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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第4章~魔法使い~
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56.人助け~2~

 死んだ人間を蘇らせることができないように、すでに枯れてしまった植物を元に戻すことはできない。


 しかし、生きてさえいれば人間は治療すれば何とかなる。それは植物とて同じことだった。


「さて、どうしましょうか」


 その光景を見て、ツルカは頭を悩ませていた。


 枯れてはいない。枯れてはいないのだが、すでに瀕死の状態というか。


「枯れる寸前よね、これ」


 考えられる対処法は幾つか見つかった。ただ、それを自分ができるかどうかが問題なのだ。


「とりあえず、雨でも降らせてみましょうか」


 日照りで作物がダメになっているという話だった。ならば雨を降らせば多少は回復するはずだ。


 そんな安直な考えだが、だからこそ誰もがいきつく解決法だった。だからといって簡単に実施できるものでもなかった。


「雨を、降らせられるのですか?」


 カズィは目を丸くしていた。周りの村民も同様だった。


 雨を降らすとは言っても、お空に雨雲を作って降らすわけではない。そんなものは魔女にできる範疇を越えた神の御業だ。


「疑似的に降らすだけよ。本物の雨とは全く別物」


 そうひと言答えるとツルカは右手を斜め上方に掲げ、


偽りの雨(アルシュ・レーゲ)


 短い呪文を唱えた。


 この魔術は先も言った通り本当に雨を降らすという意味では間違っているものだ。別に雲を作って降らしているわけではない。


「何もない所から、雨が……」


 カズィら村民にはそう目に映った。


 事実、そうなのかもしれない。この魔術は空気中の水蒸気を集めて、“雨”という形で重力に従うまま落下しているだけのものだ。それ以上でもそれ以下でもない。


「次は、何をしましょうか」


 雨を降らせた。村民から見ればそれで十分ありがたいのかもしれないが、まだツルカにできることは残されていた。


――助けると決めたら私の持てる全てを使って助けたいのよ。


 アデライドのその言葉が、ツルカの心のどこかに刺さっていた。それを聞いたときは何も感じなかったツルカだが、どうやらそうでもなかったらしい。


命を吸い取って(レーベ・アートメ)


 その魔術は簡単な魔術ではなかった。ツルカだからこそ使えたと言ってもいい。治癒魔術なんてものは擦り傷を直す程度の力しかない。それ以上でもそれ以下でもないのだが、この魔術は命令を出した精霊から命を吸い取っている魔術だ。それを使って傷を塞いでいる。


 それと同じことを植物でやったのだ。


 しわがれていた作物たちがその澄んだ青草色を取り戻す。茶色くなりかけていたその畑が、再び活気を取り戻した瞬間だった。


 これほどの広範囲に効果を及ぼすことができたのは、それこそツルカの魔術の才に依存している。


「これで、いいかしらね?」


 言って振り返る。


 そこにいたのは目を見開き、口をあんぐりと開けたカズィたちだった。


 その出来事は彼らの目には奇跡としか形容できないものだった。そもそもの話、魔術自体が馴染んでいないのだ。なんだって奇跡に見えるだろう。


「ありがとうございます、ツルカ様。ぜひ何かしらのお礼をさせていただきたいのですが」


「そんな物はいらないし、興味もないわ。私は私が助けたかったから助けただけよ。それより、水瓶を持ってきてちょうだい。どうせ空っぽなんでしょう?」


 ツルカがそう口にすると村民のうちの男二人がどこかへと走っていく。


「これが、魔術ですか」


 未だ、目を見開いているカズィがしわしわの口元を動かした。


「うん。でも魔術は万能なものではないのよ」


「そうなのですか?」


「魔術だって人が扱うものだからそれなりの限度はあるわ。無条件で使える奇跡なんてもの、存在しないもの。特定の力にはそれ相応の代償が必要なの」


 ただ、その代償というものに、ツルカは心当たりがなかった。


 別に、魔術を使う代わりに、つまり精霊に命令を出す代わりに寿命をすり減らしているわけではない。何かを失っているわけではないのだ。


 そうなると一体自分は何を支払ってこの力を振るっているのだろう。


 絶対に何かしらの対価を払って魔術を使っているのだ。無から有は作り出せない。何かを消費して魔術を使っている。もっと具体的に言えば、何かを支払って精霊に呪文という形で命令を送っている。


