4.金糸と紫水晶~1~
「『草原の魔女』さん。起きてください、朝ですよ」
朝を告げたのはいつもとは違うものだった。部屋のベッドの上に置いてある古びた目覚まし時計の騒がしい音ではない。
馬の駆ける音と、車輪が地面を走る音、それとまるで鈴を鳴らしたかのような女の子の声。
少しずつ目を開ける。そこには金髪の女の子。宝石のような紫色の透き通った瞳、まつげが長く、その顔立ちは若干の幼さが感じられる。
「おはようございます。『草原の魔女』さん」
「あー、えっと、お、おはよう?」
いまいち状況が呑み込めない。確か、昨晩魔女狩りで捕まって、馬車に乗って。
――ああ、そうか。
自分が昨日の夜にどこかのタイミングで寝落ちしていたことが分かる。
「えっと、おはようございます。ジークハルトさん」
振り返り、馬の手綱をひく一人の兵士にも一応挨拶をしておく。やはり返事はない。挨拶ぐらいはしてくれてもいいではないか。
視線を元に戻すと可愛らしい顔立ちのその金髪の少女が目に入る。あまりの可愛らしさに、同性ながらも胸がドキッとする。
「そういえば自己紹介がまだでしたね」
そう言ってコホン、と咳払いをして少女は続ける。
「わたしは、『鉱石の魔女』のミレイユ・エーデルシュタイン、歳は十六歳です」
十六歳、ということは、魔女になってからまだ一年しか経っていない、ということだろうか。だというのに魔女狩りに遭ってしまうなんて。正直不憫だと思う。
「初めまして、ミレイユちゃん。えっと、知っているかもしれないけど『草原の魔女』のコレットです。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げる。なんとも礼儀正しい少女だ。親の教育がきっと良かったのだろうと思う。
「おい、お前ら」
ジークハルトの声がした。
「もうすぐ町につく。そこで食料の買い出しに行ってくるが、お前たち、何か食べたいものはあるか?」
そんな嫌味を交えつつも彼が言い出したことの内容は実に紳士的なものだった。おそらく、予定していたよりも捕縛に時間が掛かり、食料が尽きたのだろう。
きっと私たちのために何か買ってきてくれるというのはジークハルトだからこそだ。普通に考えてしまえば自分が捕まえた容疑者にわざわざ食事を買ってくるだろうか。
「わたし、アップルパイが食べたいです」
遠慮の欠片もない声音で隣の少女が告げる。
「お前はどうする?」
「同じもので大丈夫です。お心遣いありがとうございます」
感謝を述べるものの、ジークハルトは無言で馬車を降りて行った。
「コレットさん」
しばらくしてから小声で隣に座るミレイユが尋ねてきた。
「どうしたの? ミレイユちゃん」
「あの、一緒に……逃げませんか?」
静かに、消え入りそうな声でミレイユは言う。私のローブの裾をつかむその手は少し震えていた。
「このまま王都まで行けば多分殺されます。噂の域でしかないんですが、魔女狩りが行われた他の国では火刑台に処されたらしいです。裁判は結果が決まったようなもので、魔女に弁明をする余地も与えずに。
多分この国でも同じことが起きます。でもそれって、おかしいじゃないですか。私たち、何一つ悪いことしてないじゃないですか。それなのに、こんなの……あんまりです、理不尽です……」
その震えが何に起因しているのかはその声音から明白だった。
目に涙をためながら言う。
確かにその選択肢を選ぶのは至極当然のことだ。今、この馬車には私たち二人以外、誰もいない。それだけなら今この場から逃げ出すのもそう難しくはないだろう。
しかし、私たちが乗っている馬車のほかにもう一台、後方に馬車がある。おそらく兵士を乗せておくための馬車なのだろう。
何人か馬車の周りに立っている。しかも時々こちらのほうを見てくる。
監視のつもりなのだろう。
魔女は基本的に自分で戦うことはできない。例外がないとは言えないが。私はもちろん戦うことはできないし、この子も戦えるのなら逃げ回る以前にすでにそうしているはずだ。
