63.魔法使い
小さい頃、シンデレラの物語に憧れていた。しかしだからと言ってシンデレラのようになりたかったわけではない。シンデレラと私では境遇が全く正反対のものだった。
意地悪な義母や義姉もいないし、惨めな思いをして暮らしているわけではなかった。両親は優しかったし、周りの人々も自分に親切に接してくれていた。
だから別に、シンデレラになりたいと思うことはなかったのだ。
ではなぜシンデレラの物語に憧れたか。
私もなりたかったのだ。シンデレラに魔法をかけてガラスの靴を履かせ、綺麗なドレスを着せて、カボチャの馬車で舞踏会に向かわせたあの魔法使いに。
人を幸せにできる魔法使いに私はなりたかったのだ。
§
私は、シンデレラを導ける魔法使いになれただろうか。
目の前に置いてある魔法陣の描かれた紙を見ながらツルカはそんなことを思う。
自分の持てる技術、知識は全部使ったと思う。最善を尽くした。一人の少女を、幸せへ導くために。
この魔法陣は今回の研究の成果だ。コレットを救うための研究、右も左も分からない状態で手探りで始めたのだが何とか形になった。三日間という限られた時間でよく頑張ったと思う。自分を褒めてやりたい。
ふらり、と体が揺れる。
一瞬だけ意識が飛んだ。
それもそうだ。三日間ほとんど寝ずに食事も大してとらずに研究をしていたのだから。
これでおそらくコレットの目は見えるようになるはずだ。少し問題も残るが大した問題でもないし大丈夫だろう。
「私、魔法使いになれたかな」
ぼんやりとした頭に浮かんだ言葉がそのまま口から漏れ出る。
コレットをシンデレラのように幸せな方向に引っ張ってあげられただろうか。
魔女狩りが王国で始まってから彼女の動きをずっと見てきた。もちろん他の魔女たちの動きだって監視していた。
命を奪われた者、逃げ延びた者、心に傷を負った者。見ていられなかった。コレットに対してはいっそ死んだ方が楽なんじゃないかとさえ思った。
それでも彼女はこの国まで逃げてきて、生きる道を選んだ。たとえ自分の結末が悲しいものであっても、残された時間を生きると決めたのだ。
彼女のその決意が自分を突き動かした。死んでほしくなかった。幸せになってほしかった。あの子のように強く生きて欲しかった。
どこか、あの子を重ねていたのかもしれない。
「あなたはどう思う? アデライド……。私、魔法使いに見える?」
もう一度問いかけた。
もちろん、それに応える声はない。
「そうよね、コレットはちゃんと幸せにしてあげなくちゃね。だってあなたの孫なんだもの。……天国から叱られるのは、ごめんだわ」
紙に書かれた魔法陣を片手にツルカは研究室を駆け足で出て行った。
――彼女は魔法使い。シンデレラを幸せに導くもの。でも本物とは少し違う。彼女がかけるのは解けない魔法。十二時の鐘と同時に解けたりなんてしない、永遠にシンデレラを支えるものだから。
§
あれから三日が過ぎた。
何もなかったと言えば何もないのだが、かといって大きな変化がなかったというわけではない。
まず一つ。コレットの瞳の色がまた少し変わっていた。この国に入ったときに見た色は血のような赤黒い色だった。それがさらに黒くなっている。焦げ茶色に近い、と言うべきだろうか。『恐怖』という負の感情が少しずつ侵食した結果だろう。もちろん、今日が期限の日だ。これでツルカがやってこなければコレットは災害『ワルプルギスの夜』を引き起こすことになる。
二つ。ツルカがこの三日間全く顔を見せなかった。アウリールに尋ねるとずっと研究室に籠っているのだそうだ。コレットを救うために奮闘してくれているのだろう。食事もほとんどとっていないようでアウリールもかなり心配していた。今日彼女が現れることに期待しよう。
三つ。コレットが治療した謎の症状で倒れる人が相次いでいるという。ダイナが言った「これで終わりじゃない」というのはどうやら真実のようだった。さらに言うと、コレットが治療した男性も症状を再発したらしい。
その症状で人が倒れたのはつい昨日のことだ。今は意識を失っているらしい。原因不明、治療のしようがないというのが現状だ。
コレットにそのことを伝えると、「もし私が動けるようになったら何とかしたいね」と言っていた。実際、僕自身もこの件はコレットにしか解決できないことではとうすうす感じていた。
四つ。コレットが以前にも増してくっついてくるようになった。別に嫌というわけではない。ないのだがちょっと距離が近すぎる感じがある。
確かに僕は傍に居てくれるかという質問に対して首を縦に振った。しかしそれは同じ空間にいるという意味ではなかったのか。
しかしまあ、本人がそうしたがっているのなら無理矢理引きはがすというのは良くないだろう。彼女の心の状態は普通の人よりも少々不安定だ。今そんな風に突き放してしまえばまた心に傷を負いかねないし、なによりコレットのことを一番に考えてあげたいのだ。
だから今ぐらい、好きにさせてあげた方がいいだろう。
当の本人はと言うと僕を逃がさんとばかりにその小さな頭を僕の膝の上にのせてくうくうと寝息を立てている。
昼食を食べてお腹がいっぱいになったのか、暖かな日差しが彼女を夢の世界に誘ったのかは分からないがその顔は、どこか安心しているように見えた。
「レヴォル、コレット、いるかしら?」
扉が開く音と同時にツルカの声がした。
「あら……」
