表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第3章~ネーヴェ王国~
49/177

49.〝僕〟にできること

 正直、ツルカのもとには行きたくない。


 廊下を歩きながら僕はそんなことを思っていた。


 用事があるというのはどうせデートの事だ。根掘り葉掘り聞いてくるのだろう。昨日の自分の問いの答えが見つからなかったと言えばまた呆れられそうだ。


 先ほど廊下ですれ違ったアウリールにツルカの居場所を尋ねたら、研究室に籠っていると言っていた。


 心の底から行きたくはないのだが、行かなければ行かないでもっと面倒なことになる気がする。


 彼女には隠し事が通用しないのはこれまで接した中で分かっている。だったらもう、根掘り葉掘り聞かれてやるしかないではないか。


 研究室の扉の前に来ると軽くノックをする。


「ツルカさん、居るか? 僕だ、レヴォルだ」


 そう声をかけるとその扉が小さな隙間を作って中から小さな顔を覗かせる。


「レヴォル? どうかしたの?」


 きょとんとした表情で尋ねてくる。まるで僕の来訪を予期していなかったかのように。


「どうかって……ツルカさんが僕を呼んだんじゃないのか?」


 逆にこちらが聞き返す。


「いえ、私はあなたを呼んだ覚えはないけど」


 小さな首を横に振りながらツルカがそう答えた。


 ということはここに来る必要はなかったということになる。それに気づいた僕の足はすでに後退を始めていた。


「まあいいわ。ちょうど話しておきたいこともあったし……ってなんで逃げようとしているのかしら?」


 扉の隙間からはツルカの右手の指先が顔を覗かせ、その先端が微かに青白い光を放っている。


 やはりこうなるのか。もう逃げも隠れもできないだろう。研究を邪魔されてか分からないが、少々お怒りのようだ。


「あー、そう、だな。話があるのなら……」


 そう言うしかなかった。そう言って扉を押し開けて中に入ることしかできなかった。彼女は苦手だ。なんというか、怖い。


「とりあえず、座って」


 そう促されて昨晩座っていたところに腰をかける。相変わらず部屋は散らかっている。


「それで、誰が私があなたに用事があるって言ったの?」


 言いながら僕の正面に座る。


「コレットだが」


「コレットが?」


 少し不思議そうな顔をする。その気持ちには同意する。なぜコレットはそんなことを言ったのだろうか。嘘を教える必要もないのに。考えても分からない、というか材料が少なすぎて考えることすらまともに出来そうもない。帰ったらコレットに尋ねるとしよう。


「それにしてもツルカさん、今日のことは聞かないんだな」


「当たり前でしょ、見てたんだから」


 その直後、あっ、声を漏らしてから口を両手で塞ぐ。


「……つけてたのか」


「ごめんなさい。ちょっと、昔を思い出しただけよ。こんなに甘い話久しぶりだったから。ついはしゃいでしまったわ」


 その顔にはどこか寂しそうな表情が浮かんでいた。彼女の過去に、何があったのかは僕は知らない。が、何かあったというのは何となくわかる。しかし今それを聞くというのは野暮だろう。


「ツルカさん、それで話って言うのは?」


「そういえばそうだったわね」


 思い出したようにツルカの口からその言葉が漏れ出る。


「大事な話じゃないのか?」


 だとしたら帰りたい。


「いいえ、大事な話よ。コレットにかかわる大事な話。コレットの呪いを食い止めることが出来るかもしれない話」


 呪いを、食い止める。


「詳しく聞かせてくれないか?」


「……目が見えない世界の怖さって、あなたは知ってる?」


 突然、ツルカはそんなことを尋ねてきた。


「なぜそんなことを?」


「いいから答えて」


 目が見えない世界。真っ暗闇という事だろうか。永遠に夜の世界を過ごしている感じだろうか。いや、夜は少し違うだろう。夜の世界にはだんだんと目が慣れていく。


 目が見えない、何も見えない世界。


「……分からない。目が見えない世界の怖さなんて」


「想像できないでしょう? 目の見えない世界なんて。なぜ想像できないか分かる?」


 その質問に対する答えを僕は持ち合わせていなかった。少し考えたが分からない。


「……怖いからよ。怖いから、想像しようとしないの。それを人間の脳は想像できないと捉えているだけ。そしてコレットは今その怖い所にいるのよ。いくら普通に振舞っていてもその『怖い』っていう感情は付きまとっているはずよ」


 怖い、という感情。誰もが一度は感じたことのある恐怖の感情。


「塵も積もれば山となる、という言葉を知っているかしら?

