50.我儘
どうして人は、生きたいと願ってしまうのだろう。
命を捨てようと、心に誓った。この体を冷たくしてしまおうと、覚悟を決めた。そのためにいろいろとやった。この心がバレないように、顔を繕った。嘘もついた。
それなのにどうして私は、こうして泣くことしかできないんだろう。
「コレット!」
声がした。その声はどこか安心していて、焦っていて、怒っているように聞こえた。
「レヴォ……ル、わた……私……」
どうして自分はこんなにも泣いているんだろう。何がそんなに、悲しいのだろう。全てを捨てて死のうとしている人間が、どうして今になって涙を流してしまうのだろう。
「わた……し、死ねなかった。死ななきゃ……いけないのに、死ぬのが、怖くなって……寂しくなって……それで……」
そうか、この涙は、自分の失敗を悔やんだ涙だ。死ななきゃいけなかったのに死ぬことができなかった自分が悔しくて泣いているのだ。きっと、そうだ。
「ごめ……なさ、い。君に……迷惑かけたくなくて、いなくなってしまおうと、思ったのに、私、また君に……迷惑、かけちゃう。このままじゃ皆を、傷つけちゃう……」
だから早く死ななければならないのだ。こうして生きている間にも『私』は死んでいく。それできっと何も分からなくなって、いろんな人を傷つけて、殺して。大切な人の顔も名前も忘れて、殺してしまうんだ。
体を、何か温かいものが包み込んだ。その温かさを、私は知っていた。
「レヴォ……ル?」
「僕は今、すごく怒ってる。何でか分かるか?」
何でだろう。彼が怒っているのは、どうしてだろう。
「私が、死ねなかっ……」
「君がそういうことを言うからだ」
――そういう、こと?
私は、死ぬべき人間ではないというのだろうか。だって私は、あと少しで一つの災厄の火種になるかもしれなくて、きっとそれはこの国の人を全て殺してしまうことで、もちろんその中にはレヴォルも含まれていて。
「君は死ぬべきだと、誰が言ったんだ?」
それは……一体誰だろう。私ではない。もちろんレヴォルでもないし、ツルカでもない。
どうして私はそう思ったのだろう。分からない。けれど、私にそういう運命を押し付けたやつが決めたんだろう。あなたはこの運命を走りなさい、と。あなたは死ぬ運命なんだと。
「神、様?」
「随分と酷い神様だな」
その通りだ。神様は酷いのだ。私にこんな運命を押し付けておいて、どうして簡単に死なせてくれなかったんだろう。
「でもだからって、逆らえないよ、神様には。
神様は、どうして私に、この運命を押し付けたんだろう、どうして悲しいだけの運命じゃなかったんだろう、どうして私を君と出会わせたんだろう」
どうして恋をしてしまったのだろう、どうして好きになってしまったのだろう。好きにならなければこんなに苦しむことはなかったのに。
「私、君を好きにならなければよかった。そしたら私も、きっとこの運命を受け入れられた。簡単に死ねた。何も戸惑うことなく、何も考えることなく」
体を包む温かさが少し増した、気がした。
「僕は、君と出会えてよかったと思ってる。僕だって君が好きだ。君の心から笑った顔が、そのしゃべり方が、仕草の一つ一つが、その優しさが、好きなんだ。僕は城を出てからのここ数日、ずっと君に支えられていた。君がいたからここまで来ることができた」
それは違う。違うのだ。レヴォルには行かなければならないところがあった。やらなければならないことがあった。それを邪魔してしまったのは、他ならぬ私だ。
「もし君が、自分のせいで僕をここに縛っていると思うのなら、それこそ間違いだ。僕は自分の意志でここにいる。自分の意志で君の隣を選んだ。だからこのことについて君が悔やむ必要はないんだ」
「でも、私は君の隣に居ちゃいけないんだよ。……殺してしまう。君の言ってくれた言葉も、君の温かさも、全部忘れて君を、君ごといろんな人を殺してしまう。……嫌なの。もうこれ以上自分のことで人を傷つけるのは。私に、君の隣にいる資格なんて、ないよ」
だから死ななければならないんだ。絶対にこのままでは災厄は回避できないのだ。
「資格があるかどうかは、僕が決めることだ。
僕は、隣に君がいてほしい。君の笑顔をもっと見ていたい、君の声をもっと聴いていたい、こうやって君にもっと触れていたいんだ。君ともっといろんなことを共有したい。君が苦しいというならその苦しみを僕も背負いたい。君が死にたいというのならその気持ちを僕にも教えてほしい。自分勝手かもしれないけど、僕は君に隣にいてほしいんだ。
