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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第6章~魔女嫌いな少年~
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89.二人でお出掛け~2~

「で、結局何も買わなかった、と」


 目の前に座る茶髪の少女をぼんやりと眺めながら僕はそう呟いた。


「うん。別に欲しい服があったわけじゃないし。着替えなら多分、数着ぐらいは家にあるはずだし。君が何でもいいって言ったから買わなかった」


 そう言ったジャスミンの姿は、本当に今朝出会ったときと同じ格好をしていた。


「で、次はどこに行くんだ。一体どれくらいの旅になるかは知らんが、食料はどのみち必要になってくるぞ」


「うん、それは後で買うよ」


「まだ何か買っておかなきゃいけないものでもあるのか?」


 運ばれてきたアイスコーヒーを受け取りながらジャスミンに尋ねる。


 持って行くべきものはそう多くはない。


 それなりの街なり村なりまでの間の食料と、着いた先での宿代だったり食費だったりの資金があれば十分だ。


 それにいくつか聞いておかねばならないことがあった。


「それと、移動手段はどうするんだ? さすがに徒歩ってわけじゃないだろ」


「その辺も全部ひっくるめて今から話すから。とりあえずこの場でいろんなことをお互いに示し合わせておこうと思って」


 少し遅れて運ばれてきたイチゴジュースを受け取って、それを一口だけ喉に流し込んでからジャスミンはそう告げた。


「とりあえず、君の質問から答えるけど。移動手段は空飛ぶ絨毯よ。お母さんに色々と事情を話したら、使ってもいいって」


 空飛ぶ絨毯。


 まるでおとぎ話に出てきそうな単語だ。


 そういえば、こいつの店に行ったときにそんなものがあった気がする。


「それと旅の予定は未定ね」


「は?」


「だって、これは犯人探しの旅なんだもの。犯人見つけるまで終わらないわよ」


「僕とお前だと目的が一致していないみたいだな。今回の旅はローイラの花をゼラティーゼ王国の大森林に取りに行くだけだ。それ以外の目的は一切ない。ものすごく長く見積もっても一か月そこらだ」


 この天才少女の探偵ごっこに付き合うつもりは最初から皆無だ。わざわざそんなことに付き合う必要性を感じないし、何よりも危険が付き(まと)う可能性がある。そんなところに足の先だって突っ込みたくない。


「そもそもの話、犯人の当てがないだろう。そんな状態で、どこをどう探すつもりなんだ」


「私だって、何も無策でやろうとしてるわけじゃないの。ちゃんと方法も考えてる。すごく地道だけど」


「とりあえず、探偵ごっこは一人でやってくれ」


 それだけ言うと、「分かってるわよ」と仏頂面でジャスミンが呟いた。


「あとは、そうね。私の作った魔法道具の使い方だけでも知っておいてもらう必要がある。結構便利な物ばかりだし、もしもの時に役立つものもたくさんあるから。旅の道中で教えるわね」


 別に、魔法道具自体には興味も関心もなかった。


 ただ、こいつのことだ。拒んでも無理矢理にでも教えてくるだろう。はいはい、と適当な返事を返しておく。


「それじゃあここでお昼を食べてから市場の方に行きましょうか」


 その意見には同意できた。


 太陽は天辺よりほんの少しだけ西に傾き、薄暗い店内からはその光に照らされた街並みが、店の看板やら店先に出された雑貨が光を反射させて輝いているようだった。


 時刻は十二時半か、一時前といったところか。


 ちょうど腹の虫も鳴り出す頃合いだ。


「それもそうだな。ここで適当に済ませて行こうか」


 そう言って、店員を呼び止めようとした時だった。


 どこかから視線を感じた。それと同時に小さな話し声。それらが向けられた先は間違いなく僕たちが座るテーブルだった。


 振り返り、声がした方を見る。


 どうやら少し後ろのテーブルからそれは届いているようだった。少女が三人、ヒソヒソと話しながら、時折ちらちらとこちらに視線を送ってきていた。


 その様子に僕は嫌悪感を抱いた。


「なんだよ、感じ悪いなあいつら」


「あれ、私の魔術学校一年の時の……」


 ジャスミンのその声は少しだけ震えていた。


 怯えるようにしてその顔をメニュー本で覆い隠す。


 その様子を見て何を思ったのかは分からないが、三人の少女の内の一人が立ち上がり、こちらに歩いてくる。


「おい」


 一言だけ呟くと、少女は自分の存在を気づかせんとばかりに、思い切りテーブルを叩いた。


 それに呼応するように一瞬、ジャスミンがビクリと体を動かした。


「あんたさあ、さっきからあたしらの視界に入ってきてウザいんだけど。とっとと出て行けよ、魔術馬鹿(ギーナー)


