45.黒い昼に、魔女は出掛ける~1~
格好つけて自分の部屋に戻ってしまった。
部屋に戻ってしまったツルカはこの後どうしようかと考え込んでいた。
正直、今から研究室に戻って研究する気持ちではない。考えなければならないことはたくさんあるのだが、それよりも面白い話を聞いてしまった。
これは年長者として、乙女として、見守る必要がある。明日は研究も仕事も何もしない。こっそり街に出て二人のデートを見守るのが面白そうだ。いや、別に面白がっているわけではない。これはあれだ、二人の行く末を見届ける、というやつだ。
アウリールには申し訳ないと思うが明日の仕事は全部彼に任せよう。ああ見えて彼は仕事ができる男なのだ。どうにかやってのけるだろう。
先ほどから口元が綻んでいるのには気づいている。
仕方がないだろう。こんなにも甘ったるい話など六十年ぶりなのだから。少しぐらいこの状況を楽しんだって罰は当たらないだろう。
「明日は楽しくなりそうね」
そう呟いて部屋の明かりを消した。
§
昨日とは打って変わって天気が悪い。真っ黒な雲が空を覆っている。こんな、今にも降り出しそうな天気の中で出掛けることになるとは思わなかった。
天気があまりよろしくないという事実はコレットには伝えた。伝えるだけ無駄だったが。
雨が降らなければ問題ないの一点張りだったのだ。天気がいい日に改めて出かけようと提案したのだが、どうしても今日がいいと言い張って譲らなかった。
これほどにまで頑固なコレットも珍しい。折れたのは僕の方だった。それにコレットもどうしても今日でなければならない、という切羽詰まった感じがあった。嫌な言葉が頭をよぎる。
――ワルプルギスの夜。
その時が近づいているんじゃないか、その予想が頭から離れて消えなかった。
しかし彼女の様子にはそんな前触れは微塵も感じられなかった。いつも通りのコレットというよりは昔の、視力を奪われる前のコレットに近い。
この予想が、自分の考えすぎで終わってくれればいいのだが。
「レヴォル、もしかして怒ってる?」
すぐ後ろ、耳元で声がした。振り向くと僕に負ぶられたコレットが、頭の上に疑問符でも浮かべたかのような表情をこちらに向けていた。
「……怒っていないけど、どうして?」
考えていたことを隠すように答える。
「お城出た時からずっと静かだったから、私が無理やり連れだしたこと怒ってるんじゃないかと思って」
どうやらコレットに別の心配をかけてしまったようだった。確かに、自分が連れだした人がずっと黙っていれば、誰だって怒っていると勘違いするだろう。これは僕の配慮が足らなかった。反省しておこう。
「ごめん、ちょっと考え事してて。別に怒ってないから、安心して」
そう答えると、コレットは少し安堵の表情を見せた。
「それじゃあ今日のデート、しっかりエスコートしてね、王子さま」
にっこり笑ってコレットが言った。
エスコートといっても別に僕が彼女を連れて歩いているわけじゃない。見ての通り彼女は僕の背中に乗せられて揺られているだけなのだ。
それにここは僕だって初めて来る知らない街だ。もちろん道は分からないしどこに何があるのかも知らない。果たしてエスコートなどできるのか。
予備知識がないことはない。朝の時点でアウリールに観光に適していそうな場所や女性が喜びそうな場所をいくつか聞き出しておいた。
「コレットはどこか行きたい場所とかないのか?」
今回のデートを考えたのはコレットだ。だとしたらコレットの行きたいところに連れて行ってあげるべきだろう。
「んー、特には……」
詰みである。どこか行きたい場所があるのであればそこに連れて行けばいいだけの話なのだが、特にどこかに行きたいというわけではないとなると途端に難しくなる。
「えっと、どこか見てみたいところとか……」
「私、目見えないよ?」
そうだった。失念していた。目が見えないのだからこうして彼女を負ぶって街中を散策しているのだった。
では一体どうすればいいというのだ。食事にしては早すぎるだろう。まだ朝の九時を回ったところだ。朝食だって食べてから城を出ている。
行きたいところもないし、別に見たいところもない。これではどう動けばいいのかが分からなくなる。
兄とは違って女性経験が全くない僕にはこれは難しすぎた。
ふと昨晩の、ツルカの言葉を思い出す。しっかり引っ張ってあげなさい、と彼女は言っていた。だとしたら、目的地をコレットに決めさせるのは筋違いだっただろうか。
もしそうだとするなら目的地を決めるのは僕だ。僕がコレットが喜んでくれるであろう所に連れて行けばいいのだ。
「コレット、服とか興味ないか?」
「服かぁ。うん、ちょっと興味あるかも。今まであんまりオシャレとかした事なかったし、いつもとちょっと違う服も、着てみたいなぁ」
確かにコレットがオシャレな服を着ているところはあまり見たことがない。というか無い。いつも白いシャツに膝上のスカート、上から黒いローブを羽織り、その小さな頭には見合わないくらいのつばの大きな黒い帽子。それ以外の服といえば、あれか。寝間着姿。それぐらいしか見たことがない。
「それじゃあ、服屋に向かうけど、いい?」
「うん、いいよ」
そう言ってにっこりと笑う。その笑顔は、かつてどこかで見た笑顔と少し似ていた。