46.黒い昼に、魔女は出掛ける~2~
そこから四時間ぐらい、一人ファッションショーをただただ見る羽目になった。しかも一番楽しんでいたのは僕でもなくコレットでもなく、その服屋の店員だった。
まるでコレットを着せ替え人形にして遊ぶかの如く勢いで様々な服をコレットに試着させていた。クマの着ぐるみのようなものを着て出てきたり、真っ白なワンピース姿で出てきたり、どこかの国、おそらく東洋のものだと思われるが、そのあたりの国の民族衣装らしきものも着ていた。
初めはコレットも楽しそうではあったのだが、途中からその顔には疲れと恥ずかしさが混ざったような表情を浮かべていた。終いの方にはなんというか、無の表情とでも言うべきだろうか。すべてを諦めたような顔になっていた。その店員の勢いに圧倒されるがまま、気がつけば四時間もその店で過ごしていた。
ただなんというか、さすが服屋の店員をやっているだけある。幾度となく試着室から顔を覗かせるコレットの姿はどれも思わず目を逸らしてしまいたくなるような、そんな眩しさがあった。正直に言うととてもよく似合っていたと、思う。
店員の感性が素晴らしいものだったのか、はたまた素材がよかったのかは分からないが彼女のどんな姿も輝いて見えた。などとは口が裂けても本人には言えないだろう。
「すごい店員さんだったね。でも、うん。楽しかったよ。いろんな服が着られたし。変わった服もあるんだね。キモノ? だったっけ? あのお腹を締め付ける感じのやつ。あんな服があるなんて知らなかった。私のキモノ姿、どんな感じだった?」
後ろから、耳元で囁かれるように尋ねられた。
「すごく似合っていたよ、東洋の衣服はこのあたりと少し違ってなんだか趣があるな」
「あ、ありがと」
顔を背中にうずめながら言う。ここまで素直に褒められるとは思っていなかったのだろう。その顔の熱が、背中越しでも感じられた。
さて、時間もすでに午後一時半を過ぎている。そろそろ腹の虫が鳴り出すころあいだろう。
「コレット、お昼ご飯何が食べたい?」
うーん、と小さく唸る。
「甘いもの?」
果たしてそれはお昼ご飯として食べていいものか。どちらかというとデザートの部類に入るだろう。
そう思いつつも快く頷いた。
「甘いものだな、アウリールさんにいいお店を教えてもらったんだ。そこに行ってみようか」
確か、この街の中心の噴水を取り巻くように飲食店が立ち並んでいると言っていた。そのうちのどれかだったはずだ。
ひとまずその噴水のところまで向かわねばなるまい。
そう考えてそちらの方向に足を向かわせる。
「……なんだ?」
ふと前方に人だかりができているのが目に入る。
「どうかした?」
コレットもそのあわただしい雰囲気を感じ取ったのか、はたまたその場の人々の声に耳を傾かせたのか、不安そうに前方を覗き込む。
どうやら人だかりの中心で非常事態が起きているようだった。
「なにかあったのかな?」
コレットが呟く。
「少しだけ、覗いてみよう」
もし、自分たちに解決できることであれば解決してこの事態を終息させるのが望ましい。
人だかりを少しかき分けてその中心を覗いてみる。
人の足が見えた。どうやら地面に倒れているようだ。足をブルブルと震わせている。痙攣、だろうか。
しかし今の位置だと足元しか見えない。
「何か見えた?」
コレットがそう尋ねてくる。
「人が、倒れているみたいだ。足しか見えないが多分、全身を痙攣させている」
「全身の、痙攣?」
痙攣、という言葉がコレットには引っかかったようだった。
「上半身は、見える?」
人だかりの中をさらに進む。しかしさすがに人を背負いながらには限界があった。なかなかの人の多さだ。きっと普通では起こりえないことが起きているのだろう。
どうにかその倒れている人物の顔だけ拝むことができた。しかしその顔は、顔と言っていいものではなかった。
「なんだ、あれは……」
「どうなってるの?」
「顔全体が……焼け爛れたみたいに赤くなっている。目も、白目をむいている。それと、手の甲しか見えないが赤い、斑点のようなものが見える」
確かにこれは普通ではない。どこからどう見ても異常だ。人々の声で聞こえていなかったがその横たわっている、男性と思われる人物の苦しみ悶える声が耳に届く。
「ウィケヴントの種……」
ぼそりとコレットが何かを呟いた。
「え?」
「多分、ウィケヴントの種だよ。強い毒性があって、症状は、大体一致してる。……レヴォル、その人の傍まで行ける?」
この人だかりの中、人を一人背負って進むのは少々難儀だが、コレットはどうやらこの症状に心当たりがあるようだった。この状況を解決できるのに行かないというのは僕としては取りたくない選択だ。
