39.赤い瞳~2~
何やら話が大事になってきた。セラと呼ばれていた女性に促されるままに馬車に乗せられ、揺られ、よく分からない場所に連れてこられ、魔法陣のようなものの中心に立たされ、気がついたら到着していた。
その到着した場所が問題なのだ。シュネーヴァイス城。白雪という意味らしいその荘厳な城はこの国の中心、などではなく国の北部にある小さな森の中に、身を潜めるようして純白の体を地に下ろしていた。
「物理法則変換魔術のひとつ、転移魔術の一種です。二点にそれぞれ入口と出口を作り、そこを無理矢理繋ぐ。簡単なように聞こえるかもしれませんが、この魔術はこの国最高の魔女であるツルカ・フォン・ネーヴェ女王陛下が考案、設置なされたものです。そう簡単に他国が真似できるものではありません」
そんな説明の後、口を挟む間もなく呪文を唱えられ、こんなところまで連れてこさせられてしまったのだ。この状況についていけずに、現在自分が置かれた状況を把握するので手一杯の僕に対しコレットはというと、顔色一つ変えずに僕の服の裾を握りながら後ろをついて来ていた。
そして今だ。今この状況がどうしようもなく訳が分からないのである。
ひと言で言い表すと、一つの机を挟んで僕たちの前に女の子が座っている。それがまずおかしいのだ。なぜ僕たちはこの女の子と会わされているのか。
そしてもう一つおかしいのがその女の子が名乗った名前だ。ツルカ・フォン・ネーヴェ。なぜかその女の子はこの国の女王の名前を名乗ったのだ。
「あら、そんなに目を丸くしちゃって。びっくりしたかしら?」
その女の子、ツルカはそう言いながら口元を手で覆いながらクスリと笑う。驚くに決まっている。この国の女王、ツルカ・フォン・ネーヴェは約六十年も前に生きていた人物だ。生きているのはおかしなことではないのだが、その見た目は十代のそれだった。
「それに、そっちの子。もうその顔は見ることはないと思っていたのだけれど、本当にそっくりね」
小柄な体を乗り出してコレットを凝視する。何かを感じたのかさすがのコレットも反応を見せた。少しだけ顔を逸らす。
分からなくもない。誰だってあれほど至近距離で顔を見られれば距離を置きたくなる。アメジストのような瞳はじっくりとコレットを観察すると、満足したのかその顔を元あった位置に戻した。
「さて、と。とりあえず、コレット……だったわよね。彼女には先に部屋に戻ってもらうわね。長旅で疲れているだろうし、ゆっくり休ませてあげなきゃ。アウリール、彼女をお客さん用の部屋に連れて行ってあげて。目が見えないから、そのあたりちゃんと気を使って」
後ろを振り返りながらドアの方に立っている、こちらも少々小柄な男性にそう指示を出す。
アウリールと呼ばれた男性はコレットの横まで来ると彼女の左手を取る。
「コレット様、客室へご案内いたします。私の手を握り、ついて来てください」
「……や」
それは確実に聞こえた。その瞬間、室内が静まり返った。まるでその音だけを聞かせるかのように。
「嫌……」
細い声でコレットが拒絶という反応を示した。何日かぶりに聞いた彼女の声は今までで最も静かに、淋しそうに、これ以上絞れないというような雑巾を絞ったみたいな声だった。
「嫌……レヴォルと、離れるのは、恐い」
その淋しさが室内を震えさせ、僕の鼓膜に届く。
「それなら僕も一緒に……」
そこまで言ってからツルカの声が言葉を遮った。
「それは、ダメ。あなたとは二人きりでお話をしなきゃいけないの。レヴォル第二王子様? あ、『元』をつけた方がよかったかしら?」
この人は、一体何なのだ。もちろん彼女とは初対面だ。それに自己紹介すらしていない。いや、よく考えれば名前は知っていてもおかしくはない。入国審査の時、名前を尋ねられた。それを伝達されているのであれば名前を知っていてもおかしくない。が、自分が『元』王子であることを彼女が知るはずがないのだ。旅人から聞いた、という可能性もあったが入国審査の時にいた、セラではない方(名前を聞いていなかった)が人が来るのは久しぶりだと言っていたためその可能性は消える。
まずこのネーヴェ王国はゼラティーゼ王国と現在は国交がない。道はあるのだが馬車は出ていない。過去には国交があったという記録があるが、それも六十か七十年前のことだ。というより、国交がないのは王国に限った話ではない。この国はどの国とも繋がりが無いのだ。鎖国状態をここ六十年以上続けている。何度か国交を回復させようとしたことがあるらしいのだが、どれもダメだったらしい。
となるとスパイか何かを送り込んでいた、ということになるが。
「スパイとかじゃないわよ。自分の目で見たことだから。もちろん、貴方たちの王都を出てからの動きも知っているわ」
