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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第4章~魔法使い~
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57.狼煙

「ツルカはアーロントのどこが好きなの?」


 アデライドのその質問は、ツルカにとっては唐突なものに感じた。


 それもそうだ。今までアデライドはツルカがアーロントのどこに惚れているのか興味も関心も示したことがなかった。


 ただ、城に着くまでのその道中、あまりにも暇だったため、このどうしようもない恋する乙女の胸の内を暴いてやろうと思ったのだ。


「うーん。優しいところ」


「他には?」


「顔がかっこいい」


「もっと他に」


「ええ……思いつかないよ」


 少し困った顔でツルカが笑う。


「好きなんでしょ? 彼のこと。普通に沢山思いつくもんじゃないの? 百個ぐらい」


 その言葉は恋をした事のないアデライドの言い分である。


「なんていうか、そういうあれじゃないのよ。好きすぎて思いつかないっていうか……」


 ツルカはアーロントの全てが好きだった。恋をしていた。それこそ両手両足の指を使っても数えきれないぐらい彼の好きなところがあった。


 だからこそ、いざ尋ねられると言葉にできない部分も出てくる。


「そういうものなんだ」


「そういうものなのよ」


 ツルカとて恋の経験が豊富なわけではない。恋をしている期間こそ長いが、それが成就したこともなければ、失恋したこともない。


 しかし、九年間も誰か一人のことを想い続けてきたのだ。“恋焦がれる”という感情に関してはそれなりに語れるとツルカ自身も自負していた。


「なんだ……あれは?」


 突如、馭者をやっていた兵士がそんな声をあげる。その声色は、どこか何か不思議なものでも見たかのような声だった。


「どうかしたの?」


 アデライドが前のめりになって兵士に尋ねる。


「あれ……王都の方から煙が……」


 言って、兵士が斜め上方を指さす。その方角にツルカもアデライドも視線を向ける。


 確かに黒い煙が真っ直ぐ上空に上がっているのが見える。


「なに、あれ……」


 その少し下、立ち上る煙の根元部分にツルカは目を落とし、そう呟いた。


 ツルカの目にはそれは炎のように見えた。ゆらゆらとその体をうねらせながら、黒々とした煙を生み出している。


「火事……?」


「にしては規模が大きすぎるように見えるわ。……兵士さん、馬車の速度を上げて。私も手助けするから」


「承知いたしました」


 そう答えると、その両手に持つ手綱をしならせた。馬の駆ける軽快な律動が一瞬だけ少し乱れてから、さらに速度を上げる。


加速魔術(シュロイニング)


 アデライドも物体の速度を上昇させる魔術を行使する。馬車全体が一瞬淡い橙色に包まれる。


 その馬車の車輪はその回転速度をさらに上昇させる。


 馬車の速度はすでに先ほどの四倍にはなっていた。


「急ぎましょう。まだ間に合うはずよ」


 間に合う、という言葉をツルカはうまく飲み込むことができなかった。


「間に合うって、なにに間に合うの。一体王都で何が起きてるの」


 尋ねるが、アデライドのその切羽詰まった表情は何も語らなかった。兵士も同様にその額から冷や汗を流して顔を強張らせていた。


 その様子だけで、ツルカは状況の理解に追いついた。


「まさか、反乱……?」


 ツルカのその言葉に誰も返答をしなかった。しかしその対応そのものが、それが答えであるとツルカに告げていた。


「なんで反乱なんか……」


 思い当たる節など何一つなかった。この国は平和そのものだった。正しく法が整備され、権力者がその力を振るい弱者を淘汰するでもなく、人種、身分、性別による差別もない、坦々とした日々を国民も、そしてツルカのような王族も過ごしていた。


 反乱の火種などどこにも無いはずだった。


 一筋の煙が、ツルカたちを誘わんとばかりに目印のように立ち上っている。


――まだ、間に合う。


 その一筋の煙が、終国の狼煙であることを、ツルカたちはまだ知らなかった。




§




――『氷の魔女』を探せ。


 誰かに言われたその命令だけが、今のアーロントを突き動かしていた。

 

「ツルカ様……どこに……」


 ぽつりとつぶやくその声は、猛々しく燃える炎に混ざって、飲み込まれていく。重たい金属音を鳴らしながら、アーロントは自身の仕える主君の姿を探していた。


――『氷の魔女』に絶望を、憤りを、悲しみを、全ての負の感情を。


 頭の中で、誰かの命令が鳴り響く。


 一体誰の命令だろうか。


 正常な思考のために脳が酸素を欲しがるが、今のこの状況はそれをよしとしなかった。


 彼自身、なぜその命令に従っているのか分からなかった。


 誰かに言われるがままに叛逆を起こした。誰かに言われるがままに城に火をつけた。部下を騙し、煽動した。街に火を放った。人を殺した。沢山、沢山殺した。


 必要なのは、王女であるツルカだけだった。それ以外の命には必要性も感じないし、興味もない。


 ただ、器を用意することが、自分の使命だとアーロントは理解していた。


 その使命を一体誰が用意したのかは知らない。


 そうすべきだと、それをしなければならないと、アーロントの中の使命感だけが彼の足を、手を、動かしていた。


 彼の足音に混ざって、どこかで何か重たいものが倒れる音がする。ガラガラと、瓦礫の流れる音。


 城が焼けて、どこかが崩れたのだろう。


 崩れる音に混ざって、人々の悲鳴が聞こえる。その悲鳴に、アーロントは見向きもしなかった。


「ツルカ様を、見つけなければ。“アンネの灯火”の、導きのままに……」


 そう呟いてアーロントは一人、燃え盛る城の中でその歩みを進めた。


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