81.訪問~2~
暖かな日が射していた。かといって暑すぎず、出掛けるにはちょうど良い気候。前を歩く小さな体はその日の光を受けてか、どこか弾んでいるように見えた。
その少し後ろを歩きながら街の商店に目をやる。青果店、花屋、雑貨屋、服屋。多種多様なジャンルの店が所せましと並んでいる。
その中に目的地とする店を探しながら左右をキョロキョロしていた。
「あ、見つけたー」
少し前を歩くツルカがそう声をあげる。その声と一緒に斜め前方のいかにもそういうものを扱っていそうな陳列窓の間の扉を開ける。
扉の上に掲げられた看板の文字を読む。そこには、『カチェルア魔道具店』と書かれている。ここが目的地だと告げられた時は、よりにもよってここかあ、と思った。もしジャスミンがいたら面倒なことになるなと思い店の前で待つことを提案したのだが、あっさり却下された。
まあともかく、居たら居たで見つからなければいいのだ。どうせ店内には商品棚が置かれているだろうし、その陰に隠れてやり過ごそうと思う。
そんなことを思いながらツルカの少し後に続いて店内に足を踏み入れた。
「シエラ、頼んでおいたものは出来てるかしら?」
そんなツルカの声が店内に響き渡る。
すると奥の扉から一人の女性が顔を覗かせる。
「これはこれはツルカ様。ええ、もちろん出来てますよ。今お持ちしますね」
そう言って扉から出した頭を引っ込める。扉の向こうからカチャカチャといった金属音が耳に届いた。
ジャスミンの話を踏まえると、何かしらの魔法道具の作成を頼んだのだろうか。たしかにツルカは魔術に関していえば右に出る者はいないが、道具の作成となると他の魔女の方が上をいったりもする。加工だとかそういう技術自体は魔術とは関係がない。
「何を頼んだんですか」
何となく尋ねてみた。
「ちょっと思い出の品を、ね」
昔の恋人からもらった何かとかだろうか。
「お待たせしました、こちらです」
先ほどの女性は扉を開けて出てくると駆け足で近づいてくる。そして右手を前に出しそれをそっと開く。
握りしめられていたのは一つの指輪。青い、丸い宝石があしらってあるだけのとても簡素なデザインのものだ。
「使い方は、分かりますか?」
女性が心配そうにツルカに尋ねる。ツルカはにこりと笑いながらその指輪を右手の薬指にはめる。
右手を真っ直ぐに前に、手の甲が上になるように突き出した。
「その姿を剣と成せ」
ツルカの口が発したのは呪文だった。その呪文の意味はもちろん分からなかったが、目の前で起きた光景は何が起きているのかすぐに理解できた。
指輪が光を放ち、その光と一緒に横に伸びた。その伸びた光が徐々に一つの形をとっていく。
――剣だ。
光が一つの剣へと形を変えつつある。やがて光は消え、ツルカの右手には一本の剣が握られていた。
何の変哲もない、ただの剣だ。変わったところがあるとすれば、鍔の所に埋め込まれた青い丸い宝石だけ。それ以外は鉄の板切れと形容しても遜色ないほどに普通の剣だ。
伝説の剣だとか聖剣だとかそういう雰囲気もない。
なんならツルカが手に持つ剣はどうやらところどころ刃毀れしているようだった。色もくすんでいて、剣の側面は傷だらけだ。
「うん、いい感じに仕上がってるわ」
そんな剣を見て満足そうな表情をツルカは浮かべる。
「あの、本当に刃毀れとか修繕しなくて良かったんですか? うちの旦那なら綺麗に直せますが……」
不安げだった。確かにその剣の刀身は直されて然るべきだ。あんな状態では剣としての役割など果たせないだろう。
「これでいいのよ。可能な限りあの時のままの形にしておきたかったから。それに、この状態でも使えるようにするためにあなたに頼んだのよ?」
「ツルカ様がそう仰るなら……ところで、そちらの方は?」
女性がその顔をこちらに向ける。横顔を見てなんとなく思っていたのだが正面を見ると余計に感じる。ジャスミンにそっくりだ。正確に言うならジャスミンがこの女性にそっくりなのだが。
