38.赤い瞳~1~
”独りぼっち”という言葉を知っているだろうか。誰とも会話をすることもなく、ずっと一人でいること、それが独りぼっちだ。誰かと一緒にいたとしても、その人と会話をすることがなければ、それは独りぼっちということになる。
誰も信頼できない、信用できる人がいない。これもまた、独りぼっちだと言える。
だとするなら彼は、彼女は、背を合わせて座っている二人は、お互いに”独りぼっち”だ。
§
会話がない旅というのは随分と寂しいものだ。いや、一人での旅なら会話がなくて当たり前だろう。だが今は、僕の後ろには一人の少女がいる。
彼女、コレットはこの国に入るまでの間、一度も口を開かなかった。一度も顔を上げなかった。もしかしたら上げていたのかもしれないが、少なくとも僕はそれを目にすることができなかった。
食料は減っているし、食事はとっているはずだ。途中途中の宿泊先でもしっかりと休養を取っているように見えた。
しっかりと腹を空かし、たっぷりと睡眠をとる。それだけで体の方が元気であるのは確認ができた。だが心は。心だけは分からない。少なくとも、昔のように話すことはできなくなった。心が壊れてしまったのか、はたまた無くなってしまったのか、それを確認する術もない。
だからこそ、だ。だからこそこの国に来る必要があった。ネーヴェ王国。女王自身が魔女であるらしい珍しい国だ。ほかのどの国よりも魔術が発展しており、魔術学校というものも存在している。もちろん、この国には多くの魔女がいる。自分がいた国には魔女が五人、これでも多いほうなのだがそれの何倍もの数の魔女がこの国で暮らしているらしい。
であれば、精神に詳しい魔女もいるはずだ。その魔女に話を聞くことが出来れば、彼女は、前みたいに笑いかけてくれるようになるかもしれない。
そもそもの話、コレットの目的地がこの国だったのだ。僕がそれについて行った、というよりは連れて行ったという方が正しいが、それだけなのだ。
前方に小さな小屋が見える。遠目から見ても分かる程度にはその小屋はボロボロだった。木造の、簡素な造りの小屋。一体何の建物かは知らないが、この道しかない場所にポツリと佇むその姿に違和感のようなものを抱いた。
すると、その小屋の扉が開いた。てっきり廃墟だと思っていたが、どうやら人がいたらしい。おそらく、馬車の駆ける音を聞きつけてだと思うが、それで外に出てきたのだろう。
よく見ると、出てきた人影は女性だった。少し金色がかったつやのある白い髪を、後ろの茶色い小屋が引き立たせる。
女性は道の真ん中に出てきて、じっ、とこちらを見つめてきた。その様子を見て、僕は両手に握る手綱をしならせ、馬の足を止めた。
「入国でしょうか?」
馬車の下から女性にそう尋ねられる。
「ああ、そうだが」
「……人が来るなんて久しぶり。入国審査をいたしますので馬車から降りていただけないでしょうか。……お一人ですか?」
「いや、後ろにもう一人」
後ろに首を向けながら答える。
「でしたらその方も。入国審査はこの中で致しますので。ついて来てください」
そう言いながら小屋の中に女性は入っていった。それに続くように入り口に立っているもう一人も入っていく。
「コレット、入国審査らしい。降りてくれないか?」
そう呼びかける。
その言葉に明確な反応はない。そんなことは分かっていた。
中に入って彼女の手を取る。
すると少し驚いたように体をピクリと動かし、小さく立ち上がる。依然顔は俯いたままだ。
一歩一歩確かめるようにして馬車を降りる。握りしめる手だけを頼りに。最後の一歩を地面につけると、体勢を崩したのかふらりと前に倒れそうになる。
その倒れそうになった体を肩から支えて、もう一度手を引く。
「足元気をつけて」
そう言ってはみる。聞こえているのかは分からないが、先ほど同様一歩一歩確かめるように、僕の手を握りしめながら歩きはじめる。
「失礼します」
小屋の中に入る。
小屋の中は外観からは予想もつかないほど綺麗だった。というのも、その外観が今にも崩れてしまいそうなほどボロボロだったのだ。
しかしふたを開けてビックリ。アンティーク調の家具がきれいに並べられており、その様はちょっと豪華な邸宅の一室、と言っても信じてしまうぐらいだ。
「どうぞそちらにお座りください」
そう言って先ほどの女性がそのアンティーク調の椅子に座るように促す。
椅子を引いて先にコレットを座らせる。視線を感じた。女性がコレットをまじまじと、そして僕の方を一瞥する。
「あの、何か……?」
「いえ、あなたのお連れの方、もしかして目のほうが不自由なのですか?」
「ええ、まあ」
そう言いつつ自分も腰を掛ける。