つまるところ逃げ出しても大して意味がない。捕まって引き戻されるだけだ。いや、もしかしたらその場で殺されるなんてことも考えられる。
「ミレイユちゃん。今は近くに兵士がいるから逃げるのは難しいかもしれない。それに、闇雲に逃げたってきっとまた捕まっちゃう」
「そう……ですよね」
「でも、隙を見て一緒に逃げ出そう。こんなところで死んでいられないものね。しばらくは従うふりをしていよっか」
こう答えるのが精一杯だった。『草原の魔女』とて、体に抱えた問題は解決できても、心に抱えた問題はどうしようもないのだ。
「本当に、一緒に逃げてくれるんですか?」
不安げにこちらを見つめる。
「もちろん。約束だよ、ミレイユちゃん」
そう言って小指を突き出す。
「なんですか? これ」
「約束をするときのおまじない。こうやって小指と小指を合わせて……」
「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲―ます、指切った」
「本当に針千本飲むんですか?」
顔をしかめて聞いてくる。
「それぐらいの気持ちでいてねってことだよ」
これは私が小さいころに祖母に教えてもらったおまじないだ。これで安心してくれるといいのだけれど。
「ありがとうございます、コレットさん。少し落ち着きました。でももう少しだけ、お話ししませんか?」
「いいよ。まだお互いのことほとんど知らないものね」
ぱぁっと少女の顔が輝く。不安を少しでも拭えた様で安心した。
「じゃあまずは何のお話ししましょう。そうだ、コレットさんはどういう魔術が使えるんですか? 私、加護魔術以外はあまり知らなくて……」
そう言ってこちらに顔を向けた。その顔には、先ほどの涙で反射した輝きとは別の輝きが映っていた。知っている。これは知を探求する者がよくする目だ。
私の知り合いにもこういう目をしてくる奴が一人いる。彼女も魔女でこの国に住んでいる。魔女狩りに遭っている可能性が高い。
無事だといいのだが。
ミレイユの瞳に答えるように私は口を開いた。
「私、魔術で薬を作ってるの」
「薬ですか?」
不思議そうな顔をする。
「そう、薬」
「普通の薬師とは何が違うんですか?」
「普通では調合することが出来ない野草同士を魔術で調合したり、本来なかなか抽出されない成分を抽出できるようにしたり。普通の薬師よりいろんな種類の薬が作れるの。
それに加えて魔術での直接治療とかもできるんだよ」
まだほとんど成功したことはないが。
「……すごいですね。本当の意味で他人の命を救ってらっしゃるんですね」
そう言って向けてくるのは尊敬の眼差し。キラキラとしたその瞳をこうも分かりやすく向けられると、それはそれでこそばゆい。
「そんなことないよ。これしか私にはできることがないから。私にできることをやっているだけだよ」
「それでも私はすごいと思いますよ。魔女の在り方として、すごく正しいと思います」
そこまで言ってもらえると少し嬉しくなる。しかし実際、本当に自分にできることをやっているだけなのだ。というよりもこれしかできない。
炎を出したり、風をおこしたり、人の心に干渉したり、人に加護を与えたり。そういう魔術を私はまるで使えない。治癒魔術だって完全に使いこなしているとは言い切れない。未だに現代語での詠唱しかできないし、なんなら失敗することも珍しくはない。
魔術の才だけならミレイユのほうが断然上だろう。
「そういえば、ミレイユちゃんはどんな魔術が使えるの?」
その問いに、金色の髪を持つ少女は嬉々とした表情で答えてくれた。
きっと今まで、自分の魔術について話すことがほとんどなかったのだろう。私もそうだが、自分のことを人に知ってもらえる、興味を持ってもらえる、それは実に素晴らしいことだ。
自分の存在を見てくれている、まぎれもない証拠になる。
それは少女の瞳が物語っていた。
紫色の水晶の奥に輝くその光は、きっとそういう光なのだ。