85.秘密の女子会~2~
不思議な子だな、とコレットは思った。
別にこの少女に対して、他のこれといった特別な感情を抱いたわけではない。ただその目を見て、何か引き寄せられるような、そんな感じがした。
今までこの国で生きてきた中で、たくさんの人と言葉を交わした、交流を持った。話を聞き、話をした。ただこの少女のように昔の私が知りたいと言ってくる人は、ほとんどいなかったと思う。
いたとしても、大した話ではないし、「面白くないですよ」の一言で誰もがその質問をやめた。
だから今までこの話をした事は無かったのだ。
だから、そう。正直今のこの状況にはものすごく困っている。どうしたらいいのか分からない。
「あの、えっと、泣くほどだった……かな?」
目の前で茶髪の少女が泣いている。自分が泣かせた。これは間違いない。
「とりあえず、これで涙拭いて。ね?」
そう言って、羽織る黒いローブのポケットから同じように黒い色をしたハンカチを引っ張り出して、それを目の前でしゃくりあげながら泣いている少女に手渡す。
「ごめっ……なさ、い……勝手に、涙、溢れて、来ちゃって……」
コレットの手から黒いハンカチを受け取ったジャスミンはその目元を拭いながら、嗚咽を交えながらもそう口にする。
「思ってたのと違った?」
コレットがそう尋ねると、ジャスミンは首をブンブンと横に振りながら、
「そんなことないです」
鼻をすすりつつ答えた。
「本当に、おとぎ話のお姫様みたいで、すごくロマンチックで、でもすごく悲しくて、その中に温もりみたいなものもあって。言葉にするのが難しくてこんなことしか言えないんですけど、すごく、感動したんだと思います」
ああ、そうか。この少女はこんな感想を抱くのか。自分のこんな他愛もない昔話で、こんな風に涙を流してくれる人がいるのか。
こればかりはコレットにとっても初めての感覚だった。なんせ自分が歩んだ人生の一端の話だ。良いことばかりではなかった。むしろ悲しいこと、憤りを覚えることの方が多かった人生だった。そんな人生をコレット自身、心のどこかで嫌っていたのかもしれない。
それをこんな風に、「感動した」という言葉で表されたことにどこか安心した。
「そう言ってもらえると、私も嬉しいよ。自分の人生をそんな風に評価されたこととかなかったから」
その声と一緒に、口元をにこりと綻ばせた。
「さて、と。私は話したから次は君の番だよ」
「ふぇ?」
どうやらこの少女、自分のことなど頭にない様子だった。数秒間の沈黙の後に、あっ、と一声あげてから思い出したように、
「私の話ですよね?」
確認するように尋ねてきた。その質問に答えるように、丁寧に、首を縦に振る。
「そう。君が何者で、何をしようとしていて、どうしてエルを連れて行きたいのか、教えてほしいの」
すると少女は顔を小さく俯かせ、ティーカップに写る自分の顔を見ながら静かに口を開いた。
「私は、ジャスミン・カチェルアといいます。カチェルア魔道具店を営む、『創出の魔女』の娘です」
見た感じからすると、学生だろうか。魔女の家で生まれた女の子はその多くが魔術学校に入学するらしい。それもどうやら扱いが特別なものらしく、特進クラスなるクラスに入れられるとか。
「魔術学校の学生さん?」
「いえ、あの学校はすでに卒業しました」
「年はいくつ?」
「十四歳です」
その言葉にコレットは少し驚いた。普通は十五歳で卒業する学校をこの少女、ジャスミンは十四歳で卒業している。
飛び級で進級したようだ。
「じゃあ、やっぱりこれからはお母さんの後を継いで魔女になる…って感じじゃなさそうだね」
ジャスミンの顔にはどこか不安を隠しきれていないような表情が窺えた。未だに俯くその顔からはその不安の理由までは読み取れなかった。しかし魔女になれない理由があるのは、黙り込んでいるジャスミンを見て察した。