「……治療をするんだろう? 行くよ」
すいません、ちょっと通ります、と言いながら人だかりをかき分けてかき分けて、その男性が倒れているところにたどり着く。
「レヴォル、降ろして」
ゆっくりと、体を支えながらコレットを背中から降ろす。
「ウィケブントの種だから……レヴォル、私の鞄から百六十三番の瓶を出して。それとガーゼも」
「わ、分かった」
言われた通りにコレットが肩から掛けている鞄を開けてガーゼを取り出す。しかしその百六十三番の瓶とやらが見つからない。鞄の中には小指大の小さな瓶が目測でも三百本以上は入っている。
「順番通りに入れてあるから、すぐに見つかるはずだよ。それと……ここが口ね。うん、呼吸はある」
そう言いつつコレットは四つん這いになって男性に近づき、足や手の位置を確認し、顔があるほうに手を伸ばして口の位置を確かめた。
「レヴォル、瓶は見つかった?」
今探している。順番通りというのであればそろそろ……。
「あった!」
「それ、私の手の上にガーゼと一緒に渡して」
差し出された手の上にガーゼと、例の瓶を置く。
手のひらに渡るや否やコレットは瓶のふたを開けて、中の緑色の液体をガーゼにしみ込ませる。
それを男性の、半開きの口に乗せて鼻をつまんだ。
「草木草花の精霊よ、汝に溶け込みしその力、この者へ分け与えたまえ……」
小さな声でコレットが呪文を唱えた。
すると、液体をしみ込ませたガーゼが淡く光り、その光が男性の口の中に流れ込む。
誰もがその光景に言葉を失った。僕はもちろん、この街の人々もだ。なぜこの光景を見てこの国の人々が驚いているのかは僕にはよく分からない。魔術大国の人間が魔術を見て驚愕するなんてことがあるのだろうか。
いつの間にか倒れている男性の顔色は普通の肌色に戻り、手の斑点も無くなっていた。呼吸も安定しているようで、体の痙攣も治まっている。特に何もおかしなところはないように見えた。
おかしいと言えば周りの人々の視線だ。コレットを見ているその目には、まさに珍しい物でも見てしまったかのような目をしていた。しかしだからと言ってその目に映るのは嫌悪や軽蔑ではなく、感嘆や感動であった。周りからは暖かな拍手の音が漏れ始め、それはやがて少しずつ広がり、いつの間にかコレットを囲んでいた。
「え? え?」
どうやらコレットもこの状況に気づいたのだろう。僕もコレットも無我夢中だったから結果としてこうなってしまうことは予想していなかった。
誰だ、この国の魔女じゃない、こんな奇跡みたいな魔術が使える人が居たなんて、などなど数多くの声が聞こえてくる。その恥ずかしさからかコレットの顔も真っ赤だ。いまにも火が出そうなぐらいに。
「すごいよコレットちゃん! やっぱり君は天才だね!」
そんな声が、拍手と、歓声と、人垣の中から一人の少女と一緒に飛び出してきた。その少女はコレットの首元めがけて飛びつく。
「え? ちょっ、その声、ダイナさん!?」
ただでさえこの状況を飲み込めていないコレットをさらに混乱に追い込む。
コレットの知り合いだろうか。
若干紫がかった黒髪の女の子。猫の耳のようなものが生えたフード付きの羽織を着ている。
「おい、ダイナ! お前何を勝手に……」
その声と一緒に今度は一人の男性が飛び出してきた。しかも知っている顔である。まさかこの国で再開することになるとは思わなかった。
「ジークハルト、か?」
するとその男性、ジークハルトは僕の前で止まると一つ、深々とお辞儀をした。
「お久しぶりです、王子殿下。あ、いや、今は王子ではございませんね。ではレヴォル殿と。とりあえずその、妹がお連れの方にご迷惑をおかけしたようで……」
妹。そうか、そういえばそんなことを言っていた。ということは今コレットに抱きついて頬をすり合わせている彼女が『夢の魔女』という事か。
「皆さん、注目! 実はこの子、コレットちゃんは目が見えない魔女なのです! そんな中、一人の男性の命を救う……まさに天使!」
何を言い出したんだ、この子は。確かに別に何も間違ったことは言っていないが、いささか目立ちすぎというかなんというか。
周りの人々の目がさらに輝きだす。
「ちょっと、ダイナさん! なに言って……」
コレットも相当困っている。明らかに挙動があたふたしている。顔も真っ赤に染めあがっている。
「ダイナ! 『草原の魔女』も困っているだろ。余計なことは止めなさい」
ジークハルトがダイナを無理矢理引きはがした。傍から見ると兄妹というより親子にしか見えないやり取りである。
「あー、えっと。レヴォル殿と『草原の魔女』。妹が迷惑をかけた。詫びと言ってはなんだが、何か奢らせてくれないか? そこでゆっくり話でもどうだろうか?」