完全に、思考を読まれている。自分の目で見た、という言葉も引っかかる。僕たちの動きを見ていたというなら、こうして僕たちを待ち構える、なんてことはできないはずだ。仮にもそれが可能だとしたら転移魔術を使ったことになる。しかしあれは入口と出口を用意しなければならなかったはずだ。そう簡単に設置できるものではない、はずだ。
「そういうわけだから、コレット。少しだけ、彼をお借りしてもいいかしら?」
ツルカがコレットに優しく尋ねる。
「どうしても……ですか?」
「ええ、すぐ終わるから。少しだけ待ってちょうだい」
ツルカは優しい声音と、優しい表情で言う。
その言葉の後にコレットが立ち上がる。
「ではコレット様、ご案内いたします」
アウリールはコレットの手を取り、部屋を出て行った。その背中はどこか物悲しそうで、消えてしまうかのような、そんな感じだった。
室内には僕と、一人の少女、だと思われる人物だけが取り残された。
「さて、それじゃあ大事なお話をするわけだけど、何から話すべきかしら。あなたが決めていいわよ。大抵のことは答えられるから」
決めていい、と言われても彼女が何について話そうとしているのかなんてことは知らない。大抵のことは答えられるというあたり、僕が何を聞こうとしているのかも予想がついているということなのだろう。
「貴方は、なんなんだ?」
僕がそう尋ねるとツルカは少々驚いたような表情をした。聞かれることを予想していなかったのだろう。
「驚いたわ。貴方ならコレットのことについて聞いてくると思ってたけど。わざと一番聞きたいことを言わなかったのね」
その通りだ。何もかもを見透かされているようで気持ちが悪い。それに、彼女の存在そのものが不気味なのだ。もし本当に彼女がツルカ・フォン・ネーヴェだというのなら、その容姿はなんだ。なぜそんなに若い姿をしているのか。
「私が何か……ね。それじゃあ、自己紹介も含めて少しだけ私が何なのか説明しましょうか。私には二つ名前があるの。一つはツルカ、ツルカ・フォン・ネーヴェ。この、ネーヴェ王国の女王。歳は数えるのを忘れちゃったけど、七十年か八十年ぐらい生きてるはずよ。もう一つの名前は『氷の魔女』。それで多分、あなたが聞きたいのはこの容姿の事よね。これはそうね、自分の時間を止めた、って言ったら分かりやすいかしら?」
「時間を……止めた?」
「ええ。正確に言うとある魔術に付随して肉体の成長が止まった、と言うべきかしらね。副作用みたいなものよ」
そんなことが可能なのか、魔術というのは。どうにも実感がわかない。正直、魔術についての話をされても自分にはよく分からないのだ。とりあえず、成長が止まったということで自分の中では処理しておこう。
「私のことはこれでいいかしら」
「僕たちのことを自分の目で見た、っていうのはどういうことだ? それも魔術なのか?」
もう一つの疑問をツルカに投げつける。
「そうよ」
即答だった。
「精神魔術で鳥の目を借りて見たの。だから別に、スパイとかそういうものは使わなくても国の外の大まかなことは把握しているわ」
「あなたの目的はなんだ」
その質問の後に、少しだけ間が空く。
「目的……ね。コレットを、『草原の魔女』を助けたいだけよ。今生きている古参の魔女の一人として、ね」
その言葉に、嘘偽りはないように感じた。信用に足る人物かはもう少し見極める必要がありそうだが、少なくとも、彼女の今の言葉は本当のことを言っているようだった。
だとしたら、彼女であればコレットを救うことができるかもしれない。
あの血のような瞳、青かった瞳があんな色になってしまっている。彼女に何が起きているのか。
「コレットは、一体どういう状態なんだ」
そう尋ねてツルカの顔に目を向ける。その顔から察するに、この質問は想定内の出来事だったらしい。真っ直ぐと前を見据えたアメジストが僕の目を見つめ返す。
「非常に危険な状態よ」
その言葉自体は僕にも想像はついていた。彼女の口から告げられる言葉が何なのか。危険な状態、非常に分かりやすい表現だ。魔術の知識がなくとも理解できる。
「具体的に言うと、どうなっている」
「そうね。少し難しくなるかもしれないけれど、いいかしら?」
難しくなる、ということはおそらく魔術が関わってくるのだろう。自分に理解できる自信はない。が、知らなければならない義務がある。
「分かりやすく頼む」
そう伝えるとツルカは一つ咳払いをしてから口を開いた。
「まず初めに、『原初の魔女』を知っているかしら?」
原初の魔女。千年も前に神が生み出したという最初の魔女。伝承ではそうなっている。存在は知っているものの原初の魔女についての知識はこの程度のものでしかない。