「私、魔女になりたくないんです」
誰もかれもが魔女という存在に憧れる国だ、そう思っていた。コレット自身ですら幼い頃は祖母である『森の魔女』に随分と憧憬の念を抱いたものだ。
その言葉はその根底を覆すような言葉だった。
「魔女になるのが怖いんです。母から瞳の呪いのことを聞きました」
おそらくだが、ジャスミンの言う瞳の呪いは負の感情に起因しない方、『原初の呪い』を指しているだろう。昔は謎が多い呪いだったのだが、この十年近くでツルカがその呪いが纏う黒い膜を一気に引き剥がした。
この呪いは瞳が赤くなると侵食は止まる。絶対に、だ。ただ侵食が止まってからどうなるかは今まで分からなかったのだ。
しかし現在はその呪いの効果が出てきている。いや、ようやくその効果が姿を現した、と言うべきだろうか。
結論から言ってしまえば、魔術が使えなくなる。しかしすぐにではない。瞳が赤くなってから少しずつ、その力をすり減らすように魔女としての能力は衰えていく。
これは魔女を普通の人間に戻す呪いだ、とツルカ本人は結論を出していた。ただし例外がある。
「コレットさんは、呪いに侵されていないんですか? 瞳の色、真っ赤なのに」
その言葉を聞くと、コレットは右目に付けた眼帯を外して、その目を見開く。
「それって……」
ジャスミンはその顔を驚きの色に染めた。開けた口を持ち上げるのさえ忘れているようだった。
コレットの右目、ほとんど誰にも見せることのなかったその目は、簡単に言ってしまえば普通ではないのだ。
「青い……瞳……」
「――魔女の受ける瞳の呪いには二種類あるの。一つはジャスミンちゃんが知ってる『原初の呪い』。魔術が使えなくなる呪い」
こくりとジャスミンがうなずくのを見てからもう一度口を開く。
「もう一つは負の感情に起因する呪い。負の感情の増大に比例して瞳が赤黒く変色して、最後には暴走する呪い。ワルプルギスの夜っていう国が一つ滅んだ事件、知ってる?」
おそらくこの事件は教科書に載っているはずだと思い、ジャスミンに確認を取る。
「はい、昔の魔女が国を一つ火の海に沈めたっていう。魔女の迫害が始まった原因の一つですよね?でもあの事件の原因ってよく分かっていないんじゃ……」
「ワルプルギスの夜の原因はその呪いなの。私もその呪いに一度侵されたけど、どうにかこうして生きながらえていられる。この呪いに一度侵されて、ある一定の変色を越えると『原初の呪い』は無効化されるようになる。一つの枷が外れたかのようにね。だから私は瞳が赤くなった後も不自由なく魔術が使えてるの。青い瞳は後遺症みたいなものかな」
その言葉と一緒に机の上に置いておいた眼帯に再び右目を覆わせる。
「魔女になるっていうのはこういう事なの。だからジャスミンちゃんが感じてることは普通のことだよ。同じ立場だったら私も、同じこと考えてたと思う」
真実というものは時に残酷だ。この事実を知らなければこの少女は母親を目指して魔女になろうと思っていたのだろう。
「魔女にならなくてもいいんですか?」
「君の人生だからね。魔女は責任感だとか、正義感だとか、そういう感情が強いから、誰かがやらなくていいよって言ってあげなくちゃ、自分の心が壊れるまでやろうとするんだ。君にはそうなってほしくないから、嘘ついて生きてほしくないから。だから私は、君のやりたいことが人としてやっちゃいけない事じゃない限り、私は手を貸したいと思ってる」
そこまで言ってから、もう一度確かめるようにコレットはジャスミンに尋ねる。
「君が、ジャスミンちゃんが本当にやりたいことは何?」
ジャスミンはずっと下げていた顔をあげて、決心したようにコレットにその思いを告げる。
「――私、ウィケヴントの毒事件の犯人を捕まえたいんです」