94.動機について
ジークハルトは決して顔の広い人間ではない。
ネーヴェ王国というこの国で生きてきた約二十年間のなかで、出会いという出会いは多くあった。
ただ、もともと人付き合いが苦手なジークハルトにとっては、どれもが長い付き合いになるほど太い糸で繋がらなかった。
だからこそ、今ジークハルトの目の前に座る人物と親密になれたのはかなり幸運なことだろう。
「よう。久しぶりだな、マイク」
目の前に座る男にそう切り出すと、その男はにっこりと笑って、
「久しぶりだね、ジーク。いつぶりだったか?」
そう返した。
「二か月ぶりぐらいだな。仕事の調子はどうだ?」
「まあ、それなりに順調だよ。昨日原稿を編集に渡したからこうして喫茶店で君に会えているわけだ」
マイクロフト・ワーカーといえば、この国では有名人だ。
彼は俗にいう小説家というヤツだ。書いているジャンルは推理小説。かくいうジークハルトも読んでいるわけだが、これがなかなかに面白い。
彼と出会ったのは六年ぐらい前だったか。
街中を巡回している時に起きたひったくり事件を、たまたま居合わせたマイクロフトがひったくり犯をとっ捕まえて解決してくれたのだ。
そこから突然、「小説のネタが欲しいから色々と話を聞かせてほしい」と言われ、頻繁に会うようになってから意気投合してしまい、ここまでの付き合いになった。
「それで、今日は私にどんな用向きだ? 君の方から私を呼び立てるなんて初めてじゃないか?」
言いながら、先ほどテーブルの上に運ばれてきたコーヒーに手を伸ばす。
「マイクの小説は僕も読んでいる。だからこそこの件に関してはお前にしか話さない。かなり、機密的なことだ。それでも聞くか?」
こればっかりは確認せねばならなかった。この日ジークハルトが持ってきた話は例の誘拐事件に関することだ。
極秘書類として扱われていたそれを、まったくの無関係の一般人に話すというのは仕事をする人間としてあってはならない事なのだが、ジークハルトの知る限り適任だと思える人物が彼しかいないのだ。
「面白そうなネタが目の前に転がっているのに、それを私が拾わないわけないだろう?」
床に落ちた硬貨を見つけたかのように、マイクロフトはニヤリと笑う。
その表情を確認してから、ジークハルトは口を開いた。
「お前の知恵を貸してほしい。一つ、未解決の事件を解決したくてな」
「ほう、どんな?」
「ウィケヴントの毒事件、あっただろう?」
「……あれか」
正直、これに関しては彼に話すのは躊躇われた。なんせマイクロフトの嫁が発作を起こしたらしく、本人的にはあまり気の進む話ではないらしい。
「あのときの混乱に乗じて誘拐事件を起こしたやつがいるんだ」
「珍しいな、この国で誘拐事件なんて」
「そうだ。だからこそ、二十年前のその誘拐事件は色々とおかしいんだ。未だに犯人が捕まっていないことも含めて、な」
なるほど、とマイクロフトが顎に手をあてがい、小さく頷く。
「面白そうな話じゃないか。もっと詳しく聞かせてくれないか」
§
「よくもそんなやばそうな事件に首を突っ込んだな」
それがジークハルトが話し終わった後にマイクロフトが発した言葉だった。
「生憎、真面目な性分でな」
「そういうのは自分で言うものじゃないだろう」
「とりあえず、そういうことだ。今の話だけで、犯人の動機とか分かるか? 大まかなものでいいんだ。それが分かれば追いかけようがある」
「そうだな……」
呟いてからマイクロフトはうーんと唸る。
「まず、前提の話をしても構わないかな?」
「ああ、なんでもいい。お前の思ったことを教えてほしい」
「では失礼して……」
コホンと一つ咳払いをし、椅子に座りなおすと、息を吐くようにしてその口を開いた。
「一つ言うと、動機っていうのはそこまで重要じゃない。必要ないかと問われたら必要ないと答えていいわけではないが、動機というのは真実と同義だ」
その考え方はジークハルトにはよく分からないものだった。
動機がそこまで重要じゃないという事自体に違和感を抱いた。
「どういうことだ?」
「真実っていうのはそう簡単に見えてくるものじゃないし、絶対に見えないものでもある。例えば、私が今この場で立ち上がるとする。その理由を私も君も知らないのだ」
全くもって何を言っているのか分からない。
「立った本人ですらも分からないのか?」
「仮にもし、帰ろうと思って立ち上がったとするだろう。しかし本当にそれだけの理由で立ち上がったのかと問われたら、私だって多分そうだとしか言えない。私の脳がそう錯覚しているだけで、本当の理由は別にあるのかもしれない」
確かにそうかもしれない。
今回ジークハルトがこの事件に足をつけたのは、妹の話を聞いて興味が湧いたからだと思っていたが、後から考えれば被害者の家族のことだとか、今後似たようなことが起きたら良くないからだとか、そういった理由が隠れていたことに気づく。
「つまるところ、私たちが手に入れることができるのは複数の事実だけだ。その事実を結び合わせて、結び合わせた糸を束ねて、初めて真実かもしれない何かになるのだ」
なるほど、と思う。
マイクロフトが言っていること全部聞いてみると、確かに動機なんてものがそこまで重要じゃないことは分かる。
要は絶対に分からないことを解明しようとしても時間の無駄だから、分かることでどうにか近づこうということだろう。
「だからまずはもっと事実という名の情報を集めるべきだな。そこから糸を繋いでいって、そうすると見えてくるものがあるだろう。もちろん、私も可能な限り手伝う。だからこの件はまたの機会に話そうじゃないか」
言って微笑んだ。
どうやらマイクロフト自身、この話をかなり楽しんでいるようだ。
彼が乗り気なら、この件を抱える両肩も少しは楽になる。
「そうだな。とりあえず一週間後、集めた情報をお互いに開示しよう。そういうことで今日はお開きにしよう」
ジークハルトは立ち上がると、財布から銅貨を四枚ほど取り出した。
「君が頼んだもの、そこまでの値段じゃないだろう」
それを見たマイクロフトが訝しげな表情を見せる。
「協力してくれることに対するお礼だ。ここは僕に奢らせてくれ」
それだけ言ってジークハルトは席を離れた。
カウンターにいる強面のマスターに握りしめた銅貨を手渡すと、
「また来るよ」
短くそう言って喫茶店を後にした。
やはりマイクロフトを頼って正解だった。
別に彼は名探偵というわけではないが、推理小説を書いている手前、そう言った知識、考え方を持っている。
それをさらに知ることができたことでより一層、捜査がしやすくなった。
ひとまず、妹にもう少し詳細を尋ねる必要がある。可能であれば誘拐された少女、トカリナ・リャファセバルの家族にも話を聞かなければならないかもしれない。
そう考えながら、ジークハルトは太陽が沈み始め赤く染まった道を一人、家路についた。
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