ダイナを脇に抱えているジークハルトが少々申し訳なさそうに提案する。
「ボクは! コレットちゃんと一緒にゆっくりお話がしたいです!」
脇に抱えられながらダイナが元気そうに言う。
「えーと、僕は別に構わないんだが……」
そう言いつつコレットの方をちらりと見る。今にもここから逃げ出したげな表情だった。確かにその気持ちには同意せざるを得ない。
さすがに、これほどにまで話が大きくなってくると後々面倒だ。今すぐにここを離れるべきであろう。
「コレット、行くよ」
コレットの腕をつかんで両肩に回して立ち上がる。
「あ、うん」
今の驚きがいまだに抜けきっていないような返事をする。
それにしても人が多い。多すぎる。僕たちが来た時より確実に増えている。原因は分かりやすいがおそらくダイナだろう。
この短時間でこれだけ人が集まるとは。
人垣を抜けるのにも一苦労しそうだ。
前を歩くジークハルトを見失わぬように人垣の間を縫うようにして通り抜ける。その間も、人々の黄色い歓声が僕やコレットの耳に届く。
「なんだか……すごいことになっちゃってるね」
あはは、と小さく笑うコレット。確かにもうこうなっては笑うほかあるまい。
何とか人垣を抜けると、速足でその場を離れた。足は自然と人が少ない所に向かっているようで、ジークハルトもどうやら同じ気持ちだったらしい。
「ここまで来ればさすがに大丈夫だろ」
そう言いながらジークハルトが比較的小さな、味のある喫茶店の扉を開けて中に入る。それに続くように僕とコレットも中に入る。さすがに少し疲れてきた。人を背負って小走りするというのも意外と疲れるものなんだなと思う。
ジークハルトが席に座るとその横にダイナが腰を掛けた。立ち止まっている僕を見てダイナが小さく手招きをする。
先にコレットを座らせてから僕も一息つくようにその横に腰を下ろした。
「いやー、大変だったねぇ」
騒ぎを広めた張本人がまるで他人事のようにぼやく。
「誰のせいだと思っているんだ」
それを横に座っているジークハルトが指摘した。
「そもそもなぜあんな風に言う必要があったんだ。もうちょっと穏便に済ますこともできただろう」
「お兄ちゃんとそこの王子様は知らないかもしれないけど、コレットちゃんの魔術は普通じゃないんだよね。だからついテンションが上がっちゃって……」
そうだろう、とは思っていた。この国の人間が魔術を見てあれほどまでに驚くはずがないのだ。だとしたらコレットの魔術そのものが普通ではないという結論に至る。
「私の魔術……普通じゃなかったんだ……」
そう言うコレットの顔には驚愕と、今まで信じてきたものに裏切られたかのような表情が入り混じっていた。きっと今まで自分の魔術は普通のものだと思って使ってきたのだろう。
「普通ではない、というのはどういう事なんだ?」
ジークハルトの妹であるダイナに尋ねる。
「……そもそもコレットちゃんが使ってる治癒魔術はああいう使い方はしないんだ。基本的に小さな傷を治す程度の使い方しか知られていないから、薬を使って病とかを治すやり方をしてるのはたぶん、コレットちゃんだけじゃないかなぁ」
つまり、彼女の使う魔術は本来の用途以上の性能を発揮しているという事だろうか。たしか、コレットは治癒魔術以外は魔術が使えないと聞いている。治癒魔術を突き詰めていった結果が今のコレットの魔術なのだろう。
人の命を救うためだけの魔術。実に彼女らしいものだ。
「それでボクが本当に話したいのはここからなんだ」
ダイナがそう切り出す。その声には先ほどとは違い、どこか真剣な様子が窺えた。
「昨日の人間と関係があるのか?」
「多分、ね」
なにやらあちら側にも事情があるらしい。
「昨日の人間?」
コレットが少し興味を持ったようにダイナに尋ねる。
「うん。とは言ってもその人物の性別や顔、背格好なんかはボクもお兄ちゃんも何一つ思い出せないんだ。多分、魔術的な妨害が働いてる。それとボクが言えるのはたった一つだけなんだけどね、そいつはすごく危険な人物だ。これしか言えない。これしか言えない理由も言えないんだ。
それともう一つ、コレットちゃんがさっき治療した人に、魔術を行使された痕跡があったんだ。もちろんコレットちゃんが現れる前にね」
おそらく彼女が言いたいのは、今回のあの謎の症状はその危険人物が関与している可能性がある、という事だろう。
「だから、友達であるコレットちゃんにはその危険な人物に十分注意してほしい。それと今日の件、多分あれで終わりじゃない」
真剣な眼差しで真っ直ぐにコレットを見据える。その真っ直ぐな視線を感じ取ったのか、コレットが小さく頷いた。