74.終わりの始まり
ある少女は願った。自分のように苦しむ人がいない世界になってほしいと。
また、ある少女は憤った。彼女に苦しみを与えたこの世界に、運命に。
それぞれの思いは交錯し、たったの二本だった糸は複雑に絡み合い、その原型をとどめなくなる。
今ではそれが何なのか、誰がどういう意図をもってそうであると決めたのか。
それは今では誰も知らない。
――ここから少し話すのは誰も知らない、誰も覚えていない悲劇のお話。
§
少女が『声』を初めて聞いたのは少女が十四歳の時だった。少女が両親と畑仕事をしている時に、何となく空を見上げた時に聞こえた。その『声』は男のような、女のような、子供のような、年寄りのような、判別のつかぬ声だった。
『声』は少女に不思議なことを言った。それもただ一言だけ。
――お前は選ばれた。
一体、何に選ばれたのかは分からない。ただ、その出来事が特別なものだと少女はすぐに理解した。
次の日、少女の両親が死んだ。
少女の家が火事にあったのだ。深夜、少女とその両親が寝床で眠っている時に火事は起きた。幸い、少女は軽い火傷で済んだのだが、家は全焼、両親も家と同じように真っ黒な炭になっていた。少女が住む村の人たちには火事の原因は分からなかった。誰かが意図的に放火したかもしれないし、炊事場の火を消し忘れたただの事故だったかもしれない。
しかし少女は火事の原因を知っていた。いや、知っていたというよりは後で気がついたと言うほうが正確かもしれない。
――自分だ。
少女は焼け落ちて原形をとどめていない自分の大好きな居場所を見つめてそう思った。
別に確証はない。ただ直感的にそうだと分かったのだ。
その日の夜は村にいる唯一の同い年である、エラという少女の家に泊まることになった。
そしてその日も、『声』を聞いた。とは言っても今度は眠っている時、夢の中で聞こえたのだ。
『その力は手に馴染んだだろうか?』
わけが分からなかった。夢の中で少女は小首をかしげる。
『己の行いに、気づいていないのか?』
その一言で少女は察した。『声』が何を話しているのかを。その時夢の中で少女は初めて口を開いた。
「私のお父さんとお母さんを殺したのは私?」
『そうだ』
少女が思った通りの返答だった。『声』は続ける。
『人間にとっては初めてのものだ。最初は使い方を誤ってしまうだろう。今後間違わぬよう、言っておこう。それは人を殺める力ではない』
「どういうこと?」
『それは人を救う力。生まれながらにして善性を持つ人間が行使するもの。この世に住まう人の為、お前はそれを振るわなければならない。お前は選ばれたのだ。より人の世を豊かにするため、幸福に導くため』
『声』は抽象的で具体性のない言葉を並べた。しかしその言葉は少女の内にある善良な心に響いた。
少女はなりたかったのだ。人を助けられる存在に。幸せにできる存在に。厄介なことに少女は欲張りだった。
この世の全てを幸せにしたい、豊かにしたい、そう思ってしまったのだ。
「その力、なんていうの?」
少女は問うた。自分がこれから使うかもしれない力の名前を。
『特別な呼称はない。しかしあえて言うならば、そうだな、魔術とでも言っておこうか。そしてそれを扱うお前は魔女ということになる』
少しだけ、少女は迷った。
この話を、この力を受け入れるべきかどうか。もちろん人々を豊かにしたいという思いはある。出来ることなら受け入れたい。しかし自分にそれを扱うだけの器があるのか、とても不安だったのだ。
『何を迷う必要がある。万人を救える力だぞ? 欲しいのではないのか?』
「それって、私に使いこなせるものなの?」
少女はその力の恐ろしさしかまだ知らない。あろうことか無意識的に自分の両親を手にかけてしまったその力を、我が物として扱う想像ができなかった。
『問題ない。魔術を使う感覚はお前が意識しなくとも体が覚えている。魔術を唱えたその口が、魔法陣を描いたその手が、覚えているのだ。次も失敗するなどはありえんだろう』
その『声』はそう言って太鼓判を押す。
「あなたが誰かは私は知らない。けれどきっと、私たち人間には想像もつかない人なのね。そんな人がそう言ってくれるなら、私、この力を受け入れるわ」
『声』が笑った、気がした。
目が覚めた少女は今の自分が今までと確実に違う、ということに気がついた。今までなかった感覚、魔術を行使するという感覚があったのだ。最初はそれは違和感でしかなかった。
体の中に異物があるような、喉に魚の骨でも刺さっているかのような、そんな感覚だった。
ただそれはすぐに消えることになる。
「……炎魔術」
その言葉を呪文だと認識して発してはいなかった。ただ、口がそれを覚えていた。小さな炎が手のひらの中で生まれ、何もなかったように消えた。
