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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第6章~魔女嫌いな少年~
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86.秘密の女子会~3~

 その言葉はコレットにとっては無視できないものだった。もちろん、無視するつもりなどなかったのだが。


「どうして捕まえたいの?」


 コレットが尋ねると、返ってきた言葉はどこまでも純粋なものだった。


「だって、悪いやつを放っておいたら、また次に誰かが被害に遭うじゃないですか。そうなる前に、できることをしたいんです。国を挙げて探したと聞きました。でもそれでも見つからなかったのであれば犯人はこの国の手の届かないところ、つまりは国外に出ている可能性が高いです。だとしたら国単位では迂闊に動けません。だから私が、私個人で犯人探しをしたいんです」


 確かに、この国から出ているのであればツルカからしてもお手上げ状態だろう。なんせこの国はどの国にも干渉しない、実質鎖国状態にあるのだから。


 それならばとこの少女が考え付いたのが「個人で動く」というものだ。


 別段、反対しようとは思わなかった。この少女は道徳に反することをやろうとしているわけではない。反対する理由など存在しない。


 ただ、コレットが反対しなかったところで、どうにかなる話でもないのだ。言ってしまえばコレットとジャスミンは他人同士、診察者と患者の立場にあるのだ。


「君の親御さんはそのこと知ってるの?」


「……まだ話してないです、けど多分、賛成してくれると思います」


 ジャスミンがそう言うのならそれでいいのだろう。


「うん、分かった。そういう事なら私も全力でジャスミンちゃんをサポートするよ」


 コレットにとってのこの結論は、もしかしたらジャスミンと話す前から決まっていたのかもしれない。


 コレットは悩める少女を突き放せるような心は持ち合わせてはいなかった。


「それと後はエルをどうするかだね……」


 ジャスミンの両親よりもこっちの方が問題だ。梃子でも動かないその少年は、いつだって適当ではあるが筋の通っている理由で全部を受け流していく。そんな少年の首を縦に振ることが実際にできるのか。



――チリン。



 診療所の入り口の扉に掛けてある鈴がその音色を響かせる。


 その音に反射的に反応したコレットとジャスミンは壁の向こう側の扉の方角に目を向ける。


「患者さんですか?」


「うん、そうかも。ちょっと行ってくるね」


 その一言の後にコレットは立ち上がると応接室を後にしようとする。本来なら、受け付け台の呼び鈴を鳴らしてもらうようにいているのだが、あくまでそれはコレット自身が訪問に気がつかなかった場合だ。こうして人が来たことが分かっているときは、そんなものに頼らずに来訪者のもとに向かうことにしている。


「今行きます」


 その声と一緒に応接室を出てすぐの角を曲がろうとする。


「なんだ母さん、いたのか」


 返ってきた声はよく聞く、聞き慣れた声だった。角を曲がった少し先に、片手に小さな紙袋を抱えた白髪の少年、エルが立っていた。


「あ、さっきの鈴の音、エルだったんだね。お遣いご苦労様」


 そう言ってコレットはエルに近づくと、エルが差し出す紙袋を片手で受け取る。紙袋の封を開けて中身を確認する。


「なんかさ……」


 紙袋の中身に目を落としているコレットの耳に唐突にエルの声が入ってくる。


「ん?」


 そのまま顔を下に向けた状態で鼻で軽く返事をする。


「ローイラの花が先月の大雨で全部ダメになったらしくて、薬草屋には置いてなかったんだ。今植わってるローイラの花が育って仕入れられるようになるまであと半年かかるっておじさんが言ってた」


