84.秘密の女子会~1~
改めて思うと、すごく光栄なことではないだろうか。
駆け足で街中を走りながらジャスミンはふとそんなことを思う。その足はいつもより弾んでいた。昨日貰った薬のおかげか、体調もすっかり良くなった。今まで、別世界のように感じていた診療所で、足を向けることがなかったのだが、こうして訪れてみるとやはり『草原の魔女』はすごい人だと実感した。
きっとこちらの事情はバレてはいないはずだ。思い切ってエルの母親である『草原の魔女』に直接相談してみたのだが、多分バレてはいない、はず。
西に傾き始めた太陽に照らされる道をさっそうと抜ける。今日は人が少ない。当たり前といえば当たり前だ。先日の女王の誕生日に遊び呆けていたつけが回ってきているのだ。あの日に遊んでいたやつらは今頃息を切らしながら働いているのだろう。
見覚えのある道を走って診療所に向かう。
ヴァイヤー診療所はこの国で最も有名な診療所だ。医療機関としての規模は小さいものの、魔女が経営しているというだけでその技術は東西の病院を追い越しつつある。実際、置かれている薬に関してはヴァイヤー診療所の方が多く、質もいいらしい。
診療所としての規模は小さいと言ったが、本当に小さいのだ。一見、ごく普通の一軒家にしか見えない佇まいだ。
玄関の前に立つとジャスミンは小さく深呼吸をした。少しだけ、緊張していた。昨日も会ったはずなのに、やはり憧れの人に会うというのは心臓がドキドキしてしまうものなのだ。
扉の取っ手に手をかけ、小さくひねってから前に少しだけ引く。
「ごめんください」
のぞき込むと待っていたかのように一人の女性と目が合った。ふわりと黒いローブを翻らせるその姿は昨日も見ていた。でもやっぱり、昨日と同じことを思ってしまう。
――美人だなぁ。
何に例えていいかは分からないが、おとぎ話に出てくるお姫様とかそういう部類に入るぐらいに美人だ。美人なだけでなくその右目に付けた黒い眼帯がなんというか、かっこいい。
「いらっしゃい、また来てくれて嬉しいよ。さ、上がって上がって」
にっこりとした笑顔で手招きをする。
それに従うように、
「失礼します」
そう呟いて診療所の中に入った。診療所だから仕方がないのだが、どうにもこの薬草の臭いにはなかなか慣れない。
「昨日の部屋で待ってて、今お茶淹れるから」
「はっ、はい」
『草原の魔女』コレットはそう言って台所と思われる方に姿を消す。その横の部屋、昨日も訪れた応接室のようなところに入ってふかふかのソファに腰を下ろす。
机の上には来客者が暇を持て余さないようにするためか、何冊かの雑誌が置いてある。
その雑誌を何となく手に取り、パラパラとめくる。
ファッション雑誌だった。本の中には数多くの服やら帽子やらの絵が描かれており、そのどれもが自分を買ってほしいと言わんばかりにその値段を主張していた。なかなかお手ごろな値段だ。学生向けの雑誌なのだろうか。これなら小遣いが少ない自分でも買いに行ける。中には目がちかちかするような値段のものもあるが。
「おまたせ」
コレットが可愛らしいティーカップを二つ乗せたお盆をもって中に入ってくる。紅茶の香りが室内に充満し、ジャスミンの鼻をくすぐる。
「どうぞ」
そう言ってジャスミンの前にコレットが丁寧にコトンと音を言わせながら紅茶の注がれたティーカップを置く。
「ありがとうございます」
「レヴォルもエルもコーヒーしか飲まないからこうして誰かと紅茶が飲めて嬉しいよ。さ、飲んで飲んで」
そんな愚痴をこぼしながらコレットが紅茶を飲むように促した。
「それじゃあ、いただきます」
添えられていた角砂糖をポチョンと音を立てて紅茶に入れる。それをゆっくりティースプーンでかき混ぜてから一口飲む。
言ってしまってはあれだが、ジャスミンは紅茶が苦手だ。砂糖を入れれば飲めるのだが、さすがにそのままは飲めない。いつもは四つぐらい角砂糖を入れて飲んでいるが、ちょっと大人ぶって一つにしてみた。
――あんまり甘くない。
少しまだ早かった。いきなり一つはやはり無理があったようだ。そんなことを思いながらも二口目を口の中に迎え入れる。
「それで、なんで一緒に旅に行くのにエルを選んだのかな?」
「ぶっ」
熱々の紅茶が思わず口から吹き出しそうになる。それをすんでの所で飲み込んで慌てながら、
「なっ、何でそれを知ってるんですかっ!?」
熱さで少しひりひりする喉からその言葉を絞り出す。
「バレていないと思ってたんだね……」
バレていないと思っていた自分が恥ずかしくなる。恥ずかしくて顔が赤く染まる。その恥ずかしさをまだ熱い紅茶と一緒に胃袋に流し込む。
「いつから気付いてたんですか?」
「昨日君と話した最初の方から」
随分と早々にバレていたようだった。よくよく考えればバレない方がおかしいのだ。友達の話とかいう自分のことを隠すときに使う決まり文句を言ってしまった時点で、バレていたのかもしれない。
「反対、しないんですか?」
バレたくなかった理由はこれだ。反対されると思ったから。だったら本人の母親になんて相談するな、などと言われてしまえばおっしゃる通りです、と言わざるを得ないのだが、こういう相談事はこの国ではこの人が一番適任なのだ。学校の先生でも、精神魔術が使える魔女でもない。この人に聞くのが一番納得のいく答えを得られると、そういう話を聞いた。
一体この人がどんな人生を歩んできたのかは分からないが、言葉の一つ一つに重みが、説得力がある。
「反対できる立場じゃないからね、私も。昔男の子を一人、私の都合で連れ回しちゃったことがあったから」
「それって、今の旦那さんですか?」
「まあ、そうとも言うね」
そう言ってあははと笑う。
「あの、『草原の魔女』様の昔のこと、少し伺ってもいいですか?」
興味があった。今目の前にいる偉人が、この美しい女性がどんな人生を歩んだのか、ジャスミンは知らない。ジャスミンが知る彼女は、ウィケヴントの毒事件を解決した人でしかない。それ以外の部分を知らない。
だからそんな偉業を成した人がどんな人生を歩んだのか、教科書に載っていない部分を知りたくなった。
「――いいけど、半分ぐらい惚気話だよ?」
「それでも、いいんです。知りたいんです。貴方のこと」
興味があった、が、ただそれだけではない。この人の経験が、もしかしたら自分と重なるのかもとか、そういうことを考えてしまったのだ。絶対に重なるわけがないのに、どこか親近感を覚えてしまった。
「それじゃあ、どこから聞きたい? 私が魔女になる前の、ただの子供だった頃から?」
この美人が子供の頃。さぞ可愛らしい子供だったのだろう。
「そこからお願いします」
首を小さく縦に振りながらジャスミンはそう答える。
「分かった。……その前に、紅茶のおかわり、いる?」
にこやかに笑うコレットに対して、空っぽになったティーカップに目を落とすように、先ほどと同じように首を小さく縦に振った。