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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第4章~魔法使い~
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60.燃える海に、魔女は決意する~2~

 ツルカにはアーロントが何を考えているのか分からなかった。


 思えば今までもそうだったのかもしれない。


 アーロントはツルカの前ではいつも笑っていた。いつもニコニコとしていた。その表情が全てだと、ツルカは思っていた。


 自分がアーロントといる時間が嬉しいように、彼もそうなのだと勝手に思い込んでいた。


 そんなもの、ただの思い込みに過ぎなかったのだ。


 アーロントのことを好きになってからの九年間、彼のことを、彼自身のことを知ろうとしたことは一度もなかった。


 どうやったら好きになってもらえるか、どうやったら一人の女の子として見てもらえるのか、そんな事ばかり考えていた。


 自分のことしか見えていなかった。


 だから今、ツルカは初めてアーロントの胸の内に踏み込む。


「ねえ、アーロント。あなた、何を考えているの?」


 ぴたり、とアーロントの動きが止まる。


「それは……」


「ツルカ! その男から離れなさい!」


 廊下の向こう側、炎の壁を挟んだ向こう側からそんな声が飛んでくる。それと一緒に、火のついた瓦礫がこちらに向かって飛んでくるのが見えた。


 その瓦礫群が見えた瞬間、ツルカは咄嗟に呪文を唱えていた。


光の盾(ヒト・ルト)!」


 光の防壁がツルカとアーロントの前に現れ、瓦礫群の動きを食い止める。


 その間、アーロントは腰に提げた剣の柄に手をかけ、腰を落とした態勢で声の方を睨んでいた。


「ツルカ、邪魔しないで。あなただけは助けたいの。だから邪魔をしないで」


 依然としてその姿は炎の向こう側に隠れていたが、その声が誰なのかはすぐに分かった。


「アデライド、何をしてるの!? アーロントを殺す気!?」


「もとよりそのつもりよ。その嘘つきはここで殺さなきゃいけないんだもの。ツルカは引っ込んでなさい」


 そう言って、アデライドは炎の向こう側からその姿を現す。


 端が焼けてしまっている黒いローブを身に纏い、真っ直ぐに右手を伸ばしながら少しずつ、距離を詰めてくる。


氷の槍(イス・ランツ)


 それは氷でできた槍だった。細長く、先を尖らせていた。それでいてその大きさから折れるなどということは考えられなかった。そもそもそれがこの空間で作り出されること自体、異常だった。


「この火の海で、(それ)ですか」


 炎に呑まれ、いつ崩れるとも知れぬホッフヌング城。


 その中で作り出されていいものではなかった。


 アーロントは剣の柄を握る手に力を込め、耳障りな音を立てながらその剣を引き抜く。


「あなたにこれが受けきれるかしら」


 アデライドの伸ばされた右手から氷の槍が離れる瞬間を、ツルカは目で追うことができなかった。


 それは一瞬だった。


 爆発音じみたひと際大きな音を立てて、アーロントの剣と氷の槍がぶつかる。


 負けたのは氷の槍の方だった。アーロントの剣を受け、正面から真っ二つに割れていた。その氷が、炎の中に融けていく。


「魔術といえど所詮はただの氷です。日々の鍛錬を怠ったことのない私の腕と、私の剣がそんなものに負けるはずがないでしょう」


「ええ、そうね。それはあなたの勝ちだけど、私の勝ちでもあるのよ」


 炎の向こうでアデライドが笑う。


「何を言って……」


 そこまで口にしてから、アーロントは自分の足元に漂う違和感に気づく。


 ツルカもその違和感に気づき、足元を見る。


 この空間はつい先ほどまで、炎に包まれていた、はずだ。


「なに、これ……」


 足元は青白く輝いていた。熱さに包まれていたその空間は、いつの間にか冷気に包まれそこで炎が躍っていたのが嘘のようだった。


「これは……」


 アーロントにはその空間がもたらす効果が直に表れていた。


 アーロントの足元は拘束されていた。それも、先ほどアーロントが斬ったものと同じものが、まとわりつくようにしてアーロントの動きを封じ込めていた。


「さすがに膝上まで氷漬けにされたら、身動きが取れないでしょう? さて、いろいろと吐いてもらおうかしら。騎士長アーロント。いえ、逆賊アーロントさん?」


――逆賊。


 アデライドのその言葉が真実なら、この反乱の首謀者は……。


「あなたが、あなたが反乱を起こしたの……?」


 その真実を、認めたくない一心で、噛み殺す勢いでツルカはその言葉を口にする。


「……自分でもなぜここまでしたのかは分からないのです」


 それがアーロントの答えだった。


「そん、な」


 認めたくなかった、その答えを。晴らしてほしかった、その疑いを。しかしアーロントはその真実を認め、疑いを雲で包みこんだ。


 アデライドにとってはアーロントの答えは予想通りだった。


「何があったのか、詳しく話しなさい」


「……この世界は、実に不公平に出来上がっています。搾取する者とされる者、買う者と買われる者、殺す者と殺される者。誰かが何かを成しえるために誰かが代わりに犠牲になって成り立っている世界です」