「名前は知っている。が、その詳細はほとんど知らない。その『原初の魔女』が何かあるのか?」
ツルカは小さく頷き、自分の瞳を指さした。
「この紫色の瞳ね、昔は青かったのよ。でも今は、ある呪いに侵されてね。ここまで変色しちゃってるの」
なるほど、呪い。あまり聞き慣れた言葉ではない。魔術の発展がほとんどない王国では呪いといえば物語に登場する架空のもの、それぐらいの認識だ。実際にあるということを知っている人物はほとんどいない。少なくとも城の中にはいなかった。
「それじゃあコレットもその呪いに?」
「少し違うわ。この呪い、『原初の呪い』は魔女になると同時に浸食を始めるの。その速さには個人差があるわけだけど」
「どういう呪いなんだ?」
するとツルカは自分の前髪をいじりながら小さく答えた。
「分からないわ」
「は?」
あまりにも予想外の回答に落ちた顎が持ち上がろうとしない。大抵のことは答えられる、と大口をたたいていたというのに。
「あなたにも、分からないことがあるのか?」
「そりゃあるわよ。とりあえず今言えるのは『原初の呪い』はあるところで浸食が止まるっていうこと。その瞳が赤色になったときに。だからこの呪いの本当の効果は分からないの。でもね、誰かがこの呪いに何かを付け足したの。それがコレットにかかっている呪い。これはどんな呪いか分かっているわ。その発生条件もね」
要するに『原初の呪い』はあまり関係がなく、それに付け足された奴がコレットを苦しめている、という解釈でいいのだろう。それが主要因でなおかつ発生条件とやらが分かっているのであれば食い止める、もしくは治すことも可能ではないだろうか。
「ところでその『付け足された呪い』っていうのはどういう呪いなんだ? 相当危険なものなんだろう?」
「ワルプルギスの夜」
「え?」
それは誰もが知っている言葉だった。多くの書物に記された。何なら学校の教科書にすら載っている。知らない方が非常識なほどの大事件。いや、災害と呼ぶべきだろうか。
今から約三百年前に起きた大火災。その主犯が『想火の魔女』アンネ・ワルプルギス。彼女が暴走したことで国が一つ焼け落ちたらしい。何もかもが灰に変わった黒い世界で彼女は最後に、自身が生み出した炎でその身を焼いて命を絶った、というように伝えられている。
「まさか、コレットがそのワルプルギスに?」
「そうよ。このまま呪いが侵食すればコレットは必ずワルプルギスと同じことをしてしまうわ。ワルプルギスもコレットと同じように呪いに侵され、自身を制御できなくなって国を焼き、最後には自分も焼いた。その時の彼女の瞳の色、これが真っ黒だったそうよ。
コレットの今の瞳の色は赤色を通り越して少し黒みを帯びた、血が固まったような色になってる。これが少しずつ黒に近づいていって、そして最後には制御が利かなくなる」
なるほど確かに、危険な状態だ。コレット自身にとっても、その周りに生きる人々にとっても。
彼女が災害になってしまう可能性が出来上がってしまったということだろう。
「それで肝心の発生条件なんだけど」
ツルカがそこで言葉を区切る。
「見ていたから知っているんだけど、彼女の場合、原因は『絶望』かしら」
「絶望?」
「そう。この呪いは怒りだったり悲しみだったり、そういった負の感情が原因で引き起こされるの。それもとても大きな、ね。彼女の場合はそれが『絶望』だったっていう話」
ということは、彼女のその絶望の感情を止めることが出来れば呪いは止まる。ということだろう。だとすれば、おのずと自分のやることは分かる。
「待ちなさい」
立ち上がろうとしたところをツルカの声が遮った。
「まだ何か?」
「何かも何も、いつ私が話は終わったって言ったのかしら?」
確かにその通りだが、原因が分かった今、自分が取れる行動はコレットとちゃんと話をして、『絶望』という感情を取り除くことだ。これ以上話すことがあるのか。
「僕はいち早く、コレットから『絶望』の感情を取り除かなきゃいけない。いくら魔術でも、感情を消し去るなんてことはできないはずだ」
「確かにできないわ。だからコレットのことはあなたに任せる。でも重要なのは、本当に危険なのはコレットじゃないの」
どういうことだろうか。
先ほどツルカは確かに、コレットは危険な状態にある、と言っていた。それ以上の危険が潜んでいるというのだろうか。
「だから、もう一人の悲劇のヒロインであるテレーズの話をしましょう?」
今回の話はこの世界の謎に迫る感じのお話でした。それと同時に出てきた謎の人物ツルカ。彼女もかなりの重要人物となっております。今後の展開をどうぞ楽しみにしていてください。