 コレットは紙袋から目を放し、エルの顔を見て、その言葉が嘘ではないことを確認して。


「マジか……」


 ひと言だけ呟いた。


 呟いただけならまだよかった。


「あ」


 何かを閃いたようにコレットは息を漏らした。


「ねえ、エル。お願いがあるんだけど」


「嫌だ」


「ローイラの花を取ってきて欲しいの」


 エルの拒絶などものともせずに、コレットは言う。エルの言葉なんかにいちいち反応していてはそれこそ話にすらならない。


「本気で嫌なんだけど」


 そう言って、エルは渋い顔をする。割とよくやっている表情なのだが、今回ばかりは本当に嫌らしい。

 眉間にしわを寄せて、一歩後ずさりせんとするようにその体を少しだけ後ろに傾けた。


「だってローイラの花がないと仕事にならないんだもの。私が診療所を開けるわけにもいかないし、レヴォルと離れ離れになるのもできないし」


 離れ離れになることができないのは事実だったが、実のことを言うと離れ離れになるのが嫌なだけなのだ。


「だから、ね? この通り!」


 両手を顔の前で合わせて懇願した。


 果たしてそれは親が自分の子供にやっていい挙動なのか。そんな考えなど、欠片も思い浮かべることができなかった。


 目を瞑り、手を合わせながら腰を少し曲げているコレットの耳に、小さなため息が届く。


「……分かった。で、どこに取りに行けばいいんだ? 国内に自生してる場所でもあるのか?」


 その答えを待っていましたと言わんばかりに顔を上げ、その目を輝かせてコレットはこう言った。


「ゼラティーゼ王国の大森林!」


「は?」


 その息を漏らすような短い重低音は、コレットが今まで聞いてきたエルの声の中で、ダントツで不機嫌さが練りこまれていると感じた。


「隣の国の、ゼラティーゼ王国の大森林に自生してるの。それも結構質のいいやつが。それを取ってきて欲しいの。異論は認めないよ」


 ビシッ、と人差し指をエルの顔に向ける。


 そうだ、この調子だ。エルのペースに乗せられてはならない。乗せられたら最後、理由をつけて断られる。


 彼だって嘘はつかない、誠実な人間だ。一度許諾したことを蔑ろにするとは思わなかったが、それでもエルが完全に了承するまで気は抜けなかった。


「……分かった。準備しておく」


――勝った。


「ああ、それと」


 この唐突な思い付きの真意は別にあった。エルにローイラの花を取ってきてもらう、それも目的の一つだが、本当の目的は。


「エル一人じゃ心配だから同行者をつけます」


「同行者……?」


 どうやら一人で行くとばかり思っていたようで、その声には予想していなかったことへの驚きと、誰が同行するのか、という興味が入り混じっていた。


「うん。今連れてくるから、ちょっと待ってね」


 それだけ言うと、コレットはばたばたと応接室に戻り、紅茶をすすっていたジャスミンの腕をがしりと掴み、


「ちょっとこっち来て!」


 何一つ説明を挟むことなく引っ張り上げた。


「えっ、えええ!?」


 ジャスミンは思わず紅茶をこぼしそうになりながらも、ソーサーの上に半分ほどまで紅茶の減ったカップを置く。


 そのままコレットは、ジャスミンを引きずるようにして応接室を出た。


 先ほどまでコレットがいた場所に戻ってみると、そこにはさらに顔をしかめたエルが、本当にイラついた表情をして待っていた。


 過去最高に怒っている顔だった。


「聞き覚えのある声だと思ったら……。母さん、説明してくれないか」


 低く、唸るような声でエルが言う。


 その声が含む苛立ちに、コレットも母親ながら少しだけ委縮してしまった。


「えーっと、ほら、あれだよ。やっぱり一人で行くってなると危ないし、護衛? みたいな。そんな感じ!」


 完全に口から出まかせだった。


 しかしだからといって嘘を言ったわけではない。


 魔術は人を救う奇跡の力だ。誰かの役に立つための力だ。そんな力も使い方によってはその身を護る術にもなる。


 コレットは違うが、そういう、戦うことに長けている魔女もネーヴェには存在する。


 ジャスミンは魔術学校を飛び級主席で卒業した才女だ。


 そんな彼女ならもしかしたらそういう事もできるんじゃないか、と思っての考えだった。


 しかし物事はどうやら思った方向にはいかず。


「母さん、何の説明もなしにそいつを引っ張り出しただろ。他人に迷惑かけるわけにはいかないだろ。僕一人で行く」


 脊髄で動いたのが間違いだった。会話のペースは完全にエルに奪われ、エルを旅に出す絶対条件である、ジャスミンを連れて行かせるということが不可能になりつつある。


「でもでも! 母親としては大事な息子が一人で行くのはどうかな、って思うんだけど!」


 隣ではこくこくとジャスミンが頷いている。


 どうやら彼女もコレットの考えを読み取ったらしい。


「ジャスミンちゃんは全然いいよね!?」


「もっ、もちろんです! 私に任せてください!」


 ジャスミンもそう言う他なかった。


 ジャスミンの目的はエルを自分の旅に同行させることだった。しかし今、それが少し違う形で目の前に転がっている。


 それを拾わない手はなかった。


「――ったく、分かったよ。ジャスミンを同行させる。それでいいな?」


 仕方なさげに、ものすごく嫌そうにエルが首を縦に振った。


「ほんとにいいの!?」


「頼んできたのは母さんだろ。僕しか手が空いていないわけだし、仕方なく、だ」


 言いながらエルは自分の部屋のある二階に向かう。


「ああ、それと」


 思い出したようにエルが階段の一段目に足を載せたところで口を開いた。


「ジャスミンの探偵ごっこに付き合うつもりはないからな。あくまで護衛という形で同行してもらうだけだ」


 それだけ残して、少し強めに音を鳴らしながら階段を昇って行った。


 バタリ、と乱雑にドアが閉まる音。


「……結構怒ってますね。大丈夫かな」


 階段の方を眺めながらジャスミンがぽつりと呟く。


「多分大丈夫。あんな風な言い方してるけど、なんだかんだ言って助けちゃうから」


「そうなんですか?」


「そうなの」


 エルはどうしようもなく不器用なのだ。それは母親であるコレットが一番よく知っていた。


 本当に、優しい子なのだ。その優しさを本人は否定しているが。


「やっぱり、親子だなぁ」


 エルの優しさは、形は違えど同じ色をしていた。コレットの知る優しさと同じ色だった。


 もう、二十年も前の思い出だ。


 その思い出の中で見た優しさと同じ色をしていた。


――自分にできるのはこのくらいかな。


 そんな考えが頭をよぎった。


 舞台は作った。二人旅という形の、一人の少年と、一人の少女の舞台を。


 そこで描かれるものは彼ら彼女らが決めることだ。どう動くか、どう演じるか、どう変わるか。


「あとは頑張ってね、ジャスミンちゃん。私ができる事、すべきことはここまで。後は自分の力でやってごらん」


 隣に佇む少女に視線を向ける。


 ジャスミンは小さく、その視線を受け取って頷いた。


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