65.アングレカム
きっと彼は、私に合わせて走ってくれていたんだと思う。でも私を引っ張る彼の腕は力強くて、前を走る彼の背中はいつもより広く感じた。
今の今まで私はこの手に引っ張られていた。この背中に守られていたのだと思うと、なぜか笑みがこぼれた。
「もしかして、ちょっと疲れた?」
立ち止まってレヴォルが振り返る。
「大丈夫。君が私に合わせて走ってくれてたから、全然疲れてないよ」
「そ、そうか」
バレていないつもりだったのだろう。
「どこに向かってるの?」
「それは秘密だ」
そう言いながら手を引き続ける。
今は多分、街の北側より少し入ったところぐらいにいるだろう。一度来たことはあるはずなのだが、なんせ目の見えていない状態だったからこの街の景色を見ること自体は初めてだ。
城もそうだったが全体的に建物が白で統一されている。時々目に入る青い屋根がその白さを際立てている。道も石畳で綺麗に舗装されている。
確か街の中心には噴水の広場があったはずだ。おそらくそこから放射状に大きな道が伸びるような形になっているのだろう。
ここはその大通りの一本のようだ。枝分かれするように至る所に細い道に入るところが見えた。
「着いたよ」
レヴォルが足を止めた。
足を止めた横には大通りに接するように一軒の店、正確には服屋がその扉に『開店中』とだけ書かれた札をかけている。
その横には陳列窓があり、その中には様々な服を着せられた人形が立ち並んでいる。
「ここって……」
「そう、コレットと一緒に来たお店だ。今日一日、もう一度デートしないか? この街を、君に見せてあげたいんだ」
そう言ってにこりと笑う。
あの時は、ただ単に自分のことを覚えておいてほしかっただけだった。普段があまりぱっとしない服装なのだ。いつもと違う服を着たらレヴォルの記憶にも残るんじゃないかと思っていろんな服を着てみたし着させてもらった。
楽しかったといえば楽しかった。
しかしやはり、自分の姿を見ることができないというのは少し寂しかった。それにレヴォルは少なからず感づいていたのだろう。
気がついたときには、私の手はすでに店の扉に伸びていた。
「行こ!」
短くそう声をかけて扉を開ける。今度は私が彼の手を引っ張って中に入った。
そうして人生で二度目のデートが幕を開けたのだ。
その店の店員は相変わらずのようで私を着せ替え人形にして遊んでいた。とは言っても今回は目が見える分、自分でも着てみたいものを選んだし、それを着た時のレヴォルの反応を見るのも楽しかった。顔を赤くしたり目を逸らしたりと、見たこともないような表情を見せてくれた。
服屋を出てからは大通りを順にみて回った。服屋のほかにも宝石店、靴屋、雑貨屋などなど様々な店舗が目を引いた。話によると魔女がやっている店もあるという。その店の陳列窓に目を通してから、私もレヴォルも無言でその場を立ち去った。値段が高すぎるのだ。とてもではないが手を出せる金額ではなかった。魔法道具には詳しくはないのだがその精巧さというかデザイン性というか、さぞ腕のある魔女がその店を営んでいるのだろうと思う。
「楽しかったー!」
そう言って落下防止用の柵に手を当てながら光り輝く街を見下ろす。街の外れにある時計塔、夜景が美しいということでこの国では有名らしい。
実際、そこから見る街並みは宝石箱をひっくり返したかのようだった。
「楽しんでもらえたようで何よりだよ」
その声に振り向くと、両手に荷物をぶら下げたレヴォルがその荷物を重たそうに下ろしていた。
「荷物持たせちゃってごめんね?」
謝っておく。なんせこの荷物はほとんど自分が買ったものだ。それをわざわざこうしてデートの間中持っていてくれたのだ。
「何してるの?」
置いた荷物の中をなにやらガサゴソと漁っている。確かレヴォルは何も買っていないはずなのだが。
「あった」
そう短く口にしてレヴォルはその袋の中から小さな箱を取り出した。
その箱を片手に、なぜかこちらをじっと見つめている。
「レヴォル?」
その手から目を離し少し顔を上げる。目が合った。その目にはなにやら大事なことを伝えなければというような意志があるように思えた。
その大事なことというのはすでに明白だ。ツルカの言葉が少しずつ蘇える。
「本当のところ、どう伝えればいいのかよく分からないんだ。こんな感情を抱くのは初めてだし、何より女の子とそれほどしゃべったことがなかったから。きっとこういうのは、兄のほうが向いているんだと思う。
でもそれでも、一つだけ分かってることがあるんだ」
その言葉の後にレヴォルはその右手に持っている小さな箱を私のほうに突き出す。
「小さい頃、街で迷子になっている女の子を助けたことがあったんだ。その子、すごく泣いててさ。怖くて寂しかったんだと思う。その子に、イヤリングをプレゼントしたんだ。そうしたら笑ってくれるだろうと思って。ちょうど今、コレットがしてるみたいなイヤリングを。
喜んでくれたんだ。その時に分かったんだ。不器用な自分には、何か人にあげることが一番なんじゃないかってね。だからこれ、受け取ってくれないか? これが今の、僕の気持ちだ」
前に突き出された黒い箱。受け取ってほしいといわれたそれを私は両手で包むように受け取る。
「開けてもいい?」
「……どうぞ」
少し恥ずかしそうに答える。
ゆっくりとその箱を開ける。
顔を覗かせたのはブレスレットだった。紐でいくつもの装飾がつなぎ留めてあるようなものではなく、一つの輪になった形のものだ。その側面に白っぽい宝石で星のような宝石細工があしらってある。しかしそれが星を模したものではないことはすぐに分かった。
花、正確に言うとおそらくアングレカム。確かに人への贈り物にはぴったりのものだ。
――たしか花言葉は。
「いつまでもあなたと一緒……」
「……声に出して言わないでくれ、恥ずかしい」
照れくさそうに言うレヴォルの言葉を聞いて、自分の口からその花の意味が漏れ出ていたことに気がつく。
それにしてもそうか、彼が。彼があの日助けてくれた少年だったのか。どうやら神様はロマンチストらしい。それも重度の。
自分をあんな怖い目に遭わせた神様なんて、運命なんて大嫌いだ、死んでしまえ、とも思った。
しかし実際、神様も運命もただのロマンチストにすぎなかったのかもしれない。それもこんな絵本に書いたような。シンデレラや白雪姫ほどではないかもしれないが。
「神様も物好きだね」
「え?」
手にその箱を持ったまま少しだけ歩み寄って、レヴォルの背中に両手を回した。
「ありがとう、大事にする」
するとレヴォルは少しぎこちない仕草で私を軽く抱きしめた。今までも抱きしめてくれたことはあった。私が泣きそうなとき、寂しかったとき、そっと抱きしめて慰めてくれた。
きっとそれらとは今は抱きしめる意味が違うのだろう。
いつもより強く、温かく感じた。
「私なんかでいいんだ」
「いまさらそんなことを聞くのは少し意地悪だな」
確かに意地悪だったかもしれない。それでも知っておきたかった。私が一方的に縋っているだけでないと、確認したかった。
「それなら良かった」
答えはきっと、二人で大森林に入ったときから決まっていたのかもしれない。いや、もしかしたら出会ったときから。たとえそれが運命というロマンチストが決めたことだとしても、神様が綴った物語の一頁だとしても、この気持ちはきっと本物だ。
「私もあなたと、いつまでも一緒に居たいです」
私は、私が出した答えを彼の胸に押し込めるように、顔をうずめた状態でその台詞を口にした。