顔がにやけていた。今のこの状況は中身が乙女のツルカにとっては大好物だろう。
「お邪魔だったかしら?」
依然ニヤニヤとした表情で言う。本当にこの人は長年生きているはずなのに乙女だ。なぜか年季が感じられない。全くの同い年に思える。
「……コレットを救う方法が完成したから来たんだろう?」
そう言って彼女がやってきた目的を思い出させる。
「なによ、冗談が通じないわね。まあいいわ。その通りよ。コレットを救う魔術が完成したから持ってきたのよ」
そう言ってツルカはその手に持っている大きめの紙をひらひらとさせる。
「それは?」
「魔法陣よ。正確に言うと少し違うものになっちゃうけどね」
両手で思い切り体の前でその紙を広げる。
確かにそこに描かれたものは魔法陣と言うには少し歪な形をしていた。八芒星の描かれた円が二つ、少し重なっている。二つの円の中央には目が描かれている。その中にそれぞれ月と太陽、だろうか。
文様の隙間には古代文字と思われるものが散りばめられるように書かれている。
「この魔法陣の原型は八芒星の陣。つまり精神魔術の陣よ。ただ今回は対象が二人だから陣も二つ。そこまでは割と普通なの。
この魔法陣の普通じゃないところは二つが交わるように重なっていること。本来、これだと陣とは呼べないわ。もちろん魔術も発現しない。複数の魔法陣を使うのであれば星の頂点に小さな魔法陣を用意するぐらいよ。もしくはそもそも二つの別々の魔法陣を用意するか。でもそれだと視力を移植するなんて魔術は絶対に出来ないわ。理由を挙げるとすれば、一つの魔法陣につき行使できる魔術は一種類だからよ。
一人の人に対して一種類の魔術を使う、これが今までの常識よ。でも今回は二人の人に対して一種類なの。けれど人数的に用意する魔法陣は二つでなければならない。しかし移植というものを一つの動作として考えれば使う魔術は一つ。
さあどうするか。それで私が導き出したのが『二つの魔法陣を重ね合わせる』ことよ。
そうすれば、形上は魔法陣を二つ用意したとしても完全に分離しているわけではないから一つの魔法陣として考えられる。だからこんな歪な形になっているのよ。
ちなみに中に描かれた文様はこの魔術を助けるもの。目が描いてあるのは言うまでもないわね。今回作用するのが瞳という部位だから。ただそれだけよ。その中にそれぞれ描かれているのは太陽と月。
太陽があなたで、月がコレット。月は太陽の光を反射して輝いているわ。要するに太陽が居ないと月はその意味をなくす。その姿は夜の闇に紛れて見えなくなってしまう。
あなたたちの今後の関係性を意味しているわ。
それと、どうにか形にはなっているのだけれど、どうにもこの魔術は不完全なのよ。一つだけ問題があるんだけど、あなたたちの意思次第でそれはどうにでもなるからいいわ。
さて、説明は終わりよ。コレットを起こしてちょうだい。魔法陣を起動させるから。
ああ、それと、魔法陣の起動にはあなたたちの血が必要だから」
一通りの説明を終えたツルカはよいしょと言いながら、魔法陣の描かれた紙を床に置いた。
正直に言うと、何を言っているのかよく分からなかった。とりあえず大変だったのだろう。うん。
とりあえず、普通の魔法陣では視力の移植は出来ないから少々特別な方式をとったのと起動させるのに血が必要というのが分かれば問題ないだろう。
やはりこの手の話にはめっぽう弱い。男性の魔術行使は無理だが知識をつけるぐらいならしておいた方がよさそうだ。
「コレット、起きてくれ。ツルカさんが魔術を完成させてくれたんだ」
そう言うとコレットはその小さな頭を持ち上げながら、「へ?」と間抜けな声を上げた。
「おはよう、盲目のお姫様。よく眠れたかしら」
「……本物のお姫様に言われるの、ちょっとなんか嫌です」
小さなあくびをしながらコレットが少々不機嫌そうに言う。
「まあそれはそれとして。コレット、手を出しなさい」
「手?」
その顔に疑問を浮かべつつもコレットは言われた通りその右手を前に突き出した。
ツルカはその突き出された右の手首をぎゅっと握りしめて、懐から小さなナイフを取り出して素早くコレットの指に小さな切り傷を作った。
「いったあぁぁぁぁい!」
悲鳴を上げた。
「急に何するんですか!?」
「だってあなた、事前に言っておくと嫌がりそうじゃない。あ、じっとしておいてね。あと少しで血が垂れそうだから」
「別に嫌がりませんよ……」
頬を小さく膨らませながら言う。
「まあまあ、僕だって同じように指を切っているわけだし」
ツルカが僕の指にナイフを入れる様子を眺めながらコレットに言う。
ナイフが指に入る瞬間、ズキリ、と電撃のように痛みが走る。
「っ……」
「……レヴォルもやっぱり痛がってるじゃん」
これは不可抗力というやつだ。さすがにこの痛みは無反応とはいかない。
指の先から赤い血が少しずつ溢れ、水滴のようにポタリと魔法陣の上に落ちる。
「始まるわよ」
ツルカがその言葉を言い終わる前にそれは始まっていた。
コレットの指から滴り落ちた血はすでに魔法陣という狭い通路を埋め尽くさんとばかりにその線をくっきりと赤く染め始めていた。
そこに僕の血も同じように魔法陣をなぞっていた。
陣が淡い紫色の光を放つ。
その直後、激しい痛みが左目を襲った。
ふっ、と意識が遠のいて、何も見えなくなって、何も聞こえなくなって、何も、感じなくなった。