 とんだ言いがかりだ、と思った。それと、“ギーナー”というのがどういう意味かは知らないが、何らかの蔑称であることも何となく分かった。


 分かっただけ、思っただけで僕は何も言おうとはしなかった。こんなとち狂ったやつに関わるとロクなことがないと、直感的に感じ取った。


「ごめん、なさい」


 掠れるような、消え入るようなジャスミンの声は昼間の喫茶店内の温度を少しだけ下げたようだった。


「分かったらとっとと出て行けよ。あんたと同じ空気、吸いたくないんだけど」


「それは……」


 その光景は、まさしくいじめっ子といじめられっ子そのものだ。


 ジャスミンの様子も僕の知っているものと違っていた。普段の図々しい性格からは予想もできないような、飼い主に怒鳴られた後の子犬のような状態だった。


――空気が重たい。


 この場にいる誰もがそう思っているだろう。


 現にこの光景を目の前で見せられている僕の身にもなってほしい。


 見るに堪えない光景だった。


 いつもは苦みを感じないコーヒーに苦みを感じるぐらいだ。


 少女のジャスミンに対する高圧的な態度は少しずつ、しかし着実に喫茶店内の空気に重りをつけていった。


「大体さあ、卒業したとたん何? 男引っかけて、ませてんじゃねーよ。調子乗ってんのか」


「ごめんなさい……」


 さすがに、看過できるものではなかった。


 面倒ごとは嫌いだ。そういう人間と関わるのはもっと嫌いだ。


 だけどそれ以上に、弱者を虐げるような行為をする人間はもっともっと嫌いだ。


「黙って聞いていれば……」


――本当に、ため息が出る。


「あんた、そういうことして恥ずかしくないのか?」


「は?」


「僕はすごく恥ずかしいぞ。周りの人間の視線が刺さってくるようで」


 そう言って、僕は周囲の人々に視線を向けた。


 誰もかれもが何事だと言わんばかりの表情で、こちらを注視してきている。


 その視線の先は、今僕たちのテーブルの前に立つ少女に注がれていた。いや、突き立てられていた。


 その視線に少女も気づいたのだろう。


 一瞬だけ顔を赤くした。


「うっ、うるせーな! 部外者は黙ってろよ!」


 どうやら、羞恥心を捨てたようだった。


 その言葉には先ほどよりも一層棘を含ませているのがその声音から窺えた。


「部外者はどっちかな。僕はジャスミンと大事な話をしていたんだ。それに突っかかってきたのはあんただろ」


 そう言うと、黙り込んだ。


 何も言い返せまい。


 事実、この状況で、この空間で排斥されるべき対象はこの少女だ。店内にいる他の客でさえも、そうであるべきだと視線で訴えかけていた。


「大体、あんたはジャスミンに何か恨みでもあるのか?」


「それは……」


 先ほどと同じように黙り込む。


 こうなるだろうな、とは思っていた。


 この少女は僕が思った通りの反応を見せてきた。


「つまりそういう事だよ」


 別に、この少女はジャスミンになにかされたわけではないのだろう。ただただ気に食わなかった。それだけのことだ。


「人が他人を認めない、認めようとしないのは、その人にとってそいつが自分よりもよく見えるからだ。妬みや嫉みの類だ。そういうのに振り回されて生きるの、はっきり言ってダサいぞ」


 その言葉を少女がどのように受け取ったのかなんてことに僕はさして興味はなかった。


 ただ、自分がこの空間で何をしてしまったのかを理解してくれればそれでよかった。


 そうすればこの少女はまず間違いなく一つの行動をとるだろう。


「ちっ……。おいお前ら、帰るぞ」


 そう言って踵を返した。


 おそらく、突っかかってきた少女が残りの二人を仕切っている、いわばリーダー的な存在なのだろう。


 残りの二人もあわてたように席を立つと店主にお金だけ払ってそそくさと喫茶店を後にした。


 周囲の人々も事の終息を察したのか、各々がその視線を元あった場所に戻し、食事だったり読書だったりというのを再開した。


「まったく……」


 ああいう輩は本当に嫌いだ。


 まず面倒くさい。普通の人が気にしないようなところで突っかかってくる。次に面倒くさい。ああいうのは随分と粘着質で、なにがなんでも人をけなしてやろうと付き(まと)ってくる。


 もっと自分のことに時間を費やしたらどうなのか。


「あの……ありがとう」


 目の前に座る茶髪の少女がぽつりと感謝の言葉を口にした。


 しかしその顔には感謝しているとは到底思えないような表情が貼りついていた。端的に言うと目を丸くしていた。


「……なんだよ」


「君、ああいう人とは絶対に関わろうとしない人だと思ってたから、ちょっとびっくりしちゃって」


「そりゃ、関わりたくないよ。面倒だし。でもそれ以上に、ああいう人間は嫌いなんだ。目の前でさっきの光景を見せられたらなおさら、な」


 それに、旅に出る前に何かを抱え込んでもらっては困る。こっちも気を使ってしまうし、何よりも注意力散漫で旅の危険度が増える。


「やっぱり君、優しいのね」


「……やめてくれ。僕はそういうのじゃない」


 そう否定の言葉を挟むが、ジャスミンはそれでも「優しい」の一言を取り消すつもりはなかったようで。


「またまた、謙遜しちゃって」


 そう言ってにっこりと笑うだけだった。


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