「そうでしたか。……セラ、お茶を持ってきてちょうだい。少しだけ話が長くなるかもしれないから」
すると、セラと呼ばれたもう一人の女性が「分かったわ」と言ってティーポットに水を入れる。直後にぼそりと口を動かした。
「お湯を沸かして」
肝心なことを忘れていた。ここは魔術大国だ。日常的に魔術が行使されても不思議ではない。不思議ではないのだが、どうにも自分にとって魔術は少々特別なものに思える。
コポコポと音を立てるティーポットを眺めていると目の前に座る女性がにこりと笑う。
「魔術を見るのは初めてですか?」
「いや、魔術は見たことはあるのだが……どうにも慣れていなくて」
カチャリと音を立てて目の前にティーカップが置かれる。その水面に浮かぶ顔をぼんやりと見つめる。
ひどくやつれていた。
「この国は魔術が発展していますから、お茶を淹れる、それだけの行為にも魔術を使ったりするのです。基本的には四素因魔術を用いています。炎、水、土、風。この四つが最も力の強い精霊が宿っているとされます。そもそも魔術というのは精霊との交信。精霊に命令を下すことで魔術を再現しています。彼女の先ほどの魔術は四素因魔術の内の炎に当たります」
なるほど、半分ぐらいしか分からなかった。正直、そんなことを聞きに来たのではないのだ。
「あの、入国審査のほうは……」
すると女性は思い出したかのように「あ」と一言呟き、「それでは入国審査を始めます」と小さな声で答えた。
「まず初めに、入国の目的を伺いたいのですが」
目的。それはもちろんコレットにもう一度笑顔になってもらうためだ。が、さすがにそんなことは言えない。
「そちらの女性の事でしょうか?」
「察しが良くて助かる。この国に、精神魔術に詳しい人はいるだろうか?いるのなら話が聞きたい」
「私が、一応ですが精神魔術専攻です。そちらの方、心の方に何か問題でも?」
そうだ。彼女が今どういう心を持っているのか、見ただけでは判別できない。何を考え、どう行動しているのか。それをこの国なら知ることができるはずなのだ。
「僕が今知りたいのは彼女の心理状況だ。少し前は、こんな風に下を俯いてばかりの子じゃなかったんだ」
女性がなるほど、と言って小さく頷く。
「それでは心理状況の読み解きから致します」
そう言うと女性は立ち上がり、コレットの背後まで歩いてくる。
肩に優しく手を添えると小さく口を動かす。
「心読み」
女性が呪文を唱えたのと同時に、肩に添えられてその手がかすかな光を放ち、そして消える。
「……一言で言うと、かなり不安定な状態です。何かに、怯えている……? 何かに怯えて心を閉ざしている……。そんなところでしょうか。何かの拍子に自ら命を絶ちかねない、そんな状態です。今までそういった行動はありましたか?」
おおむね予想通りの回答だった。予想外だったのは後半だ。
「いや、そんな素振りは今まで見せていない」
「でしたら、これから起きるかもしれません。私に現状言えるのはこれくらいの事です。それと、そちらの女性は『魔女』でしょうか?」
その問いに小さく首を縦に振る。
「目の方を見せていただけますか?」
その提案は少々予想外のものだった。精神魔術が絡んでいるのは確かだが、目が不自由だからと言って全てがそうではない。
「なぜそのようなことを……」
「この国に入国する魔女の方には目を見せていただく決まりになっているのです」
その決まりが何を意味して設けられているのかは分からないが、そういう事なら仕方ないだろう。もしかしたら何かが分かるかもしれない。
「コレット、目を開けられるか?」
口にするものの、その声は案の定届いていない。
耳元で、囁くようにして同じ言葉を繰り返す。
「コレット、目を開けられるか?」
どうやらその言葉は届いたようで。
コレットはその閉ざした瞼をゆっくりと持ち上げた。
「これは……」
女性が少々驚いたような声を出している。隣に立つもう一人も無表情ながらも目を丸くしていた。
なんだろう、と思いコレットの顔を覗き込む。
その光景に、僕は目を疑った。信じられなかった。あり得ないと感じた。だがそれは確実に、自分の瞳に映っている。
彼女の瞳は誰がどう見ても赤だった。正確に言うならば、固まり始めた血の色。少し黒ずんだ赤だ。あの青く透き通った瞳は、空のような瞳は一体どこに行ってしまったのか。
「……お二人の、名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
険しい表情に、重々しい声を乗せて女性が尋ねる。
「僕は、レヴォル。彼女がコレットだ」
「コレットさん……ですね。あなた方に、向かってほしい場所があります」