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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第4章~魔法使い~
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59.燃える海に、魔女は決意する~1~

 ツルカは真っ赤に燃え盛る城内を、息を切らしながら走っていた。


 必死に走っていたからといって明確な目的地に向かっているわけでもなかった。ただその足は誰かを探すように、炎の熱さに呑まれていない、生命の温もりを探すためだけに動いていた。


「お父様、お母様?」


 その呼びかけに答える声は、一度も聞こえなかった。聞こえてくるのは、パチパチと音を立ててその勢いを増し続ける炎の音だけだった。


 ツルカの足はいつの間にか勢いを弱め、誰かを探すことを勝手に諦めていた。


 そもそもツルカはアデライドの後を追ったはずだった。そのアデライドさえ見つからない状態で、ツルカは未だ激しく燃え、崩れていく城の中で路頭に迷っていた。


――いったいどこに向かえばいいんだろう。


 ホッフヌング城はそう複雑な構造をした城ではなかった。しかし今のホッフヌング城では、柱が倒れ、あったはずの廊下はその姿を失くし、純白の内装は(すす)と真っ赤な炎で豹変し、ツルカを惑わせていた。


 記憶の断片と、いま目に映っている現実を繋ぎ合わせて、城の現在の位置を把握する。


 見覚えのある曲がり角、独特な形状の窓ガラス、一つだけ取っ手の違う扉。そんな断片が、今見ている情景と重なる。


――ああ、ここは。


「アーロントの、部屋……」


 呟くと、その取っ手に手をあてがう。


 アーロントに限って、炎に呑まれているということはないだろう、そうツルカは思っていた。


 アーロントは騎士長だ。この国では武力に関しては誰よりも強い。それこそ国王など目ではなかった。


 だからこそ、国王や女王の返事がなかった今、生きている可能性を感じられるのはアーロントだけだった。


 (すす)で黒くなりつつある扉を押し開ける。柱の焼ける音に混ざって、扉の金具が悲鳴を上げた。


 ツルカの体一つ通るぐらい扉が開いたところで、ツルカはその頭だけを扉の向こう側に覗かせた。


「アーロント、いる?」


 騎士の名を呼びかける。


 炎の中に人影があった。その赤々としながら豪快にはためかせている炎を後ろに、その人影は何を見るでもなく、何を感じるでもなく、ただただぼんやりと立ち尽くしていた。


 その人影は、声に呼応し、その首を振り向かせる。


「ツルカ……様……」


「アーロント……やっぱり生きていたのね……!」


 その人影がアーロントであると認識するや否や、ツルカは首から下までもを僅かばかり開いている扉の間に滑り込ませた。


 そしてアーロントの傍に駆け寄る。


「他の人たちは? お父様やお母様は?」


 その問い自体に、意味はなかった。


 なぜならツルカはその答えを知っていたから。


 自分の中で導き出されている答えを否定してもらいたかった。


 その答え合わせを、間違いで終わらせたかった。


「両陛下はすでに炎の海に呑まれました。他の者たちも同様に……」


 アーロントは真っ直ぐにツルカを見つめて、その答えを提示した。


「そう……」


 悲しみや怒りは、その時は感じなかった。それはもう、通り過ぎた感情だった。ただ事実を確認し、自分の出した答えが正解だと告げられただけだ。答えがそうであると、納得する他なかった。


