ、天井に届いてしまうのではと思うほどの巨躯で、影から現れた怪物は、主の声に呼応するように、一度だけ、大きな声で雄叫びを上げた。


「うんうん、喜んでくれているようで良かったわ。さ、鮮度が落ちないうちにいただいちゃいましょう」


「女王陛下! 何をなさるおつもりですか! 私が、私が何をしたというんですか!」


 女はこれから何が起きるのか分かっていた。テレーズらが言う「ご飯」というのが何を指しているのか分かっていた。


 だから必死に叫んだ。殺される理由などない、この身は潔白だ、と。


 ただその声は、テレーズ達にはただの鳴き声にしか聞こえなかった。死にぞこないの食材が何かを喚いている、ただそれだけだった。


 テレーズは女の顔を真っ直ぐ見つめ、一言だけ口にした。



「あなたの命を、(わたくし)にちょうだい?」



 次の瞬間、赤い花がその命を散らすように、白亜の床には鮮血が散りばめられた。


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