僕は君がいないとダメみたいだ。なにも甘えていたのはコレットだけじゃないんだ。僕も君のやさしさに甘えていた。
だから僕は君に隣にいてほしいんだ」
自分勝手だ。何度も自分は隣に居てはいけない人間だと言っているのに、それでも彼は隣にいてほしいと言い続けるのか。
「レヴォルには……敵わないな」
自分の中で、何かが晴れた気がする。そこから顔を覗かせた気持ち。私は、その気持ちがあるのには気づいていた。生きたい、と。そう願う気持ちがあることには気がついていたのだ。
同時に、それが辛いものであるのにも気がついていた。このまま生きていれば必ず自分は死ぬし、周りの人を死なせることになる。それが嫌だった。だから自分の気持ちを見て見ぬふりをし、隠して、自分の命を絶つために行動した。それでもやっぱり、死ぬことは出来なかった。
きっと心のどこかで、レヴォルが止めてくれるんじゃないかと、期待していたんだろう。
実際、レヴォルはここに現れて、温かくて逞しいその両腕で私を包み込んでくれている。
そして私の隠した気持ちを引っ張り上げてくれた。生きていいと、言ってくれた。隣にいてほしいと言ってくれた。
「私は、生きていていいのかな」
「いいに決まっているだろ。君がまだ自分を殺そうというなら何度だって僕が説得する。君が生きたいと言ってくれるまで何度でも」
「レヴォルの隣に、いてもいいのかな」
「むしろ僕がお願いしたいくらいだ」
そうか、それなら。もう少しだけ、頑張って生きてみよう。
「……三日間」
私は、私が感じている、私の残りの時間をレヴォルに告げた。
「え?」
「多分、保って三日。そうしたら私は自分を忘れて、ただの災厄になると思う」
生きることを選んだとしても、この運命から解放されるわけではない。呪いは付き纏い、この身を食らおうとする。ただ少し前から、その浸食が少し和らいだ、気がする。
避けられないのだ、こればっかりは。
「だからあと三日、頑張って生きてみる。それでもし、災厄になりかけたら、君が私を殺して」
「……そんなこと、しないしさせない」
「でもっ、それじゃあどうするの! 私は確実にたくさんの人を殺すことになるんだよ!? 厄災になる前に、ワルプルギスの夜を引き起こす前に私を殺さなきゃ、もっと大勢の人が死ぬんだよ!?」
「大丈夫、心配しないで」
落ち着いた声でレヴォルが言う。
「策はあるんだ。三日以内にそれができるよう、僕からもお願いしてみる」
「お願い?」
お願い、というのはどういう事だろう。一体誰にお願いするのだろう。
「この国は、魔術先進国だ。しかもその国の女王が大魔女ときている」
「あ」
この国の女王、ツルカ・フォン・ネーヴェ。詳しい素性は知らないが『氷の魔女』として約六十年も生きているらしい。
確かに彼女であれば対策は出来るかもしれない。しかし相手は過去に一度しかその真の効果を見せていない呪いだ。しかもそれが発現したのは三百年も前。
「でも本当に大丈……」
「大丈夫よ。この『氷の魔女』に任せなさい」
扉のほうから声がした。若い少女の声。知っている。『声』が聞こえるようになって初めて聞いた声。
「ツルカさん?」
レヴォルが少し驚いたようにつぶやく。
「まったく、急に走り出したから急いで追いかけたのよ。話は聞いたわ。制限時間は三日間ね。大丈夫、それまでに完成させるから」
コツ、コツという足音を立てて、部屋を離れていった。
「ツルカさんもああ言ってるし、コレットは何も心配しないでくれ。大丈夫、絶対に助けるから」
彼の言葉はなぜか信用できた。思えば、出会ったときもそうだった。彼の言葉はなぜか信用できたのだ。一体、なぜだっただろう。あの時初めて会ったのに。
そして今も、絶対に助ける、という言葉がなぜか信用できる。
彼ならきっと何とかしてくれる。そう感じた。
「分かった、信じるよ。レヴォルの事」
今の自分には何もできない。信じて待つだけ。別にそれが嫌だとは思わない。
「ねえレヴォル、一つお願いしてもいいかな」
ただ一つ、我儘を言うなら。
「これからの三日間、ずっと傍に居てくれますか?」
一人で待つのは寂しいのだ。
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