「代償、ですか」


「ええ。本当のことを言うとそれが何なのか、誰も知らないわけだけどね」


 そう言って微笑みかける。


 知らなくても問題がないのだ。知ったところでどうなるというのか。自分には魔術という力があって、それは人を救うもの。


 それだけ分かっていれば、今のツルカにとっては何の問題も、障害もなかった。


「水瓶をお持ちしました」


 その声に首を反応させる。


 走っていった男二人が水瓶をもってゆっくりとこちらに歩いて来ている。


「ありがとう」


 そう言って駆け足で近づく。


 重々しい音を立てて置かれた水瓶の中を覗き込む。


 見事に空っぽだった。水滴の一つすら残っていない。何なら少し埃がたまっている。


 水瓶の中に片手を突っ込んで少しだけ息を吸う。


 それをゆっくりと吐き出すように呪文を一つ唱える。


水魔術(アッサー)


 この呪文は四素因魔術の基本の一つである。水を作り出す、という至極単純な魔術だ。


 見る間に水瓶がその空っぽの中身を溢れさせた。


「これで、しばらくは大丈夫かしらね」


 現状の問題も、今後の維持方法も提供した。後は彼らが自分自身で何とかするだろう。彼らとて、農業に関していえばこの国で一番の経験と知識を持っているのだ。これ以上心配するという必要もない。


「アデライドの方はどうなったかしら」


 そのつぶやきと一緒に、足は元来た道へと引き返していた。




§




 ツルカは人生で初めて、開いた口が塞がらないという経験をした。


「これ、アデライド一人でやったの……?」


「そんなわけないじゃない。種まきとかその辺は村の人にやってもらったわ」


 つまりそれ以外はアデライドがやったということだ。


 この光景を見ると、彼女を神と見紛ってしまう。


 それぐらいありえない光景が広がっていた。


 もっとも簡潔に述べるなら、一面の緑である。


「いったいどんな魔術を使ったの……」


 この場を離れる前、確かにここは茶色が支配する、茶色が延々と続く場所だったはずだ。それがどういうわけか、今は生い茂る緑にその全体を覆われている。


「ただ、成長を促すだけの魔術よ」


 そんなものをこうして使いこなせること自体が、頭のおかしな話だった。


「随分と簡単そうに言うわね……」


「事実、それほど難しいことはやっていないわよ」


 それはアデライドだからこそだ、という言葉をツルカは口に含んでから、もう一度飲み込んだ。


「とりあえず、まあ、何とかなったわね」


「そうね。ここで私たちができることはもう残っていないからね。私たちも帰りましょうか。早く帰りたいでしょ? あなたも」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべてアデライドがツルカに視線を向ける。


「何ニヤニヤしてるのよ」


「早くアーロントに会いたくて仕方がないって顔してたから、面白くて」


 そんな顔をしていただろうか。


 確かに、アーロントとは二日は顔を合わせていない。王都から馬車でフィアル村までは往復で四日か五日かかる。


 確かに、早く会いたいというのは否定できないものだった。


「別に自然なことでしょ? 好きな人に恋い焦がれて何がおかしいのよ」


 開き直るしかなかった。


「よくもまあ、そんなこっ恥ずかしいことが言えるわね」


 呆れたような表情を見せるアデライドを、ツルカは無視するという選択肢でその視線を流した。


「帰ってしまわれるのですか? せめて何かお礼を……」


 カズィは少しだけおろおろしながら、ツルカとアデライドを引き留めようとした。


「ごめんなさい。ツルカがどうしても会いたい男性がいるっていうものだから、帰らせてもらうわ。その気持ちだけで十分よ。ありがとう、カズィさん」


「ちょっと、変なこと言わないでよ」


「何も間違ったことは言ってないじゃない」


 そんな様子を見て、カズィたちも無理に引き留めることはしなかった。


「そういう事でしたら、私どもも無礼ながら感謝の言葉で済ませていただきます。ツルカ様、アデライド様。この度は救っていただき誠にありがとうございます。あなた方の帰路に、どうか祝福があらんことを」


 しわしわの顔に笑みを浮かべてカズィは小さく頭を下げた。


「さようなら、カズィさん。あなたたちの生活がより一層豊かになることを祈っているわ」


 そう言ってツルカも小さく腰を曲げた。


「ほら、行くわよツルカ。早くアーロントに会いたいんでしょ?」


「ええ、そうね」


 カズィたちに背を向け、少し前を歩くアデライドの後をついて行く。


 その一歩が、何を意味しているのか、アデライドはもちろん、ツルカも知る由はなかった。


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