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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第6章~魔女嫌いな少年~
91/177

91.準備

 ネーヴェ王国の王都は中心の噴水広場から放射状に延びるようにして街道が走っている。


 そのうちの一本。


 俗に商店街と言われる街道がある。フリッシュ街道と呼ばれるその商店街ではどうやらお昼時が集客のピークだったらしく、僕とジャスミンが喫茶店を出てからフリッシュ街道に着いたときにはすでに太陽の傾きに比例するように、その人気は少しずつだが少なくなっていた。


 そして買い物が終わった今、空も若干の紫を交えた夕焼け色に染まりつつ、オレンジ色の光に照らされた商店街では店の暖簾が下り始めていた。


「本当にお邪魔して大丈夫?」


「親がどうしても連れて来いって言うからな。別にうちの家で人が来ることを悪く思う奴もいないし、別にいいんじゃないか?」


 全く本当に、母親には困ったものだ。


 ポケットの中の小さな紙片を握りしめながらそんなことを思う。


 母は僕が出掛ける時には何か用があれば何かしらのメモ書きを僕に持たせてくる。お遣いの時は何を買ってほしいかとか、そういう奴だ。


 大体僕の部屋の机の上に置いてあることが多いが、今日は全くもって別の場所だった。


「それにしても、いつの間に入れたんだ、こんなの……」


 ポケットから紙片を取り出し、クシャクシャになったそれを広げる。


『お買い物が終わったらジャスミンちゃんを連れてきてねー。絶対だよ、絶対』


 ただそれだけのことが紙には記されていた。


 この紙片の存在に気がついたのはついさっきだ。なんとなくポケットに手を突っ込んだらあったのだ。


 一体、いつの間に入れていたのか。あの人、薬師じゃなくてどこかの国のスパイにでもなった方がいいんじゃないのか。


「エルのお母さんって、すごい人だけどちょっと変わった人よね」


 その様子を見て、ジャスミンが微妙な笑みを浮かべながら言う。


「ちょっとどころじゃない。普通に変な人だ。変人だよ、あれは」


 一番変なのはその頭の中身だ。


 すぐに人を助けようとするほど頭の中がお花畑なくせに、新しいことは基本的にすぐに吸収してしまう記憶力を持っている。


 薬草の知識なんて僕では到底足下に及ばない。


「そういえばなんだけど」


 そう言ってジャスミンが話の話題を唐突に切り替えた。


「食料ってほんとにそれだけで足りるの?」


 ジャスミンが視線を落としたその先には、白い袋が二つ、僕の手に提げられていた。


「ああ、まあ。僕の家にある保存食もいくつか持って行くつもりだし。最初に着く町、ハンメルンってところだけど、そこでまた調達すればいい。その町までの食料ならこんなもんで十分だろう」


「ちゃんと調べてるのね」


「何事も計画性は大事だ。別に、観光目的で旅をするなら無計画に行き当たりばったりな旅でも問題ないけど。今回はそうじゃないからな。ある程度の動き方は決めておいた方がいい」