「何が言いたいのかしら」


 アデライドは話の本筋に入らないアーロントにイラついてか、少し怒りの感情を織り交ぜて言葉を放つ。


「少女が殺されました。多くの人の私欲のために。利益のために。自己満足のために。偽善のために。あの子は何も間違ってなどいなかった。何も悪いことなどしていなかった。なのにどうして……オリヴィアは……私の妹は……。あんな無残に! 残虐に! 卑劣に! 殺される必要があった!! あの子が何をしたって言うんだ!」


 アーロントは、激昂していた。


 城を本当に崩さんとばかりに城内の空気を震わせ、叫んだ。


「だから俺は、“アンネの灯火”に入った。あそこは俺のような人間が行く場所だ。世の中の理不尽に、大切な人間を殺された奴らが集まる場所だ」


「その“アンネの灯火”? って組織、あなたはどうやって知ったの? いつから入っていたの?」


 アデライドがそう尋ねるとアーロントは顔を俯かせ、


「覚えていない」


 小さな声でそう呟いた。


「覚えていないんだ。なぜ自分がその組織に入ったのか。いつ入ったかは覚えている。四年前だ。四年前から俺はそこにいた。

 不思議と、抜け出そうとは思わなかった。俺のように世の中の理不尽に思うところがあるやつらばかりだからな」


「ツルカを連れ去ろうとした理由は?」


「ツルカ様は……器だった。器になりえる体だった。それだけだ」


 その言葉を聞いて、アデライドは一つの疑問を抱いた。


「だったら、国を滅ぼす必要はあったのかしら?」


「大いにあった。それはツルカ様の瞳が物語っている」


 ツルカはふと自分の足元に目を落とす。床全体に張り巡らされた氷に自分の顔が鮮明に映る。


 その瞳。


 ツルカの瞳は青かった。だが今は、綺麗な紫色をしている。


「……あなたの後ろにいる奴は、何をしようとしているの…?」


 アデライドが質問を投げかける。


「世界の、救済です」


 これがアデライドの聞きだしたかった答えだった。


 そしてそれはツルカにはついて行けない話だった。


「どういう、事なの?」


「そのままの意味よ。さ、聞くこと聞いたし、あなたには死んでもらうわアーロント。……そうね、私が手を下すのもあれだし、ここはツルカにやってもらおうかしら」


「……え?」


 ツルカにはもう何がなんだかわけが分からなかった。


 勝手に二人だけで話が進み、勝手に二人だけで納得し合い、挙句にはなぜか自分がアーロントを殺すことになっている。


 そんなこと、できるはずもなかった。


「私には、そんなことできない」


 その言葉しか言えなかった。


 どうやらアーロントは反乱を起こしたようだった。その理由も聞いた。だからこそ訳が分からなかった。謎が増えて終わっただけだった。


 それなのに、唐突に「アーロントを殺せ」と言われて動けるはずがないのだ。


「アーロントは、あなたを裏切ったのよ。あなたの一番の従者のふりをして別の誰かに従っていた。

 あなたにはそんな裏切り者を殺す権利があるわ。……いいえ、あなたが殺すべきだと、私は思うの」


 できない。そんなことはできないのだ。


 どうして思い慕った人を殺せようか。


 何も言えずにツルカは硬直していた。一歩も動けなかった。指一本すら動かせなかった。


 ただ唯一動く口を小さく開き、


「できない」


 そう短く言った。


「ツルカ様……」


「それがあなたの答えなのね、ツルカ」


 重く、低い声でアデライドが口にする。


 その目はツルカを見ていた。その視線は失望に満ちていた。その目を、ツルカは見返すことができなかった。


 アデライドが怖かったからじゃない。アデライドはツルカにとって唯一無二の親友だ。その親友の期待を裏切るような答えを導き出して、アデライドの顔を直視なんてできなかった。


「だったらもういいわ。この根性なしに代わって、私が殺してあげる」


 その一言と一緒に一歩前に踏み出し、アーロントに近づく。


 一歩、また一歩とその間隔を詰めていく。


「っ……!」


 アーロントは近づいてくるアデライドに対して右手に持つ剣を振るえなかった。


 膝上で止まっていたその氷塊はすでに、アーロントの肩口までに到達していた。


「さようなら、アーロント。私はあなたのこと、嫌いじゃなかったわ」


 ピキリ、と物が割れる音が、その氷漬けにされた空間に響き渡る。見ればその音を出したと思われる亀裂が、アーロントの腹部に刻まれていた。


 一体いつ呪文を詠唱したのだろうとか、そんなことを考える余裕はなかった。


「アーロントっ!」


 その亀裂からは、温かかったはずの鮮血が氷に冷やされながらも、滲むように滴り落ちていた。


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