 彼女のその『恐怖』という負の感情は少しずつ蓄積されてる。確実に、コレットの感情を蝕んでるわ。瞳の変色の原因の一つはこれだと思うの。

 だったらこの感情を取り除くことが呪いを食い止めることに繋がる。あとは、分かるわね?」


「視力を、回復させる?」


「そうね、その答えに行くのは必然だと思うわ」


 ツルカが先ほどから、随分と遠回しに、含みのある言い方で問答をしてくる。


「……結局、何が言いたいんだ」


「まだ話の途中だけど、聞きたい?」


「ああ」


 そう、と呟くとコレットは小さく息を吸った。


「あなたの視力をあの子に移植するわ」


 その考え方は、僕の想像の遥か先を行っていた。いや、行っていたどころか僕の想像の範疇(はんちゅう)に、その答えなど存在していなかった。


「……できるのか、そんなことが」


「できるわ。似たようなことをやってのけたのがあなたの妹のテレーズよ。あれに出来ることが私にできないわけないじゃない。

 それに、移植すると言っても片目だけよ。あなたから視力を完全に奪ったらコレットの呪いは止められるけど今度はあなたが怖い思いするじゃないの。それはさすがに見ていられないわ」


 それを聞いて、少しだけ安心してしまっている自分がいた。きっと、言われた瞬間に、考えないようにしていたという『何も見えない世界』を想像してしまったんだろう。


「そもそも、視力の完全な回復なんて不可能よ」


「なぜだ?」


 尋ねると、ツルカはテーブルの上に置かれていた菓子箱にその短い手を伸ばす。菓子箱の中に入っているのは飴玉ばかりで、どれも同じような包み紙に入っている。


「例えばの話なんだけど、この飴たちを、視力だと思ってちょうだい。それで、この菓子箱が瞳」


 そう断りを入れると、今度は菓子箱を逆さにした。飴玉は勢いよく飛び出し、机の上に散らばった。


「今、この菓子箱は空っぽよね」


「そうだな」


「つまり、これが今のコレットの状態。飴玉、つまりは視力がない菓子箱がコレットの状態なの。それを回復させるってことは、何もない菓子箱に飴玉が湧いて出てくるようなものよ。そんな事普通に考えてできないでしょ? でも、別の菓子箱から飴玉を持ってきて空っぽの菓子箱に入れればその菓子箱は満たされる。私が言っている視力の移植の正体はこれね」


 なるほど。視力の完全な回復は無理だが、他所から持ってくれば回復とは少し意味合いが違うがコレットは光を取り戻すことができる、という事か。


「その魔術、あなたは使えるのか?」


「あと少しよ。

 言ったでしょう? あなたの妹にできて私にできないことなんて無いわ。こう見えても経験豊富な魔女ですから。このことは、私に任せなさい。だからあなたはもう一つの負の感情である『絶望』を何とかして取り除きなさい」


 なんとも心強い言葉だ。これは、もう彼女を頼るしかないだろう。そう、僕がすべきなのは、彼女の『絶望』を取り除くことだ。


 彼女は絶望している。ありもしない罪を着せられ捕らえられて、逃げる時に友を殺され、できたばかりの友に裏切られた挙句、光を奪われて。


 この国に入る時、彼女の心の状態を診てもらった。何かの拍子に自殺しかねないと。それほどにまで彼女の心は疲弊して……。


 その時、自分の中で何かが引っ掛かった。それと同時に、かみ合っていなかった歯車が、残酷にもかみ合ってしまった。


「まさか……」


「どうかしたの?」


 その声が聞こえた時には僕は研究室の扉を開けていた。


 そんなはずが、そんなはずがないのだ。だって今日、彼女はあんなに笑って、幸せそうで、楽しそうで。


 どうして気づけなかったんだろう。どうしてその違和感から目を背けてしまったのだろう。気づく機会はいくらでもあったはずだ。


 まず初めに、彼女が突然デートに誘った事。この時に気づくべきだったのだ。それともう一つ。彼女の微笑み。どこかで見たことがある微笑みを、彼女は時々していた。あの微笑みは、僕が見たあれは、作り笑顔だ。知っていた。見たことがあった。それなのに気づいてあげられなかった。


 僕に嘘をついたのもそうだ。あれは多分、自殺するための時間稼ぎ。コレットが嘘をついたと分かったときに、すぐにこのことに気づいて引き返していれば。


 息を、切らしている。


 当然だ。全力で走っているのだから。


 もう、間に合わないのは何となく心のどこかで分かっていた。


 それでも、間に合うかもしれない、コレットはまだ毒を飲んでいないかもしれない。その希望を持って、コレットがいる部屋に向かって走る。


 扉が、見えた。部屋の扉が。


 急いで扉の取っ手に手をかける。


 直後、扉の向こう側で何かが割れる音が聞こえた。


「コレット!」


 僕はそう叫んで扉を押し開けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