これが少女が初めて意図して魔術を使った瞬間だった。
§
少女が魔術を使ってから三年の月日が経った。少女は右も左も分からないところから魔術というものを解明し、一つ一つ形にしていった。
その三年間でいくつか分かったことがあった。
まず一つ。
男性は魔術を使えない。ある程度魔術が形になった十五歳の時に、少女は人にも魔術を教え始めた。これほどのもの、独り占めするものではない。他者と共有し、より良いものを作り出す方が人々のためになると考えたのだ。
しかし結果から言うと、魔術を使えるようになったのは二十歳未満の女性のみ。『声』が仕込んだことなのかは分からないが、そういう風に出来ていたのだ。
二つ目。
魔術には系統がある。火、水、土、風の四素因を用いる四素因魔術。傷を癒す治癒魔術。精神に干渉する精神魔術。人に加護を与える加護魔術。物体の運動に干渉する物理法則変換魔術。
魔法陣に描かれる文様が違うということも発見された。それぞれが円の中に四角形、五芒星、八芒星、三角形、六芒星を描くことで魔法陣による魔術行使が可能だということが分かった。
三つ目。
呪文が現代では失われた古代語であるということ。どのような文献にもその古代語は載っておらず、少女が何もない所から一つずつ、口から自然と発せられる呪文の意味を読み解いて辞書を作った。
それと同時に現代語での魔術行使も可能だということが発見された。
こうして少女は魔術という、こんがらがってしまった何本もの糸を一本ずつ解いていった。
もちろん、その三年間に少女がしたのはそれだけではない。
魔術を使って何人もの人を助けた。
雨が降らず作物が育たないときは雨を降らした。はやり病の時は不慣れな治癒魔術で何人もの人々を治療した。
自分のことではなく、人のために魔術を使い続けたのだ。
誰もが少女を敬った。手を合わせて崇めるものも出てきた。魔女様、魔女様と誰もが口を合わせてそう言った。
だからと言って少女は味を占めることはなかった。いついかなる時も人のために動き、人のためにその力を振るった。
しかしどういうわけか、それを快く思わないものが出てきた。男性だった。きっとうらやましかったのだろう、魔術を使えることが。きっと怖かったのだろう、得体の知れないその力が。
その男性は噂を流した。魔女はペテン師だ、最終的には自分たちを取って食うのだ、魔術など異端だ、と。
それに頭の固いやつらが流され、噂は病原菌のように伝染していって、広まって。
いつしか少女の周りには誰もいなくなっていた。それでも少女は人のために動こうと努力した。たとえ石を投げられようと、罵詈雑言を浴びせられようと。
しかしその努力に振り向く者はいなかった。
いつしか小さかった少女の村は大きな町になっていた。その町の人々が口をそろえて言うのだ。異端者には死を、と。
そうなってから少女の最期まではそう長くはなかった。
街の中央の広場で、十字に組まれた木に張り付けられた少女は炎に包まれた。誰も悪びれなかった。当然の結果だ、と。この処刑に対して異論を抱く者はいなかった。
ただ、一人だけ。最後まで少女の味方だった者がいた。それは少女が両親を亡くした後に転がり込んだ家の娘、少女と同い年のエラだった。
エラはずっと少女の傍に居た。誰よりも彼女の努力を見ていた。だからこそ恨んだ。だからこそ憎んだ。だからこそ憤った。
§
ある少女は遺した。自分のように苦しむ人がいない世界になってほしいと願い、『魔女』という名にある呪いを残した。
またエラも遺した。全てを許さないエラの憎しみの火種を『魔女』という名に呪いとして。
後にこの出来事は人々の過ちとして歴史に記録されることにはなるが、それは何百年もあとの話。誰も当時は気に留めなかったのだ。だから一人の魔女が処刑されたというその事実しか残らなかった。誰もその出来事を覚えていようなどと考えなかった。
その出来事を記された書物はほんの数冊だけ。
その書物に、少女の名はこう記されていた。
『原初の魔女ユースティア』と。
もう一度言う。これは誰も知らない、誰も覚えていない、どこかの町であった小さな悲劇のお話。そしてこれが、すべての終わりの始まりであることを誰も知らない。
コレットの物語はここまで。いかがでしたでしょうか。純粋で健気で、どこまでも真っ直ぐな白髪の少女の物語。この第5章までが、波瀾万丈なコレットの人生の一端を描いた物語です。
第6章からは舞台は大きく変わって、魔女嫌いな少年と、魔女になりたくない女の子のお話になります。もちろん、第5章までのキャラクター達もたくさん登場しますので、今後とも楽しんでいただけたらな、と思います。