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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第6章~魔女嫌いな少年~
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88.二人でお出掛け~1~

――ああ、本当に面倒くさい。


 それがその日、僕が丘に行こうとして扉を開けた瞬間の感想だった。


 今日は柔らかな日差しと、心地よい眠りを誘うような気候だった。診療所も人が少ないようだったため、今日は丘に行って植物と戯れてやろうと、思っていたのに。


「なんの用だ、ジャスミン」


 悪態をついたように出てきたのはその言葉だった。


「私とお出掛けしましょ」


 目の前の茶髪の少女は僕の機嫌になど気づいていないかのような様子で、自分の目的を告げてきた。


「断る」


「旅に出る前の買い出しよ。必要な物をそろえておかなくちゃ」


「一人で行け。僕はもう準備できてる」


「そう言わずに。女の子からのお誘いよ? 断るのは感心しないわね」


 どうしてそんなにドヤ顔でものを言ってくるのか。


 女の子の誘いだからなんだというんだ。それそのものに大した価値はないだろう。誰か他人と出掛けることに変わりはない。女だろうが男だろうが、年寄りだろうが若者だろうがそこに発生する僕にとっての利益はほとんどない。


「準備くらいできるだろ。ガキじゃあるまいし」


「そんなに言うなら分かったわ。あなたに一つ利益を用意してあげる」


 利益、という単語が引っ掛かった。


 いや、もしかしたら口から出まかせかもしれない。ただまあ、その利益次第でついて行くことは考えなくもない。


「利益ってのはなんだ?」


「私がキミの欲しい物を買ってあげる」


――はあ、そうですか。


 少しだけ、自分の欲しいものは何だろう、と考える。


 答えはすぐに出た。


「欲しい物なんて無いな」


 よくよく考えれば僕が欲しいと思うものは基本的に薬学で必要な物だ。それこそ専門書だったり、植物の図鑑だったり。


 そういった物はすでにうちの診療所に完備してあるし、それを親に頼めば大体私物化できた。


「エルって、人生つまんなさそうだよね」


 呆れたような声でジャスミンが言う。


「自分の尺度で物を測るのは良くない。僕は今の人生を十分楽しんでるぞ」


「もっと楽しくしようとは思わないの?」


「より良いものを求めるのは悪いことじゃないが、求めすぎると周りが見えなくなるからな。そういう奴らが偽善を振りかざしたりするもんだ」


 へぇ、と気のない返事。


「それじゃあ、行きましょうか」


「ちょっと待て、どうして僕も行くことになってるんだ」


「いいじゃないの。別に何か減るわけでもないし」


「減る。僕の貴重な時間が……」


 そのときだった。後ろから余計な一言が飛んできたのは。


「あ、エル。出掛けるならシュミードの葉を買ってきて」


 母コレットのそんな余計な一言が僕の背中を無理矢理押してきた。


「あーもう、分かったよ。ついでだ。お前のお買い物に付き合ってやる」


 そう言うと、目の前の少女はその憎たらしい顔に満面の笑みを浮かべて一言。


「なんだかんだ言って、エルって優しいよわね」


――こいつも本当に、面倒くさい。




§




 訪れたのはどういうわけか、道具屋でもなく保存食を売っている市場でもなく、呉服屋だった。


 色とりどりの、様々な種類の衣服がそこら中に掛けられており、その中には見たことのないような、どこかの民族衣装的なものもあった。


「なんで呉服屋なんだ」


「やっぱり、女の子にとって服は大事なのよ。毎日同じ服だと気が滅入っちゃうから」


「はぁ……」


――そうですか。


 その言葉に僕は若干の違和感を覚えた。


「だったら普通に今ある別の服持って行けばいいんじゃないのか?」


「それは、アレよ。気分転換っていうかなんていうか……。そんな感じよ、うん」


 焦っているように見えた。


 たじたじとしながら話すジャスミンの挙動の中には、動揺の二文字がちらちらと顔を覗かせていた。


「もしかしてお前、服持ってないのか?」


 思えばジャスミンの服装、今着ている茶色いポンチョ姿しか見たことがない。


 それはどうやら図星だったようで。


「……仕方がないじゃない。だって服とかあんまり興味なかったんだから」


 そう言って服を持っていないことを認めた。


「じゃあ僕は薬草屋行ってるから、好きなだけ買っとけ」


 お買い物にわざわざ付き合う義理もない。それにこういうのは一人でゆっくり選ぶのがいいだろう。


「一緒に選んでよ」


「……は?」


「さっきも言ったでしょ。服とかあんまり興味なくて、今まで自分で買ったことなかったから、どうやって選べばいいか分からないの」


「そんなもの、店員に選ばせとけばいいだろ」


「それもそう、なんだけど」


 そう言って口ごもる。


 一体、何が不満なのか。


 ちょっと考えれば分かることだ。僕と選んだところで呉服屋の店員のファッションセンスには敵わないし、今後一人で選ぶ場合のアドバイスなんかも貰えたりする、と思う。


 圧倒的に店員を頼った方がメリットが大きい。


「別になんだっていいだろ服なんて。似合う似合わないは大事だろうけど、自分が何を着たいかじゃないのか? 僕の親なんて昔からずっとあの黒ローブだぞ」


「そういうものかなあ」


「知らん。ただ僕はそう思うってだけのことだ」


 するとどうやらジャスミンは納得してくれたらしく、「そうかもね」と一言。


「分かった。ちょっと一人で買ってくるね。それじゃあお昼にあの喫茶店で会うってことで」


 それだけ残して、ジャスミンは服だけで出来上がった森の奥に消えていった。


 僕の適当な考えに納得してくれてよかった。


 これで念願の一人行動である。


「一人が気楽だからな」


 ぽつりと呟いて、僕は呉服屋を後にした。




§




 意外と、人生というものは思った通りに進んではくれないものだ。


 呉服屋の試着室の中で、ジャスミンは鏡に写った自分そっくりな、でも普段と違う服装の相手を見て、そう思った。


 どう選んでいいのか分からない、というのは事実だった。


 母親曰く、そういう時は男と一緒に選べばいいらしい。


 どうしてそうなのかは教えてくれなかったが、なるほどと思いそれを了承すると、なぜか父親が物悲しげな顔をしていた。


 しかし現実はどうもうまくいかない。


「エルに、選んでほしかったんだけどなあ」


 どうしてそう思ったのかは、ジャスミン自身もよく分からなかった。


 口からその言葉が勝手に吐き出されていたのだ。自分の意志で吐き出したわけじゃない。


 そしてその直後に頭に浮かんだ言葉が、またよく分からなかった。


――エルは、どんな服が好みなんだろう。


 なんだかいけない事を考えている気分になった。


 先ほど頭に浮かんだ言葉を振りほどく。


――まあ、何でもいいか。


 そんな風にあっさりと、そのよく分からない感情にけりをつけた。


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