 これは建前だ。


 本音はジャスミンが勝手な行動をとらないためだ。この旅の主導権を握るためには、この旅における道筋だったり時間配分だったりを僕が管理しなければならない。


 その一端を見せて、「自分が旅を主導する」という意思を見せておく必要があった。


 この少女だって馬鹿ではない。むしろ天才なのだろう。だとしたら誰が何に適しているのかぐらい、分かるはずだ。


「じゃあその辺はエルに任せるわ。本当に、今回は考えて動かなきゃいけないもんね」


 その答えがジャスミンの口から出てくるのは想像できていた。というよりこれが狙いだった。


「じゃあ、そういう事で。ハンメルンからの動きはまた追々説明するよ」


 するとジャスミンも納得したように首を縦に振った。




§




 診療所に着くと、驚いたことに中は患者で埋まっていた。受付台の所には父レヴォルの姿。


 母コレットの姿は見当たらなかった。


 恐らく、診察室で診察をしているのだろう。


「エル、帰ってきたのか」


 そう言って、薬を袋に入れている手を動かしながら目線をこちらに向けてきた。


「こんにちは、ジャスミン・カチェルアです。お邪魔します」


 目が合ったのか、ジャスミンが小さく会釈をする。


「ああ、君がジャスミンか。コレットから話は聞いてるよ。エルがいつもお世話になってるね」


 薬を入れた袋を受付台の前に立っている患者に手渡すと、手を止め、今度はこちらに顔ごと向けて、にっこりと笑った。


「あ、いえ、こちらこそお世話になってます」


 世話になった覚えもなければ、世話をした覚えもないのだが。


「もしかして、手伝った方がいいか?」


 診療所の中を一周見回す。


 診察待ちのために設けられた長椅子は完全に埋まっている上に、診察室から出てきた患者に加えて、新しく尋ねてくる患者も少なからずいるようだった。


 患者のほとんどが高齢者で、若い患者は一人二人ぐらいしか見当たらない。


「今日、何かあるのか?」


 その様子を見てそれだけ付け加えて父に尋ねる。


「この辺の地域の老人会の方が団体で健康診断に来たんだ。多分もうすぐ終わると思うから、エルとジャスミンは部屋で休んでていいよ」


 父がそう言うならその言葉に甘えよう。本当に忙しかったら、両親はしっかりと僕を使ってくれる。


 それ自体が別に嫌ではない。勉強にもなるし、何より人との接し方を学べる。学んでなおこの性格なのだが。


「それじゃあお言葉に甘えて。行くぞ、ジャスミン」


 診療所の中をキョロキョロとしながら突っ立っているジャスミンの手を引いて、階段の方に向かう。


「あ、うん」


 短く答える声を背中で受けながら階段を上り、自室の扉を開ける。


 中に足を踏み入れると机の上に広げっぱなしになっていた『応用薬学』の本を閉じ、丁寧に本棚にしまう。


「とりあえず座って。今、コーヒー淹れるから」


「えっ」


 息を漏らすジャスミンはあからさまな反応を示した。


「……ミルクと砂糖もつけるから」


「それなら、まあ、飲んであげなくもないけど」


 どうして上から目線なのか。


「とりあえず、座って待っておいて」


「はーい」


 その一連の会話の中で、部屋の前で立ち止まっていたジャスミンと入れ替わるようにして部屋を出た。



 一階の台所に足を運ぶと、慣れた手つきで道具を取り出し、コーヒーを淹れる。


 家族以外にコーヒーを淹れるのは随分と久しぶりだ。少し前までは訪れた患者に暇を持て余さないようにと思い、コーヒーを淹れることがあったが、最近はそれすらもしていなかった。