とは言っても、髪の色、瞳の色は全く違う。この女性の髪の色は黒いし瞳の色は紫色だ。
「そうね、紹介が遅れたわ。彼はエル・ヴァイヤー。『草原の魔女』の一人息子で、私の弟みたいなものよ」
「あなたを姉とした覚えはありませんが」
こうまでして姉ポジションを取ろうとしている理由をそろそろ知りたい。
「じゃあ、お母さん?」
「僕にはちゃんとした母親がいるので」
「それじゃあ、おばあちゃんといったところかしら」
「それでいいですよ、もう」
こういうところが本当に面倒くさい人だ。付き合わされているこっちの身にもなってほしい。
「まあ、『草原の魔女』さんの……私はシエラ・カチェルア、『創出の魔女』という二つ名でこの店をやらせていただいております」
その様子から、ジャスミンは僕のことをこの女性に話していないらしい。
にっこりと笑ったその女性は小さく頭を下げながら自分の名前を告げる。
それに返事するようにこちらもぺこりと一礼。
「それともう一つ言わなきゃいけない事があったわね」
何かを思い出したかのようにツルカが口を開く。
「魔術学校卒業おめでとう、飛び級で、しかも首席で卒業なんて、あなたの娘さんはとても立派よ」
あのちんちくりんな外見で霞んでいた事実ではあったが、ジャスミンはそう言えば飛び級した上に首席で卒業していたのだった。
普通に考えれば結構すごいことだ。それはもう、女王の耳に届いていても何ら不思議じゃないだろう。
「まあ、ツルカ様が直々に祝辞を述べてくださるなんて。……ありがとうございます、あの子もきっと喜んでくれます」
「その娘さんは今は家にいないんですか?」
ふとそんな疑問に至った。
せっかく一国の主がこうして祝辞を述べに来ているというのに表に出てこないというのはなんだか失礼な気がする。
もともと失礼な態度をとる少女の印象はあるのだが。
「そうね、ジャスミン本人ともお話ししたかったのだけど、今は留守中かしら?」
どうやらツルカもジャスミンがいると思っていたようだった。
「それがあの子、風邪ひいちゃったみたいなんです。昨日びしょ濡れで帰ってきたと思ったらすぐに部屋に籠っちゃうし、今朝起こしに行ってみればすごい熱だったし。
診療所まで連れて行こうか? って言ったら一人で行くって言って出て行っちゃったんです」
その言葉が意味する事。あの少女は本気で僕を連れていきたいのだということを知った。実際、昨日は彼女の魔法道具が予言した通り、雨が降った。
雨が降ったのだから、「また明日ここにいる」と言った本人も、外出はしないだろうと思ったのだが、どうやら本当にあの喫茶店に行っていたらしい。それにしてもびしょ濡れになるなんてことがあるんだろうか。昨日は朝から雨が降っていたし、傘を持たないなんてことは普通に考えてあり得ない。
それに喫茶店の中で待っておけば普通に考えて濡れることはないだろうに。
「娘さん、傘を持たずに出かけたんですか?」
「ええ、朝起きてきたと思ったら走って出て行っちゃって」
この時になるまで、その感覚を言葉にできなかった。多分昨日からずっともやもやとした黒い雲のようなものを抱えていた。
昨日僕は家から一歩も出なかった。もしかしたら喫茶店に彼女が来ているんじゃないかと思いつつも、その考えに蓋をして、棚の奥に押し込んでいた。
――ああ、これは。罪悪感なのか。
もし昨日、自分が喫茶店に向かっていれば、ジャスミンは風邪をひかずに済んだかもしれない。そう思うと抱え込んでいた黒い雲が肥大化して、僕に存在する数少ない良心を蝕んだ。
「そう、だったんですか」
そうとしか答えられなかった。
「そういう事なら仕方がないわね。またよろしく伝えておいてもらえるかしら?」
ツルカは少し残念そうにシエラにそう言づけると、僕より先に店を出た。僕も小さく頭を下げて後に続くようにそそくさと店を後にした。