「ツルカ様」


 どこかで何かが崩れる音に混ざって、アーロントが口を開く。


「ここは危険です。この城を早々に脱出しましょう。何よりもあなたの御身が大事なのです。さあ、私の手を取って」


 差し出された手を、さも当然のようにツルカは取った。


 名残惜しさはあった。なんせホッフヌング城はツルカにとって十八年間も過ごしてきた空間だ。どんな物よりも思い入れがあり、どんな場所よりも、思い出を紡いだ場所だった。


 けれどこうなってしまってはツルカにはもうどうすることもできなかった。


「そう、ね。とりあえずここを離れましょう」


 その言葉の後に、どこに向かうべきかツルカは思案した。


 王都の周辺都市では駄目だ。ネーヴェ王国では王都を取り囲むように四つの都市が隣接している。


 反乱の首謀者は誰か分からないが、一番に火の手に包まれたのが王都とこのホッフヌング城だ。反乱を斡旋している者は国を滅ぼしに来ていることは明白だった。


 そして国王を殺すだけでなく、わざわざ国民の四割が居住している王都にその火を放った。


 何の罪もない、無関係な民衆を殺している。その事実そのものが、王都を取り囲んでいる都市にとっては脅威だ。


 最初は、周辺の都市もまだ生きていると思っていた。


 しかし、王都がこれほどにまで炎に包まれていることに、周辺都市が黙っているのがおかしい。何かしらの行動を起こしてもいいのだがそれがない。


 民衆を避難させた線はあった。だとしても国に仕える兵士が何もせずに逃げるというのは考えにくい。


 つまるところ、王都だけでなくその周辺都市も同じように火の海と化し、人っ子一人いない状態である可能性が高い。


 そうなると、逃げたところで同じような光景が広がっているだけだ。


「フィアル村の方に逃げましょ? あそこなら安全なはずよ」


 その村はつい二日前にツルカが訪れた村だった。あの村なら確実に火の手は回っていないはずだし、王都から離れているから安全なはずだ。


「いえ、ゼラティーゼ王国に向かいましょう」


 その提案は全く不思議なものではなかった。確かに、国外に逃げるという手はアリだ。ネーヴェ王国とゼラティーゼ王国は互いに親密な関係だ。ネーヴェ王国が滅び、その国の王女が逃げてきたとなればそれなりの対応はしてくれるはずだ、もしかしたら国の再建も支援してくれるかもしれない。


 ツルカはその提案を飲むことにした。しかしツルカの中で目的地は依然としてフィアル村であることに変わりはなかった。


「確かに、ゼラティーゼ王国に行くのもアリだと思うわ。私もそれがいいと思う。でもその前に、この国でまだ生きている人たちに事情は説明すべきだと思うの。それに、まだアデライドが見つかっていないわ。彼女はゼラティーゼ王国から来たのよ。だったら彼女も連れて行くべきじゃないかしら」


「なりません」


 そう即答したアーロントの言葉を、たったそれだけの音声を、ツルカは一瞬理解できなかった。


「え?」


 停止した思考から絞り出された、吐息のような声を漏らす。


「ですから、なりません、と言っているのです。ツルカ様は私とゼラティーゼ王国に行かなければならない。さあ、早く行きましょう。皆が待っています」


 その言葉に、ツルカは違和感を抱いた。


「まっ、待って! 皆って、誰? この反乱のこと、ゼラティーゼ王国にはすでに伝わっているの?」


 アーロントはその問いには答えなかった。ただ前を向き、ツルカの手を引いている。


 ツルカが違和感を持ったのは“皆”という単語だけではなかった。


 アーロントは“行かなければならない”と言った。“逃げなければならない”でもなく、“行ったらいいかもしれない”という提案でもなく、“行かなければならない”と。


 それはつまり、彼とツルカにゼラティーゼ王国に行かなければならない理由がある、ということだ。


 逃げるだけなら他にも友好的な国はある。ただ、隣接しているのがゼラティーゼ王国だったというだけだ。


 アーロントの言葉にはそれ以外の理由があるように見えた。


「ねえ、待って! アーロント、いったん止まって! 止まりなさい!」


 叫ぶものの、その声は城の崩れる音に混ざってしまったせいか、はたまた燃え盛る炎の鳴き声に混ざってか、アーロントには届いていなかった。


 明らかにアーロントの様子がおかしかった。いつものアーロントからは予想もつかない険しい顔。その目には何を見ても何も感じないかのような瞳が浮かんでいた。


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