54.フィアル村へ~2~
アーロントはどうやら出張でいないらしかった。
食堂に降りたツルカはその事実を確認すると、少しだけがっかりしながらも席について朝食が運ばれるのを待った。
別におなかは空いていなかったし、正直なことを言うとアーロントがいない朝食なんて大して意味がないと思っている。
――ああ、そういえば。
アーロントは隣のゼラティーゼ王国に行くと言っていたな、とそちらの方角の空をぼんやりと見上げながら思い出す。
その空を見上げていたらアーロントが戻ってくるわけじゃないが、何となく、そちらの方角にアーロントがいると思うと見上げずにはいられなかった。
「まったく、恋する乙女は大変ね」
後ろからそう声をかけてきたのは先ほど叩き起こした、というより凍らせ起こした、アデライドだった。普段は下ろしている白い長い髪を後頭部で一つに結っていた。それ以外はいつも通りの黒いローブに身を包んでいる。
「恋慕う相手のことを思って何がいけないのよ。恋の一つもした事ないくせに」
口をとがらせながらツルカはアデライドを横目で睨んだ。
「別に誰も悪いとは言っていないでしょ」
「嫌味ったらしく言ってくるのはそのことに対して不満な感情を抱いているからよ。あ、もしかしてあなたも誰かに恋したいんじゃない?」
「ええ、そうね。どこかの誰かさんみたいに恋の一つでもできたら頭の中がさぞ幸せでしょうね」
そんな風に朝っぱらから棘を飛ばし合う。だからと言ってお互いがお互いを嫌っているわけではない。
その様子を見て止めようとする者はおらず、またやってるなあ、ぐらいの気持ちで周りの人々はこの朝の棘の飛ばし合いを眺めていた。
「で、何で急にフィアル村に?」
そう切り出したのはアデライドの方だった。アデライドからしてみれば、唐突な話だ。何がどうなってそういう話になったのか分からないし、いきなり連れて行かれてもアデライドが困惑するだけだ。
「人助けに決まってるじゃないの」
「はあ……」
アデライドはそんな風に息を漏らす。
その言葉がツルカの口から発せられたことに、アデライドにとっては妙にしっくり来ていた。
「なんでも、この間の日照りで作物が全部ダメになりかけてるらしいの。それを何とかしようと思って」
「それ、私がついて行く必要ある?」
その疑問は持って当然のものだった。ツルカもアデライドも魔女としての能力は一流の魔女と肩を並べるほどだ。二人の師であるラトリアは二人のことを“磨けば光る原石”と表現した。
そんな魔女が二人もついて行く必要があるのか。
「あんまりないわね」
ツルカは淡々と答えた。それを聞いたアデライドの方は頭の上にいくつかの疑問符を浮かべる。
「じゃあ何で私を連れて行こうとするのよ」
アデライドは基本的に面倒くさがり屋だ。自分の関心のあることにしかやる気を出さないし、やらなくてもいいことはやりたくない。そういう性格だった。
「どうせ行くなら二人で行きたいじゃない?」
ツルカのその考え方はアデライドには少々理解しがたい物だった。
ツルカ自身、アデライドの同行が大して意味のないことであることは理解していた。ただなんとなく一緒に行きたいだけだった。
その考えはツルカにも完全に理解できるものではなかった。ただなんとなくなのだ。明確な理由があるわけではない。だからそう答えるしかなかったのだ。
「パフェ……」
「……はい?」
「帰ってきたらパフェを奢ってもらうっていう条件でついて行ってあげるわ」
果たしてそれは王女に進言して問題ない条件なのか。そんな野暮なことを聞く者はその場にはいなかった。
「いいわよ。この国で一番のパフェを奢ってあげる」
ナイフとフォークを静かに置くと、ツルカはにっこりと笑ってそう言った。
「さて、そうと決まればさっさと行きましょ。馬車は用意してあるの?」
椅子に悲鳴をあげさせながらアデライドが立ち上がると、それに続いてツルカも静かに立ち上がる。
「まだだけどすぐに用意させるわ」
「だったらもう少しだけ準備してくるわ。馬車が用意できたら呼んでちょうだい」
それだけ言い残すとアデライドは食堂の扉の方に足を向かわせる。
「人助け、頑張りましょうか」
振り返り、扉を開けながら朗らかな笑顔でそう言って食堂を出て行った。
「私も、準備させなきゃね」
ぽつりと一言呟くと、ツルカも食堂を後にした。