 ましてや、個人的な客人にコーヒーを淹れるなど。


 久しぶりどころか初めてかもしれない。


 台所の適当な引出しから、これまた適当なお盆を引っ張り出して、黒々とした液体の入ったコーヒーカップを乗せると、台所を後にした。



 お盆に乗ったコーヒーを溢さないように、ゆっくりと階段を上がる。


 いつだったか、コーヒーのことを気にしすぎて階段を踏み外してコーヒーもろとも転がり落ちたのは今となってはいい思い出だ。


 そんなことを考えながら部屋の扉を開ける。


「すまん、待たせたな」


 そんなありきたりなセリフを口にする。


 どうやらその言葉は、扉が開く音にかき消されてか、はたまた外で鳴いている鳥の鳴き声に紛れてか、ジャスミンの耳には届いていないようだった。


 ジャスミンは僕の部屋の本棚の前に立ち、ぼんやりとした目でそこに丁寧にしまわれている本を眺めていた。


「ジャスミン?」


「……ん? あ、ごめんなさい。ちょっとボーッとしてただけよ。気にしないで」


 そう言って、一人用の小さな机の前に座る。


 僕もジャスミンの反対側に座ると、お盆からジャスミンの前に黒い液体が揺れているコーヒーカップを移動させる。


 同じようにして、もうひとつのコーヒーカップを自分の前に置く。


 お盆を床に置いて一息つくと、先ほど置いたばかりのコーヒーカップを口元に運ぶ。


 そのとき、あることに気づいた。


「どうした? ジャスミン」


 ジャスミンがコーヒーの揺れる水面をじっ、と見つめている。まるで、店で注文したものと違うものが来たときみたいな反応。


「ああ、そうか」


 僕は思い出したように口にすると、本棚の下にある小さな引き出しを引っ張り、角砂糖が詰まった瓶を取り出す。


 それを机の上に置いて立ち上がった。


「ミルクは今とってくるから」


「いらない」


「は?」


 瓶のふたを開けるジャスミンの顔を見て、僕は驚きの声をその喉から漏らした。


「いらない、って言ったのよ。別に、私子どもじゃないんだもの。コーヒーぐらい砂糖だけで飲めるわ」


 見栄にもならない見栄を張っていることは明白だった。そういうことを気にしているうちはまだ子どもだという事に気づいていないのだろうか。


 しかしそのことを指摘するのは、彼女のおかしな自尊心を傷つけることになるだろうからやめておく。


「そうか」


 そう短く答えながら、ジャスミンが角砂糖を四つぐらいどぼどぼと音を立てて入れているのを見て見ぬふりをしながら、自分のコーヒーが置いてある前に座る。


「――エルのお父さん、すごく温厚そうな人ね」


 角砂糖を入れたばかりのコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、ジャスミンが口を開いた。


「まあ、そうだな。うちの両親は反吐が出るほどのお人好しだからな」


「そこから生まれたのがエルっていうのが信じられない。どんな育ち方をしたの」


 はて、一体どんな育ち方をしたのか。


 別段、おかしな育ち方をした覚えはないし、変な育てられ方をした覚えもない。嬉しいことに、しっかりと愛情を注いでもらって育ってきた。


 どこをどう間違えればこんな性根の腐りきった人間になるのか、自分でも分かっていない。


「どんな育ち方をしたんだろうな」


 そう返すほかに、回答を見つけられなかった。


「そういえば」


「なんだ」


「ハンメルンの後の動きを後で説明するって……」


 ああ、そのことか。


「分かっていると思うが、今回の旅の主目的はローイラの花を取りに行くことだ。でも目的地の大森林はゼラティーゼ王国の最南端だ。そこに行くまでにさすがに経由する町が一つっていうのはキツい」


 言って、立ち上がり本棚の方に足を運ぶ。


「ええっと、どこにあったかな」


「何を探してるの?」


「ネーヴェ王国周辺の地図」


 本棚に綺麗に整列している本の背表紙を指でなぞる。たしかこのあたりに挟んでおいたはず。


「二段目にそれっぽいのあったわよ」


 ジャスミンのその一言を聞いて、なぞる指を一つ下の段に移す。それからまた、同じように指でなぞる。


「ああ、あった」


 本と本の間からかくれんぼに失敗した子どものように、折りたたまれた紙の上側を少しだけ突き出すようにしてその顔を覗かせていた。


 それを引っ張り出して小さな机の上に広げる。


「とりあえず、ハンメルンでどれくらい食料が調達できるか分からないからな。一つ隣の町とまではいかないが、二つか三つ隣の町に立ち寄りたいな」


「そうなると、このヴァルラってところか、クエロルってところね」


 その言葉と一緒に、ジャスミンが地図上の文字に人差し指を置く。


「だな。その二つの、どちらかに立ち寄ろう。そうすると、次は王都を経由できる」


 ゼラティーゼ王国の王都は、それはもう活気がすごいらしい。どうやら父も母もゼラティーゼ王国の生まれだと聞いた。


 本当に人だかりがすごいのだと、身振り手振りを使って小さい頃に話してくれた。


「あとは……大森林と王都の間に町が一つあるな」


 地図には確かにそこに町がかかれている。ただ、どういうわけかその町の名前が記されていない。


「この町、本当に存在するの?」


 ジャスミンのその疑問は誰もが抱くであろうものだった。


「なんとも言えないな。この地図自体、そんなに古いものじゃないから、存在はしている、はずなんだが。どうにも違和感があるな」


 この地図はちょうど二年前ぐらいに商店街で購入したものだ。たしか三年に一度の頻度で地図が作られているはずだ。


 国が出しているもの、もっと言えばツルカが作っているものだから間違いはないと思うのだが。


「まあ、あったら立ち寄るぐらいの気持ちでいよう。なんせ王都に立ち寄るんだ。それなりの食料は手に入るだろ」


 そう口にしたところで部屋の扉がノックされる音が聞こえ、少しだけ開いた。


「エル、それにジャスミンちゃん。患者さん、そろそろ少なくなってきたから準備始めよっか」


 その少しだけ開いた隙間から、揺れる白い髪と一緒に聞き慣れた、母コレットの声が顔を覗かせた。


「準備って?」


 準備という言葉に疑問を持ち、そう尋ねる。


 すると、少ししか開いていなかった扉を全開にさせ、にっこりとした満面の笑みを見せつけるようにして母はこう言った。


「壮行会の準備だよ」


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