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赤い夜に、魔女は泣く  作者: 与瀬啓一
第3章~ネーヴェ王国~
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36.再会~2~

 顔が熱い。とてつもない明るさが瞼を通り越して眼球を刺激してくる。


 朝は嫌いだ。もともと、すぐにだらける癖を直したくて兵士になったのだが、兵士として生活して、退役して今なおこの状況である。


「お兄ちゃん、朝だよー、起きてー」


 そんな声が、聞こえた気がした。


 布団から体を持ち上げて周囲を見回す。誰もいない。さびれた室内には自分一人だけだ。値段に見合った殺風景な部屋。


 正直、宿などどこでもいいと思っていたが、こうも硬いベッドと小さな机しか置かれていない部屋となると、若干の寂しさも感じられる。


 もう一度、舐めるようにそんな質素な室内を見回す。


 声の主はやはり見当たらない。


 忘れていた。その声が自分にとっての一日の始まりを告げるものだった。いつからだろう。いつから忘れていたのだろう。


「ダイナ……」


 探すべき人物の名が口から零れ落ちる。


 はじめは心細かった。朝を告げる音が温もりのある音から無機質な、灰色のような鐘の音に変わったのだ。


 知らなかった。それまで聞いていた物が何物にも代えがたい物だったと、その時になって気づいた。


 しかしいつからだろうか。そんなことも思わなくなっていた。

 


 靴を履いて靴紐をきつめに結ぶ。フード付きの小さめのマントを羽織って肩から荷物を提げる。


「よし」


 そう小さく呟いて宿の扉を開ける。


 街はすでに賑わっていた。おそらくとれたて新鮮であろう果物が商品棚に並べられ、朝日を受けてキラキラと光を反射している。


 隣のパン屋では看板娘と思われる女性がはきはきとした声で客を呼び込んでいる。そんな姿に魅せられたのか、はたまた気の迷いか、その女性の前で立ち止まった。


「いらっしゃいませ! この国一番おいしいパンが食べられるのはここだけです! 焼きたてふわふわのパン、ちょっと見ていきませんか?」


 ぼんやりと女性の顔を眺める。


「あの、パン、見ていかれますか?」


 あまりに凝視されて困惑する女性が、先ほどの声からは予想もつかない喉から漏れるような声で、それに加えて困った顔で尋ねてきた。


「ああ、少し拝見させていただこう」


 そう答えながら女性の横を通り過ぎて店内に入る。「ありがとうございます」という声が背中を撫でる。


 店内に入ると、ふわりとパンの焼けるにおいが鼻をつつく。意図せずお腹が鳴る。朝ご飯もまだなわけだ。ここで何か買って食べよう。


 そう思いながらトレーとトングを手に取り、テーブルに並べられた数々のパンを撫でるように見る。


 何かを思い出した。昔、妹と一緒にこんな風に早朝にパン屋に来たことがあるような、ないような。その時は確か、妹にねだられてクリームパンを買ったような、買わなかったような。


 今になって、昔の記憶がおぼろげだが思い出される。服役している間はそんなことはなかった。妹の”い”の字も出てこないほどだったのだ。自身のだらけ癖を直したい、これも兵士になった理由ではあるがもう一つ、妹を守ってやりたい、そんな思いもあったのだ。それを忘れていたのだろうか。なんとも間抜けな話だ。


 妹を、今日中に見つけることが出来たら、ここのクリームパンを食わせてやろう。そう思い、クリームパンを二つ、トレーの上に乗せた。



 朝日の暖かさが肌を優しく包むなか、ほのかに温かい紙袋を片手に抱えて店を後にする。


 ひとまず、隣の街に向かう必要がある。そこまで馬車は出ていないし、移動は徒歩ということになる。


 道の五分の三ぐらいが人で埋まりつつある商店街を歩きながら、そんなことを考える。人混みは苦手だ。特にこの商店街。人間で一つの河のようなものが出来上がっている。


 自分はその中を進む川魚のようなものだ。その河自体に興味や目的はなく、ただ通り道として使う。あわよくば獲物を見つけられたら、それぐらいだ。


 いないとは分かっていながらも、つい辺りを見回してしまう。目に入るのは見慣れない顔ばかり。自分の探す顔は、見つからない。別に、感動的な再会をしたいわけではないのだ。ただ普通に再会して、普通に二人で暮らす、それが出来れば満足である。


 しかしどういう訳か、再会というのはどうやっても感動的に終わってしまうものだ。



「ちょっとそこどいて!」


 声がした。その声と同時に自分の周りから人が離れていく。人は皆、息を殺したかのように静まり、瞬きもせずに自分と、自分の上方に交互に瞳を動かす。なんだ、と思って首を上にあげる。


 建物の屋根が見えた。


 青空が見えた。


 白い雲も見えた。


 太陽は、見えなかった。


 代わりに目に飛び込んだのは、一人の女の子。


「そこっ、邪魔ー!」


 その声が聞こえた時には、すでに体は動いていた。腰を落とし、手を伸ばす。


 指先が女の子の肩口に触れる、だけだった。自分の中では完璧に受け止める体制が出来上がっていたつもりだったが、甘かった。


 女の子の背中が、首のあたりというか胸のあたりというか、強く叩かれると咳き込むようなところにちょうど落ちてくる。


 予期せぬ事態に、人は的確な対処をするが苦手だ。いや、得意とする人もいるだろうが少なくとも自分は苦手だ。


 案の定、体勢を崩す。


 お尻から落ちればまだマシだったが、残念なことに背中から落ちる。地面で背中を強打。


「痛ぇ……」


 直後に、今まであまり感じていなかった女の子の体重が、打った場所とは正反対のところに一気にのしかかる。


「ぐえあっ!?」


 潰れた蛙のような声を出しながら、自分の斜め上方で聞こえる声に耳を貸す。


「キミ! 大丈夫!? 怪我してない!?」


 そう言って体から降りていく。圧迫されていた胸に空気が送り込まれる。


「ああ、いや、大丈夫だ。あんたの方こそ怪我はないか?」


 ちっとも大丈夫ではない体を起こしながら、女の子に問いかける。


「あ、ボクは大丈……」


 そこで言葉が途切れた。


 自分と似たようなフードをかぶっているその顔から青い瞳がこちらを覗き込む。


「お兄……ちゃん?」


 その時、フードを攫って行くかのように、少し強い風が吹いた。


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